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初等教育の目的とは人を「親離れ」させることである
私は以前「年功序列」をやめよとの主張をしました。
私は年功序列の最たるものが「親への尊敬」だと思います。
今すぐ尊敬することをやめよと言うのではありません。
一緒に暮らしていて、面倒を見てもらい、いろんなことを教わっている間は尊敬しないわけにもいかないでしょう。
今回は安易な年長者、特に親への尊敬をやめることがなぜ必要なのかと、それを実現する方法について考えてみます。
親世代の傾向は悪い面で共通している
親個人を客観的に見てみましょう。
例外的に個性的で立派な人もいるでしょうが、多くは他の人たちとそう変わらない平凡で、想像を裏切らない、どこにでもいるような人物です。
自分の親であるという事実と、長年一緒に暮らしてきたからわかる少しばかりの個性以外はよその親と何ら変わりません。
平凡なこと自体はさほど問題ではないのですが、悪い点でも他の人と共通しています。
このことは私たちは決して見過ごしてはいけません。
変化を嫌い、不都合なことには目をふさぎます。
そうした方が楽なのはわかりますが、世界は刻々と変化しています。
面倒事から逃げていては後々より大きなツケを払うことになりますが、そのことからも目を背けます。
それだけでなく変化や成長をしなくても大丈夫と信じたいために、真剣に物事を考えることを良くないことだと考える価値観を周囲、特に若い世代に植え付けようとします。
学歴を重視する大人は多いですが、勉強をする意義を理解している人はほとんどいません。せいぜい「生きていく上で役に立つから」などという的外れな答えをするのがオチでしょう。
そして最後はこう言います。
「わけわからないこと考える暇があったら勉強しなさい!」
つまり考えることの意義など分かってはいないのです。
これが平凡な大人たち、つまり親たちの大半の姿です。
なぜ親たちの考え方は似てくるのか?
親といえども個々人は違う性格でしょうに、なぜ共通していると言えるのでしょうか?
それは「年功序列」「親は尊敬すべき存在だ」という道徳観に由来します。
親たちは何かと忙しいので面倒なことは嫌いです。
世の中のこと、特に子供との関わりにおいてはなるべく手をかけたくない、頭を使いたくないのです。
ですから物事を簡単に説明し、解決してくれる考え方に傾きがちです。
親世代(老人から二十歳代まで)が大好きなことは下記のようなことです。
前例、習慣、既成の価値観、権威、バイアス、決めつけ、ステレオタイプ・スケープゴート・悪者を見つけること、そして自分を優位に置いてくれる序列。
ですからほぼ例外なく人は歳を取るごとに、もしくは親や上司になるごとに「年功序列」を称揚し、そして平凡化・陳腐化していくのです。
皆が「それでいい」と思っているのだから、それでいいんじゃないの?
戦後の日本は奇跡的に短期間で経済の高度成長を果たし、この豊かさはこれからも続くという錯覚を日本人に植え付けました。
バブル崩壊という経験はしましたが真の意味での危機感は感じていません。
日本人を例えると、最も能天気な部類の農耕民族でしょう。
お天道様の恵みで生きていけるし、口を開けていれば雨水も降ってくると思っています。
まるでナイル川の氾濫時期を記した暦に従うように、毎年同じように仕事を繰り返せば永遠に食っていけると信じているのです。
甘いですね。
日本の土壌は既に干上がっています。以前と同じやり方で耕作しても同様の収穫は得られません。
世界は獰猛な遊牧民族が跋扈しています。農耕民族も必要に応じて武器を取る必要が出てきています。
昔しか知らないおっとりした長老の言うことばかり聞いていては田畑は使えなくなるか、村は略奪に遭うのも時間の問題です。
これが今の日本が置かれた状況で、「みんな大丈夫っぽいこと言ってるから大丈夫だろう」みたいなことを考えていては将来も真っ暗闇なのは確実でしょう。
危機を乗り越えるために、まずやるべきことは?
危機感を持つためには当然ながら安心感を取り除くことが必要です。
つまり現状に対し「ヨシ!」と考えたがる癖を捨てること。予定調和的な現状把握の仕方を改めることです。
この日本人の予定調和したがる癖は「年功序列」特に「親への尊敬」に強く表れています。
「親が立派な人だから尊敬する」のではなく「親なのだから尊敬するし、立派な人なのだ」という考え方になってしまっているのです。
こう考える人の頭の中では重篤な「思考停止」が生じていて、この先ほとんど理性的な判断はできないでしょう。
こうならないために理性的な考えを根付かせるのが、実は「初等教育」の本来の目的なのです。
(この目的を理解せず愚かで惨めな人生を送るという選択肢もあると思いますので、あえて「義務教育」とは言わず「初等教育」と呼ばせてもらいます。)
現状を正しく把握し、問題を正しく理解し、解決策を正しく考え、行動を正しく起こせる人を育てることがこれからの日本には必要で、そうした人に育てることが初等教育に求められています。
そのためにまずしなければならないことは「考えずに従え」という道徳観の打破であり、この道徳観が具体化されたものこそが「年功序列」「親への尊敬」なのです。
年長者に逆らえばいいわけではない
短絡的な人は親や先生などの年長者を敵視して、逆らえば偉いと勘違いしがちです。
昔の若者にはそういう人が多かったですし、それは純粋な心がそうさせるためであって、さも正しいことのように言われました。
これは「イノセントな若者」という別の幻想が若い世代に蔓延しやすいだけのことであり、「年功序列」を裏返しにしただけのものです。
反抗することは快感です。特に若い人は快感に弱いものです。
それは頭の中に余白がまだたくさんあるために、快感や間違った考えといったものに簡単に思考を占領されてしまうのでしょう。
もちろん簡単に擦り込まれたものは簡単に上書きできます。
ですがそれを繰り返しているうちに、誤った考えが消えなくなってしまいます。
「若さゆえの過ち」を簡単に考えてはいけませんし、繰り返すべきではありません。
正しい初等教育は子供を「親離れ」に導く
大切なのは理性的であること、つまり正しく思考することです。
決めつけや幻想を排し、何なら尊敬や愛情すらも捨てて客観的に物事を考える必要があります。
明確な理由もなく年長者を尊敬し続けることは間違いなく理性的ではないと言えます。
過去の道徳観は明らかに日本社会に悪影響を及ぼしていますが、それは世代の問題ではなく、ある程度の年齢になった人はもれなく侵される可能性のある病原体のようなものです。
若くして「年長者崇拝」に凝り固まった人もいますし、年長者でもそこから自由でいられる人もいます。
日本の将来のためには正しい初等教育によって理性的に物事を考えられる人を増やすことが必要ですが、それは決めつけをせず、何事も自分で考えることができるようにすることから始めなければなりません。
そのためにはあらゆる権威にひれ伏さず、経済的に依存せず、価値あるものだけを称える人にならなければならないのです。
ですから正しい教育を受けた人は、保守的で思考することを面倒がる親なら決して尊敬はしないでしょう。
中身もないくせに年齢や恩義だけで上に立とうとする親ならなおさらです。
自立した精神を持った人なら、早く確実に親から独立、つまり「親離れ」しようとするはずです。
経済的自立も意識するはずですから学歴や職歴もないがしろにはせず、より有利なポジションへ就くことを目指すでしょう。
ですがそれは決して「親孝行」のためではないのです。
「精神の自立」は「親からの自立」を促し、自身の社会的成功や日本社会の成長に必ず寄与するはずです。
自分の親を尊敬しないことが親不孝になったとしても全く構いません。
我が子や次の世代のために貢献できれば、必ず彼らはあなたを「立派な親」として尊敬してくれるでしょう。
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