とり

とりとめのないこと。 流れてゆくのか。流されてゆくのか。 終わらないものを願いながら、…

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とりとめのないこと。 流れてゆくのか。流されてゆくのか。 終わらないものを願いながら、ちゃんと終わってくれることも見届けたくて。

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帰り道も時計も要らない時間。

シューズの紐をきゅっ、と結んで イヤホンをセットして。 地面を蹴り出した瞬間のその時間から、今の今まで頭をぐるぐる巡っていた想いごとはすうっと消えていってしまう。 どう身体を動かして、どう呼吸するかを、 両耳から後頭部に響く音楽に時折意識を傾けながら考える。 頭の位置や蹴り出し方、姿勢や腕の振り方。 どう動かせばどこが連動するのかを意識するだけで、 3、4kmあたりまではただ呼吸が上がって苦しい時間も少し楽しくなる。 少しペースを上げたり落としたりしながら、 わたしはわたし

    • Cocco/25th anniversary 'Ⅱ@TokyoDomeCityHall

      実質26年目を迎えたCoccoちゃんの25周年ツアー其のニの2公演目参加は、 其の一で、それはまた盛大にぎゃんぎゃんに泣かされてしまった会場と同じ東京ドームシティホールだった。 そしてなんとも幸運なことに、前回の渋谷に引き続き今回も1階アリーナ前方列のセンター席。 講演後、すぐ立ち上がれないくらいに情緒がぐわんぐわんだった前回。 セットリストは変わらないだろうし、なんてったって前回のセットリストをプレイリストに入れてあれから日々聴いてるから、そこまで泣き地蔵にはならないだ

      • Cocco/25th anniversary 'II @SHIBUYA LINE CUBE

        たくさんの、やわらかな白を纏って しなやかな身体が 帆を張って前に前に進む船のようで 決して優しいばかりではない現実と それでも美しい世界を歌う 大きな瞳も、おおきなくちもその豊かな表情も 指先の動きまで鮮明に見える距離だったあの夜 ことばのひとつひとつがまっすぐ届いた。 いつもはシルエットで確認できていたその人が、 一曲ずつとても丁寧に紡いでは、舞うそのひどく美しい姿をこの目で見ることができた。 本当に、Coccoちゃんだった。 ほんとうに彼女はそこにいて、 苦し

        • Björk/orchestral

          世界中に数多の歌を奏でてくれる人がいる中で 発声そのものが琴線に触れるひとがいる。 声がすき、という表現じゃ少し足りない気がするんだけど、発声がすきという表現の他に言葉が見つからないな。 2000年、 Björkに出逢う前に出逢ったのがセルマだった。 5年周期で意を決しては、 心がちぎれてこのまましんでしまうんじゃないかと思うほど泣きながら観ては落ち込んで、 1週間は心ごと立ち上がれなくなる。 今だと完全な胸糞カテゴリ上位になるのかな、 最高に落ち込むのにすべてが焼き付い

        帰り道も時計も要らない時間。

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          SAI2022

          例えば目の前で友人が話しだしてもただのジェスチャーゲームになってしまうくらい、 イヤホンやヘッドフォンで耳を覆って、頭の中をその音やメロディや言葉で埋め尽くす時間がただただずっとすきだった。 言葉が音が後頭部をぐわっと埋めて、そこから胸に流れてくる気さえするその時間は、 奏でられる世界と紡がれる言葉がわたしのもののようになる。 その時間は無敵で、あらゆる感情が解放される気がする。かなしいことも、うれしいことも、せつないこともやるせないことも、わたしの言葉じゃなくてもわたしの

          きょうのこと。

          まあまあ都内な街中にわたしの通うオフィスビルはあって、そのビルを出た18:00を少し過ぎたころ。 駅までまっすぐのいつも通りの通勤路は、至るところで人が立ち止まりつつ、少し欠け始めたあの月へ皆スマホを掲げていた。 例に倣って同じくスマホを掲げてはいるものの、ちっとも上手く撮れないというか夜景がやたら綺麗に映るばかりで全然だめ。 早々に順路に沿う人の列に紛れて駅に向かう。 駅前の広い通路が遠くに見えるようになるあたりから、まあまあの人の多さになるんだけれど いつもは縦横無尽に

          きょうのこと。

          カメラロール

          2010年、今使っているiPhoneのカメラロールの中の、いちばん古い写真。 ざっと十何年もの凝縮された記憶を閉じ込めるために、いつもわたしはいちばん大きい容量に買い換える。 動画のダウンロードはしないし、然して大きい容量のアプリを使うわけでもないから、 わたしのiPhone容量内訳バーみたいなアレは、ほぼ7割程を写真が占めている。もうここ何年もずっと。 PCにバックアップをとって、iPhone自体のデータからは抜いたりだとか、そんなこともしない。 どんなに容量がかさんで

          カメラロール

          こころをうごかすもの

          自分の中の何かを解放するために、ひとつのことに固執する性分なんだと思う。 いつまでも上手く抑えられないバレーコードとカポタストを用いた簡易コードにどうにか助けられつつも、 消して上手くないギターを弾きながら、心を奪われたアーティスト達の曲を思いのままに歌うとき、 己から出た訳じゃ無い言葉たちが不思議とわたしの感情そのままになったかのように、 終わらない霧から抜け出せた感覚になった。 誰が聴いてくれなくてもいいと歌いながら過ごす夜を手放し出した頃、ふと心に留まる景色を想いの

          こころをうごかすもの

          だいじょうぶの少し先

          なんてことのない言葉の 上澄みだけを掬って食べて、 それだけで腹が膨れたらいいのに なんてことのない言葉を分解して 隠れてもいないものを勝手に探して食べて、 渋さで喉の奥を痺れさせている。 わたしはわたしのことを あまりすきじゃないけど、 きみをすきなわたしと きみが見つけてくれたわたしのことは ひどく大切だと思っている。 普遍的なものなんて、何もないかもしれない。 気持ちさえも変わってしまうかもしれない。 変わってなくても、変わって見えてしまうかもしれない。 だけど

          だいじょうぶの少し先

          映る景色に写すもの

          目の前に広がる景色より、それを写し込んだ景色の方がすきなのは何故なんだろう。 起き抜けのその瞬間から、ちょっと口元を綻ばせつつも諸手を挙げて降参してしまいたくなるような晴れすぎた空は、 そのまま狭いベランダに裸足で降り出て眺めるよりも どこかの誰かがたくさん仕舞われているような高層ビルに貼り付けられているガラス面に写されているほうがすきだった、いつからかずっと。 近くに見えていたから割と近いはず、と思って歩いて向かったけどなかなか辿り着けなかった冬の東京タワーも、 首が折

          映る景色に写すもの

          はじまりのはなし

          上手く面と向かって言葉にできない感情が昔からとても多い。 それは人にだけじゃなくて自分自身にも同じことで。 プラスチックの衣装ケースに どさどさ放り込まれたまま閉まらなくなってく引き出しと同じように 一旦全部中身を出して、種類別に分けて綺麗に畳んで整頓して仕舞う。 そんなことと同じようにしないと、感情を整理できないタイミングが勝手気ままにやってくる。 泣いても喚いても、その膨れ上がった引き出しがただ閉まるようにはなってくれない。 しかも面倒なのは、それを誰かにお願いしたらだ

          はじまりのはなし