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Björk/orchestral

世界中に数多の歌を奏でてくれる人がいる中で
発声そのものが琴線に触れるひとがいる。
声がすき、という表現じゃ少し足りない気がするんだけど、発声がすきという表現の他に言葉が見つからないな。

2000年、
Björkに出逢う前に出逢ったのがセルマだった。

5年周期で意を決しては、
心がちぎれてこのまましんでしまうんじゃないかと思うほど泣きながら観ては落ち込んで、
1週間は心ごと立ち上がれなくなる。
今だと完全な胸糞カテゴリ上位になるのかな、
最高に落ち込むのにすべてが焼き付いている唯一の映画、Dancer in the dark。

Björk扮するセルマが、
現実や妄想の中で歌唱するシーンで7割構成されている気がする。
その歌唱が見たいのは、映画のサントラでは見えない彼女の表情が見たいから。

すきなアーティストの括りの中に、「顔でうたう人」という個人的な見解があって、
そのジャンルをわたしの中に確かなものと変えたのはBjörkであり、セルマだ。

鼻の上の方からぶわっと抜けていく何にも形容し難い声と、顔の筋肉を全て使っているような表情に、
歌い叫ぶ言葉のすべてが瞬間的に刷り込まれるように入ってくる。
口元以外にも眉や頬、まぶたや鼻の全てで表現される言葉が痛く刺さる。
耳だけじゃなく眼でも見える歌をうたう人だなと、目が離せなくなった。


ステージから向かって左側の3階席は、思っていたよりずっとステージがよく見える席で。
裾が着物のようなシルエットの白と黄緑のきれいなとりのような衣装でマイクを握った彼女から放たれた最初の一音がわたしの鼓膜を震わせた瞬間にもう、ぶわっとセルマを思った。

ほんもののBjörkがいる。
姿がよく見えるとは言え顔がどこにあるかくらいまでしかわからないし、あれは多分きっとBjörkなんだろうけど、でもこの声はほんもののBjörkだ。
正直セルマ名義の曲以外、そんなに多くの曲を聴いてきたわけじゃないからもちろん知らない曲もたくさんあって、 
それなのにこんなに涙が出て鼻が詰まって息がしにくいほどになってしまうのは、
やっぱり彼女の発声や歌い方そのものに惹かれてやまないからだと深く痛感した。

フルストリングスが胸に迫る。
いつものライブでは心地よいリズム隊はいないはずなのに、いないからなのか
キリキリと胸に迫るような演奏の中、彼女の紡ぐ世界がそこにはあって、ぐわっと世界観に惹き込まれる。

圧倒的な存在感で曲の世界観を創り上げたかと思いきや、歌い終わりのアウトロで背を向け、ちょこちょこっとお水を飲みに行き、そのまま少し揺れながらストリングスに目を向けている可愛らしい姿も印象的だった。

80分弱、普段行くようなライブと比較したら割とコンパクトな演奏時間だったけれど、
目まぐるしく厳かで華やかに展開される世界を巡るには、とても充分な時間だったと思えた。

やっと、やっと逢えた。
その一言に尽きてしまうこの夜、
フルストリングスの奏でる、ひどく美しいOvertuneを聴きながら終演を想った。


これは最後から2番目の曲
私たちが そうさせない限り
最後の歌にはならないの

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