見出し画像

きょうのこと。

まあまあ都内な街中にわたしの通うオフィスビルはあって、そのビルを出た18:00を少し過ぎたころ。
駅までまっすぐのいつも通りの通勤路は、至るところで人が立ち止まりつつ、少し欠け始めたあの月へ皆スマホを掲げていた。

例に倣って同じくスマホを掲げてはいるものの、ちっとも上手く撮れないというか夜景がやたら綺麗に映るばかりで全然だめ。
早々に順路に沿う人の列に紛れて駅に向かう。
駅前の広い通路が遠くに見えるようになるあたりから、まあまあの人の多さになるんだけれど
いつもは縦横無尽に行き交う人々と待ち合わせかなにかで立ち止まってる人たちが交差するあの辺りが、今日はいつもと違かった。

みんな同じ月を見上げるために立ち止まっていて、めいめいにスマホを掲げていた。

ふいに目に映った2人組の女の子の背中は、
その身長差がとてもちょうど良さそうに、頭をもたげ合っていて、思わずその子たちの背中を入れてほんとオマケくらいにも映らない下手くそな月を撮った。

みんな同じ月を見ていて、その景色がなんかかわいいというか、穏やかな気持ちになるような。

まだ記憶に新しくて、毎日ニュースで見るあの光景を思わずにはいられないような電車に揺られる。
押し込まれて、押し込まれてやっとドアが閉まるまでに駅員さんが走ってきて2人に増えた。
右肩のほぼすぐ上にあるおじさんの顔が眠ってるようにしか見えなくて、ちょっとそれちゃんと自分で立ってる?と言いたくなるくらいの圧力を背中に感じる。
みんなこれに毎日乗って帰ってくるだけでよくやってるよね、何してるんだろう今ってたまに思う瞬間。
生きるために生活をしてんだよね、なにも無駄な時間じゃない。

ぐえっと吐き出されるように最寄駅に着いた電車から降りる。
順番に降りたらいいのに後方からブルドーザーみたいな人って絶対いる。左から来て右から来られたら思わずつんのめりそうになる、ホームと電車のこの隙間に足が落ちたらほんと恥ずかしいし痛いし危ないんだからやめて。

何時まで人は働くんだろうかってほど明るい都会から、
少し遅れた電車に運ばれて少し暗めの最寄駅に着いた頃には、すっかり無くなってきていた。
テレビでみるくらいで、まともに見上げたことがなかったけど、
欠けていくってなんかとても、想像してもいなかったけど、さみしい気持ちだった。
ああ、なくなっていっちゃう…みたいな。

赤い月が見たかったんだけど、その手前でこんな勝手にノスタルジックが待っているとは思わなかった。

駅を出てすぐの河川敷には、すでにたくさんの人が集まっていて、
あの向こう側の踏切を渡ってきてたらいいのになってくらい、大きな望遠鏡を担いでる人も後からやってきた。

俺らの庭だぜと言わんばかりのスケーター達が不規則に鳴らすリズムと、
遅延を少し引き摺ってそうな電車が川を渡る音。
けたたましく遠くでなるサイレン。

そんないろんな種類の音をイヤホンの奥で聞きながら、
冷たい石段に胡座をかいて、頬杖をつくようにして重たい頭を支えて眺めてみた。
随分赤いのか、茶色いのか黒いのか、こんなときに恨めしいばかりの乱視のおかげで細部までは見えない。
ゆっくりゆっくり浸食されていくように滲む色を変えていくその様は、
400数年ぶりの現象だと聴くと、なんだかまたえもいわれぬきもちになった。

400年待てないよね、きっと誰も。
誰かのこどもは待てたらいいけど、刹那主義で生きてしまっていて申し訳ないけど何も残せないんだよなきっと。何かを化石みたいに埋めておけたらいいのにね。

ランダムで流れる音楽をスキップしたりリピートしたりしながらそろそろ10曲目くらいに差し掛かる頃には、
すっかりおしりから冷気を吸い上げてしまって。
末端冷え性のくせに防寒なしで挑んだ自分を悔いるようになったその途端。

風は冷たくて外は寒いのに、
ただ何をするでもなくコンビニの外で食べたシーフードヌードルを思い出した。
時間と思い過ごしと思い上がりばかりが溢れていた10代の頃、
いつもずっと一緒に過ごしてた、最早家族でしかない友人と、よく食べていたシーフードヌードル。

寝起きに、寝る前に何を食べても有り余るパワーの糧にしかならなかったあの頃、
外で食べるあの麺の、すぐ冷えるあの感じと、
線のちょっと下までしかお湯を入れないが故の、おにぎりによく合うやや濃い目のスープ。

いきなりちょっと泣けるくらい、
あの味と記憶と、風とラーメンの匂いがぶわっと蘇った。

同じ月を見ているかな、
そこに真っ直ぐに浮かぶ顔はいつも同じで、
ちょっと泣いたあとみたいにふにゃっと笑ってるんだけど、きっとまた泣いてるんじゃないかな。

向かい合ってコンビニの駐車場で、夜中にラーメン食べることはもうきっとないし、
(あったらそれはそれでわたしたちがだめな大人になってしまってるからよくないな)
久しく同じ空を見上げるくらいゆっくりな時間を過ごすことも少なくなったけど、

こうして同じ景色を見てたらいいのになって、思える季節を何度も何度も重ねてこれたことが、十分過ぎるベストの更新だ。

ああ、さっき400年も待てないって書いたけど、
だめだ。わたしの遺伝子の何かは未来にはなくても、ずっとずっと紡いでいってほしい宝物があったや。
勝手生意気に何か見届けたり放棄するような気持ちが頭の隅にあったけど、
紡いでもらうためには繋がないといけないし、考えないといけないこともたくさんあるね。

こんなに歳をとるなんて不思議だし、
こんなに何も変わらないつもりでいるなんて思わなかった。
ずっと傍にいてくれることは奇跡だし、
何もあたりまえなことじゃない。

帰りに寄ったコンビニでシーフード春雨を買った。
もちろんあの味はもう今の胃には刺激強めだから、あえての春雨で、当然線の上ちょっとまでお湯を入れた。

家の中で食べたらもう、あのときの香りは蘇ってこなかったけど、
ただ いま、無性に逢ってはなしがしたいなあ。

仕事終わりから帰宅するまでの、なんてことのないとりとめのないはなし。

みんな同じ月をみていた。
身体を寄せて、頭を寄せて暖をとりながら、
真剣な眼差しでレンズを見つめながら。

なんだろうこのきもちは。
つらつら連ねても、まとめようとしてみても、
なにひとつまぁるくなってくれない。

ただ、このぐにゃぐにゃした感情のうしろに流れる曲はきっと、長調ではないんだと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?