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弛緩と再沈下

生き急いでいると指摘されるのはしょっちゅうだった。ジェットコースターに乗り続けるように激しく緩急をつけながら生きてきたけれど、身近な人にとってもそう見えるようだった。一ヶ月後の自分が何を成し遂げようとしていて、誰と過ごしているのか、いつも少しも予想がつかない。絶対に幸せになってやるという意地がとにかく強かった。執着していた。生きづらくて仕方がなくて、そこから何としてでも抜け出したくて、救われたくて、とにかくその一点にこだわっていた。頂点に向けて上っていく時の全身が喜びで熱を持つ感覚と、深いところに真っ逆さまに落ちてく絶望感とを、一生繰り返すのだと思っていた。そうするほかに私は生きられないのだろうと諦観していた。ちっとも生きるのが上手くならないのだ。

2020年は抗う年だった。私がもっとも欲していた愛のかたちは信頼にもとづく自由だと分かり、とにかく反発しまくった。それを与えられない限り私は浮上できない、私は私の人生を生きられない、取り戻せないから、お願いだからもう自由にさせてくださいと、決死の思いで吹っ掛けた一年だった。結局ただ消耗していって、弱って回復できないまま、年が明けてもグズグズと引っ張って、本気で自分のことが分からなくなったのが去年だった。夏頃からなんとなく吹っ切れて、前より焦らなくなった。5年ぶりに彼氏いない歴半年を突破したりした。前よりも自分で自分のこと大事にできるようになった。自分を大事にするというのがどういうことか、ずっと分かった気でいただけだったのだと知った。

年内に残された課題は、二年ぶりに会う親にごめんとありがとうを言うことだった。大反抗期の中心となった事柄(私の転職先について揉め、元彼との同棲について揉めた)について、あの時止めてくれたおかげで今とても穏やかに平和に幸せに過ごせています、と伝えておくこと。そして、今一緒にいる人について知らせておくこと。タイミングを見計らうのに苦労したけど、きちんと言えた。父も母もよかった、大人になったねって笑ってた。それでね、そのおかげで良いご縁がありまして、この人なんだけどと、二人で撮った写真を選んでスマホを差し出す。付き合っている人の話をしても、両親(特に母)はいつも少しも興味を示さない。いつだって「へー」で終了。良くてスペックやプロフィール聞かれて終了。それがいつも悲しかった。だったのだが。「いいじゃん」と言われた。信じられない。そんなこと今まで一度も言われたことない。いいんじゃない、◯◯と似ていて。極めつけに、母が「どんな人?」と聞いた。初めて、本当に初めてのことだった。私の好きな人に親が興味を示している。思わず私も「初めて聞かれた」とこぼした。「初めて聞く気になる人だった」と母。父も同じ意見のようだった。とても嬉しかった。結婚する人以外うちへは一切連れてこなくていいと言い放たれたこともあったが、ようやくここまで辿り着けた。分かってもらえる、かもしれない。

長い長い思春期を終えようとしている。親も私も少し丸くなったように思う。19歳で家を出て以来、家族といる時の自分のことがあまり好きではなかったが、初めて少し気を抜いて過ごせたような気がする。安心した。思ったほどじゃなかった。もう少し帰ってもいいのかもとか思う。けれど私の暮らしはやはりそう穏やかには続かなくてさすがだった。新年二日目、想定外の方向から切りつけられ、混雑した高速を、東京駅までの2時間ちょっと、鼻を啜り続ける羽目になる。マスクもタオルハンカチもぐしゃぐしゃで、手持ちのポケットティッシュは使い切った。信用の置ける友人に連絡を入れておく。全部私がいけないのだろうか。一生懸命に生きているつもりでも、他の人から見ればだめだめで、下手くそで、叱られてしまう。おまえがかぞくをこわしていると、言われているような気がした。せっかく上手くいきそうなのに。丸二年かかってやっとここまで来たのに。家族って、家って、終わらない地獄なのかな。

私が泣いても、彼は動じない。全然動じない。話は聞いてくれるけど、どちらの立場にも立たないし、真っ向から意見したりもしない。私を立てて励ましたり、慰めたりもしない。どうしてだろうねえ、って、電車に乗りながら一緒にちょっと考える。駅に着いたら忘れて話が途切れるくらいの軽さで、あっちからは追ってこない。私がまた話したら、また聞いてくれる。LINEの返信を、送る前にチェックしてもらった。この人は友達じゃないのにそういう信用が置ける。頼っていいと思った。そういう人と付き合ったことほとんどなかったから、付き合っている人をそういう風に頼れるのが不思議だった。私の文章に目を通して、ちょっと謝りすぎてくどいかも、と言われて、素直に聞き入れることができた。友達の言葉は信じていられる。彼は友達じゃないのに信じていられる、気がする。

人といることで傷つくのと、人といることで救われるのとを繰り返していくしかないのだ。友達は自分で選ぶ家族だ。付き合うっていうのは生活を共にすることだ。傷ついてもいいよ、自分を信じられなくなっても、そばにいる人たちを信じていられたらちゃんと私は大丈夫になれるから。信じるのやめちゃダメだよ。帰る場所忘れちゃ、見誤っちゃダメだよ。誰かひとりに明け渡したらダメだよ。

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