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転勤族の妻たち諦めないで。天職に出会える時代がきた ー主婦から月間1,000万PVのメディア運営へー

#天職だと感じた瞬間

「天職」というとキラキラとしていて、夢を掴んだ!という響きがあるかもしれませんが、私の場合、歩んできた道はとても泥くさく、思い返せばかれこれ25年もかかっています。

私は主人が転勤多めの会社に勤める転勤族の妻、いわゆる「転妻」として結婚以来25年過ごしてきました。

転勤は2年に一回。
既に10回以上の引っ越しを経ています。
関東から沖縄、四国まで「慣れたら引っ越し、慣れたら引っ越し」を繰り返し、その間に出産子育ても加わり、「働きたいな」と思いながらも1か所に腰を据えて仕事をするということが長年叶いませんでした。

そして今もたくさんの転勤族の妻たちが私と同じように、「働きたいな」と思いながらも、なかなかきっかけを得ることができずにいるかもしれません。

そんな方達に伝えたい。
「転勤族の妻でも働ける(働きやすい)時代が来たよ」と。

それから、自分が希望する職種や部署に配属されずに「自分のやりたいことはこれじゃない」と悶々とされている方にも伝えたい。
「ちょっとだけ前向きに取り組んでみて、きっとそれが後々天職に活きてくる」と。


自己紹介

こんにちは月間1,000万PVのアマチュアサッカー情報サイト運営、大会ライブ配信を手掛ける株式会社グリーンカードの統括副編集長江原です。

こちらのnoteでは2016年当時パート社員として株式会社グリーンカードに入った私が、福岡県の端っこ「糸島」の会議室で代表の羽生、社員2名、東京在住の完全リモート敏腕編集長の水下、という最小部隊編成の中で、
スタートアップ企業が大きくなっていく過程を共に歩み、
目の当たりにしてきたことを基に、お話ししていきます。
(※内容は会社の見解ではなく、個人の感想・見解です。執筆は会社の許可を得ています。)

今回は #天職だと感じた瞬間 というお題に参加してみたいと思います。

以前からグリーンカードでのお仕事は自分にとって「天職」というか、「子供の頃からやりたかったこと、今まで経験してきたこと、全てが繋がった」と感じていたので、ここでこのお題に巡り合ったのも運命では笑と感じています。

現在の仕事はスタートアップ企業で月間1,000万PVのメディア運営統括副編集長

まずは、私の現在のお仕事を紹介させてください。

子どもが小学校高学年になり、少し時間ができてから株式会社グリーンカードにて現在進行形で6年間お仕事をしています。

業務内容は、ライティング、インタビュー執筆、記事の添削や校正、編集といった「ライター系」のお仕事から、スタートアップ企業ですから、若者が入ってくれば研修やOJT的な仕事、広報、新しい事業についての企画、Word  Pressを使ってのHP制作、マーケティングや営業寄りのことなど、なんでもやっています。

そして、今、この「なんでもやってみる」というスタートアップならではのお仕事環境が「天職」であり、「子供の頃からやりたかったこと、今まで経験してきたこと、全てが繋がったなぁ」としみじみ感じられるのです。

「瞬間」かと言われれば、難しいのですがこのしみじみした感じが、私が #天職だと感じた瞬間 です。
詳しく説明していきますね。

好きなことはどこかで繋がる。無駄なことは何もないからなんでも挑戦すべし。

東京の大学を卒業してから新卒、そして転勤族の妻として過ごしてきた私の社会人人生、色々な会社で、さまざまな経験をさせてもらいました。

今振り返ると、その全てが無駄なことは一つもなかく、今のスタートアップ企業での仕事に役立っているなと思います。
一つずつ振り返ってみたいと思います。

新卒時代 ー営業とインタビューの類似点ー

私が就職活動をしていた1995年ごろというのは、いわゆる「超氷河期」でした。
第二次ベビーブーム世代のため、同級生は200万人くらいいます。
私の息子世代は同級生が100万人くらいですから、その差100万人!
その上、景気の影響もあり採用人数が絞り込まれていたのが「超氷河期」でした。

そのような状況の中、「東京で一人暮らし」「女子大生」「コネなし」だったので、東京に残るには「総合職」か「営業職」以外の道はありません。(一般職は基本実家から通える人が対象の時代)

がむしゃらの就職活動の結果、内定を頂いたのは某一部上場リース会社(金融)の総合職でした。

ここでは新宿支店に配属され、先輩社員の下でルート営業+新規開拓に取り組みました。

まずここで、法人営業の基本を叩き込まれました。
新宿支店に女性総合職が配属されたのが初めてということもあり、先輩方も「どうやって育てたらいいんだろう?」という戸惑いがあったと思いますが、OJTのIさんをはじめ皆さん、とても熱心に指導してくださいました。

Iさんには毎日営業先に同行し、挨拶の仕方から、アイスブレイク、クライアントとの距離感の取り方、商談の仕方、準備、上司への報告や相談、貸借対照表や決算書の読み方や与信の仕方、ありとあらゆることを学びました。

とても明るくて、面白い、トーク力抜群のIさんは芸人さんでもいけるのでは?というタイプの方で、いつもクライアントさんたちを笑わせて、和やかな雰囲気を作り、情報を引き出し、レスポンスは鬼のように速く、しめるところはきっちり閉めて数字を上げる新宿支店のエースでした。
Iさんから学んだお仕事スタイルが、私の社会人としてのスタイルの基盤になっています。

一番驚かされたことは、Iさんの事前準備の厚さ、クライアントさんへのギブ&ギブの精神。

例えばクライアント先の毎日の情報収集やクライアント担当者さんについての情報収集は、え、そこまでやるんだ!というくらい徹底していました。

ですから、訪問先で「この前実はうちの会社はね・・・」という話が出た時にも、「あ、◯◯についてですね、あれはここに興味持っていたところでした、ぜひ詳しく教えてください」というように、話題を深めて、新しい情報を引き出していました。

先方も「そこまで知ってくれているんだ!」という嬉しいお顔で、進んで話をしてくださっている様子がわかりました。

このIさんの姿を見られたことは、実は私がライターとしてインタビューをするようになってから、すごく役立ちました。

インタビューでは、いかに相手から新しいネタや深いエピソードを引き出せるかが鍵です。

その時に、このIさんから学んだ事前準備や挨拶の仕方、アイスブレイク、クライアントとの距離感の取り方、質問の深め方がインタビューの仕事でとても役立ちました。

そしてIさんには
「クライアントは正直どこの会社と契約しても、サービス内容は変わらない。だったら一緒に働く時間が楽しい担当者と働きたいよね。自分を助けてくれる担当者と働きたいよね。だから、いつでも感じよく。こちらからできることはどんどんしてあげて」
と言われました。

このサービス精神、相手にどんどん「ギブ」を重ねていく精神は今でも一番私の心に残っています。

頼まれていなくても
「御社に役立ちそうなニュースがありましたので」と新聞の切り抜きを送ったりすることもIさんから学びました。

実際に役立つかどうかは別として、「いつも気にかけてくれている」ということは先方にとって「大切にされている」と感じて、絆が深まります。

鬱陶しいと感じる人もいるかもしれませんが、これは今でも社内のグループトークに、社員たちに役立ちそうな情報を投げ込むということで継続しています。

右も左もわからない中、クライアントさんとの仲が深まったり、新規開拓で新しいクライアントさんが増えたりすることが楽しくて、夢中で働いているうちに、2年目には達成率で全社の上位に入ったようで、社長賞をいただくことができました。

終電まで仕事をしている日もたくさんありましたし、体力的にとてもキツかったけれど、社長賞を取るほどに働けたのは、「楽しかったから」ということにつきます。
仕事で成果が出る時は「楽しめている時」なのだと思います。

取引先の方と打ち解けて、お話をできるようになっていくことが楽しくて、「誰かのお話を聞く仕事が好きだなぁ」と思ったことも、今のインタビューの仕事につながっています。

また、今の会社で新しくチームのHP制作事業を始めようか、ということになったときにも、まだ社員数人の時代で営業担当者がいない中、自分でチーム関係者に説明して営業する、ということに壁を感じずできたのは、営業経験があったからでした。

結婚後は転勤続き ーメガバンクの後方事務ー

さて、次は結婚後のお話です。
先ほどから述べているように、転勤族の妻となり、2年に1回の転勤を繰り返してきました。

その中で一番長く働いたのは、出産前に働いた某メガバンクの後方事務(派遣)です。
このメガバンクでは大阪の支店と東京の支店と二つの支店で合わせて7年間働きました。
特に東京は市ヶ谷という超都心で忙しい店舗であったこともあり、とても多くのことを学びました。

新卒時代の総合職と打って変わって、後方事務というのは「支える側」の仕事です。
また、銀行業務というのは「一円たりとも間違ってはいけない」「すべての業務はマニュアル通り。自分のやりたいようにやるのは絶対にNG」という世界です。

ここでは、「いかに正確に、速く作業をこなすか」「次の人が仕事がしやすいようにどれだけ気を利かせるか」という事を毎日考えていました。

考えていた、というよりも、そのようにやらないとお客様が多すぎて、仕事が回らないのです。
考えざるを得ない環境だったので必然と考えさせられたのです。

銀行でのお仕事は、今の業務の中でのメディア運営で「正確かつスピーディにデータを反映する」「周りの人が仕事をしやすいように考える」ということに直結しています。

メディア運営の中では、「正確」であることが信用の源です。
正確にできていて当たり前ですから、そこは銀行業務と同じだなぁと思います。

どれだけ正確に、と思っていても、人間にミスはつきもの。
銀行業務では「ミスが起きても必ず発見される仕組みづくり」がされていました。
この考え方を知ることができたのは、とても役に立ちました。

最初から「ミスは起こる」という前提で仕事を考えておくと、ミスを発見できる体制を構築しておけるのです。

株式会社グリーンカードではたくさんの大会の公式サイトを制作運営していますが、必ず目を変えて確認をすることや、二重チェックなどの発想は銀行での仕事から発想を得ています。

結婚後は転勤続き ーフリーライター編ー

銀行で働いた後、妊娠出産を経て子育て期に入ります。

子どもが小さい頃は、旦那様が忙しく土日も家にいないこともしばしばのワンオペ状態でした。
周りに知り合いもいない見知らぬ土地での生活は、子どもが小学生になるまでは生きていくのに必死という感じ。

子どもが小学生になり、ようやく一人の時間が増えて、さて何かしたいなと思いました。

その頃、急速に広がっていたのが「クラウドワークス」や「ランサーズ」でした。

パソコンひとつで受注や納品ができるということで、これなら転勤があっても、子どもがいても好きな時間にできる!ということで早速お仕事を開始します。

始めたのはライター業です。
未経験でも始められるのがいいところ。
単価は1文字0.1円というところから始めました。

私自身は子どもの頃から文章を書くのが大好きでした。
作文集は他の子よりも3倍くらいの厚さになるようなタイプです。

自分が納品したものが成果として認められ、お金になる。
これは本当に嬉しいことでした。
それまでは、お母さん業としての自分しかいなかったのですが、ほんの少しでも社会とのつながりを感じられ、「私も社会人だったんだなぁ」と思ったりもしました。

徐々にコツを掴み、単価もじわじわと上がってきて経験値を重ねてから、次は企業との直接のライター契約を探しました。
ここでも営業経験が役に立ち、直接企業に営業に行ったりもしました。

とあるメディアとご縁ができ、引越しや子育て、教育などについてのコラム記事を書かせていただきました。

そのメディアでは自分の執筆した記事がYahoo!ニュースに流れるなど、ドキドキワクワクするお仕事でした。

お題の設定も任せていただけていたので、何がこの季節に読まれそうなのかを考えて記事を書けたことも、自分達で特集を考えたり、新しい企画を考えることの多い、今の仕事に役立っています。

記事が広告にならないためのレギュレーションなども学べ、webメディアのお仕事の基本を教えていただけたことも、一から自分達で作り上げていくメディア運営の中で活かされています。

今の会社へ ーリモートの時代到来ー

そしていよいよ、今の会社、株式会社グリーンカードに出会います。
この会社も最初はライターとして入りました。
すごいなと思ったのは、全国のライターがLINEワークスを通じて、チャットでやり取りを完結させていることでした。

実際、6年も働いているのに全国のライターさんとはほとんどの方が一度も会ったことがありません。

でも、毎日のようにやり取りをして、すぐ隣に席があるかのような近い気持ちで働いています。

途中から社員になり、出社するようになりましたが、それでも週の半分はコロナの前からリモートで仕事をしていました。

ネット環境が整ったこと、さらにコロナでZOOMなどで会議が行うことが一般的になったこと。
これは転勤族の妻たちにとっては、大きな大きなチャンスです。

テレワーク活用で1週間あたり8時間以上伸び、男性との差も縮まったことがわかった。子育てと仕事の両立や残業増加など課題はあるものの、女性が働く機会を広げる効果が出始めている。

日本経済新聞電子版 2022.10.23

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCA069VV0W2A001C2000000/

日経新聞の記事によると、テレワークの普及で女性の就業時間は週に8時間伸びたそうです。
わかります、通勤に時間をかけずに即仕事ができるのですから。

一方で女性のテレワーク利用率は1割ほどで、男性の半分にとどまっているそうです。
これは本当に勿体無いことだと思います。
特に働きたい転勤族の妻の皆さんには、テレワーク(リモートワーク)を活用してもらいたい。

引越し続きでも、ネット環境さえあればどこに住んでいようとも、変わらず働けるのです。
雇用する側も、そうしたネットを介した仕事のやりとりに慣れたのも大きいと思います。
ぜひ、臆せず飛び込んでみて欲しいなと思います。

やりたい仕事ができていない、と嘆く前に

小さな頃からのやりたかったことに、少しずつ近づいている不思議

このようにしてあちこちで得てきた経験値が一つになって、今のお仕事につながっているのですが、不思議なことに、小さな頃から「なりたいなぁ」と思っていたことに、じわじわと近づいているのです。

小学生の頃から文章を書くのが好きだったので無邪気に「新聞記者や雑誌のライターさんになりたいなぁ」と思っていました。
けれども、大人になると新聞記者や雑誌記者なんて、とてもとてもなれるものではない!という現実が突きつけられました。

しかし、このインターネット時代の到来で、新聞記者や紙媒体のライターは無理でも、こうして文章を書く仕事に就くことができています。

また、中学校・高校時代に運動系部活一筋の生活を送っていたため、「大人になったら何か部活やスポーツに関わる仕事がしたいなぁ」とぼんやりと思っていました。

「何か部活やスポーツを支えるようなサイトの運営ができないかな」と20代の頃に思った時期もありましたが、その頃は自分にHPを作る技術も、運営するノウハウもなく、現実からは遠い遠いところにありました。

しかし、これも今、「スポーツメディアの統括副編集長」としてスポーツに関わるサイトを運営し、チームのHP制作と運営サポートという業務で「部活を支えるような」仕事をしています。

これは本当に不思議だなと思います。
子どもの頃に興味があったこと、やってみたいなと思っていたことが、少しずつ形は違うとはいえ、ほぼ叶ってきているのです。

これは運が良かったのかもしれませんし、偶然が重なったのかもしれません。

けれども「好きなこと」「興味があること」を選び続け、食わず嫌いをせずに、その場その場で自分ができることを少しずつ増やしてきたから、ある日目の前に現れた機会をとらえて形にすることができたのかもしれません。

私の思う「天職」とは

今、自分がやりたいことが仕事としてできていない、と悩んでいる若い方達も多いと思います。
私も30歳前後は「自分は一体何をやっているんだろう。これが何になるんだろう」と思った時期がありました。

けれども、「天職」とはある日急に出会うものではなくて、自分ができることを少しずつ増やし、「好きや得意」と「できること」の円がじわじわと近づいて、二つの円が重なったときに、その重なった部分が「天職」になるのではないかと思うのです。

ですから、少しでも「できることを増やす」というのが良いと思います。

どこの職場でも、どんな仕事の中にも学べることがあります。
そのつもりで見てみると、無駄になることは一つもないと思います。

その時は「これが何になるんだろう」と思っても、ここで何かを学べることはないか、身につけられることはないかと考えて欲しいのです。
職場からも、職場の周りの人からも学べることはたくさんあります。

「ここで自分は何をやっているんだろう」と思った時は、一回「ここで何か学べることはないか」と振り返ってみてください。
そして、「十分学びきった」と思ったら環境を変えるのも良いと思います。
でも、それは一度前向きにしっかり取り組んでみてから、でも遅くはないと思います。

長くなりましたが、#天職だと感じた瞬間 終わります。
最後まで読んでいただきありがとうございました。









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