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【えーる】水のまち、鹿野

山口県周南市鹿野。山間の台地に存在するふるさとを語る時に、水という存在は欠かすことのできない要素の1つだ。

人間の生活に水という存在は欠かすことのできないものであるが、子どもの頃から、都会では想像もつかないほど多くの”水”に囲まれてきた。
絶えずわき続ける山の湧き水、初夏の頃には田んぼいっぱいに張られた水面が多くの命をはぐくみ、川遊びにも何度足を運んだかわからない。田舎町ゆえの清流は、常に自分の傍らにあり続けたものだった。

ふるさとの魅力を、と問われると、まずは四季折々の風景がまっさきに挙がってくるものであるが、それよりもっと深く、たった1つだけの要素を何か挙げろと言われれば、自分は”水”になるのではないか、と考えるのだ。

高校になり、校舎に備え付けられていたウォーターサーバーを、自宅の水道をひねる感覚で飲み、そのあまりのまずさに驚いたこともある。
さすがに川の水をそのまま飲もうとまでは思わなかったものの、川の淵に立つ巨大な岩から水深数メートルの川面へダイブするような遊びをしていれば、少しは飲んでしまっていただろうが、それでも腹を壊すようなことはなかった……ウォーターサーバーの水を飲んだその日のうちに、腹を下すような状況に陥ったというのに、である。

冒頭の写真は、鹿野の台地に掘り抜かれた用水路……これは360年余りがたった今でも、立派な農業用水として使用され続けているものである……から流れる水だ。川から流れ込むこの水は、田んぼがなくなり町なかに入り込んだあたりになっても、ひんやりと心地よい。
夏に足湯ならぬ足水をイベントで実施したときに体験したが、すっと汗が引くほどに冷たい水は、夏のジリジリと焼け焦げるような日差しで火照った体をすっと涼めてくれるのである。

夏の風物詩

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水は人間以外の生命にも大きな恩恵を与えている。
それを一番わかりやすく感じさせてくれるのが、6月になると舞うホタルたちである。

わざわざホタル狩りのために自動車を走らせ、同じような目的で集まった人たちと密な空間を作りながら、ホタルを見るような必要はない。歩いて2~3分の川面を覗けば、いくらでもホタルなんて見かけることができるのだ。
それどころか、自宅で電気を消していれば、部屋の中にホタルの方から入って来てくれる。ホタルの方から、わたしを見て、とやって来てくれるのだから、これほど手軽なことはないのだ。

もちろん、ホタルスポットと呼ばれるような場所に比べればささやかな量である。それでも、自分の生活のすぐそばにホタルがいる、ということを実感することができる。ホタル狩りという非日常に、あえて踏み出す必要はないのである。

大人から子どもまで、皆が楽しむ場所

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川はホタルを楽しむだけの場所ではない。
子どもの頃、夏になれば友人と集まってプールに行くか、もしくは川で遊ぶようなこともした。川の水はプールとは違う。場所によっては水温がグンと冷えたり、流れが強まったり、一定ではない。遊泳許可区域は数ある川でも限られてはいたものの、許可の出た区域でも、水をためた人工の施設とは違う様相を見せるのだ。

大人になると、さすがに水着姿で川に走る、なんてことはなくなるが、川面に足をつけて涼を取るぐらいのことはよくやる。

釣り好きな方であれば、川魚を釣ろうと長い釣り竿を向けている人も見かける。自分はあまり釣りには興味がないせいか多くを語ることはできないが、それでも子どもの頃には、家族の誰かの知人がバケツいっぱいのアユをおすそ分けしてくれたこともあった。
いただいたアユを串にさし、塩をふって焼けば、アッサリとして美味だ。内臓側はとても食べられなかったので、背中側の限られた場所ばかりを口にしていた記憶がある。

マンガの舞台でも、水遊びと言えばプールか海ばかりで、川といえば遊泳や釣りというよりもキャンプやバーベキューの添え物になることが多いのだが、川も立派に泳げて魚も取れる場所だ。
海の方が塩分で気持ち悪くなることを思えば、川の水の方がずっとサラサラしていて気持ち良いものである。

肌が痛い季節

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そして、水はこれからもう1つの顔を見せる。
冬になれば氷点下の珍しくない、氷点下1桁はほぼ毎朝、寒い時には氷点下10度にも達する地域ゆえ、積雪もそれなりにあるのだ。
とはいえ昔に比べれば随分と穏やかになったものだから、昼になれば道路の雪はだいたい解け、土の露出した田畑に白が残る。遠くの山々もうっすらとした雪化粧で、ゴテゴテに厚化粧をすることもない。
ほどよい雪景色を堪能できる場所だ。

だが、朝晩の冷え込みは相当なものである。
朝、玄関の凍結に気を付けながらそっと戸を開けると、肌に突き刺さるような寒さが叩きつけられる。野菜など、冷蔵庫に入れるよりもよっぽど低温で保管できるような寒さは、鹿野ならではのものだと感じている。

海に近い街もそれなりに寒いとはいえ、鹿野に比べれば「ぬるい」のだ。鹿野を出て久しい自分でも、数分なら真冬でも半袖で外出できる。以前の住居なら、コンビニまでの約2分の道のりを、上着を羽織るのが面倒だからとつい半袖で歩いていたこともあった。

そんな寒さが、しかしどこか懐かしく感じてしまう。
物足りない、とでもいうべきだろうか。雪も降らない、氷も張らない、そんな市街地が、自分には何かが欠けているような印象にしかならない。

子どもの頃からずっと見ていた、12月になれば毎年のように雪が積もって地面が白く染まり、空が鉛色に曇っているあの景色こそが、冬というものだったからだ。

周南市を支える水

鹿野の水は景色だけにとどまらない。
周南市には、しゅうなんブランドという市内の特産品を集めたカタログがある。

この内訳をざっと数えてみた。令和2年11月の時点で掲載されていたカタログに、合併前の旧二市二町別の地域別特産品が掲載されている。

一番多いのは、50品目を持つ、周南市になっても市の中心部である徳山地区。鹿野は、その次に多い30品目のブランド品を抱える地域だ。それどころか、徳山地区に分類されている酒類は、良く説明を見ると、9品が「鹿野の水」を使って作られ、同じく徳山地区に分類される肉みそ3品の、肉を製造しているのは鹿野の企業だ。

地区独自で30。特産品の製造に関わるものが12。103品目のうち42品、約4割に鹿野が関わっている。

人口14万弱の周南市で、2,800人ばかりしかいない、約2%の人しか住んでいない地区が、ブランド品の4割に関わっていることになる。

その鹿野に絡む特産品も、ワサビや、酒に使われる水など、とかく水に関連する品が多数ある。

水は景観だけではない。
食という要素にも、深く関わっている。単なる飲用ではなく、特産品をはぐくむための要素として。

まちづくりに、水を欠かすな

自分が鹿野の情報発信を始めて、気が付けば干支が一周しそうになっている。
自分が発信を始めたきっかけは、このnoteの自己紹介として掲載したこのページを見ていただきたい。

また、活動の即席については、ここで長々と語るより、ホームページを見ていただいた方が早いだろう。

だが、今、情報発信についても次のステップを考える時期に来ているように思う。

鹿野を発信して12年目であるが、活動の目的は、鹿野地域内、または地域内外の個人や団体=点をつなぎ、線にすることにある。
その線を作ってどうしたいかというと、鹿野という地域の存続にあてたいと考えている。
交流人口は当然としても、もはや鹿野に存在する点が消え始めている。交流する受け手がいなくなりつつある。
だから、人を増やさねばならない。
点と点を結んで線とする、その活動の究極は、鹿野地域の人口増加にある。
そうするために何ができるか、具体的に考え実践する時期に来ている。

まちをつくり、人口を増やすためと言っても、巨大なビルを作るとか、山を切り開くとか、都市建設的な開発はできない。
鹿野の魅力をないがしろにする方法は、たとえ人を呼べても地域を殺す。
水の町から、水を奪うような方法は絶対にとってはならない。

ふるさとの魅力をそのままに、人を増やす。
きわめて難しいテーマであるが、今挑まなければ、ふるさとは消えてなくなってしまう。
人生を賭けるに値する難題が、目の前に突き付けられている。

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