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【えーる】さらば、思い出の公民館

鹿野を応援する地域情報紙「えーる!」第74号を発行した。

今回取材したのは、周南市役所鹿野総合支所の移転場所となったことから、解体する方針を示された旧鹿野公民館への感謝を込めた催し「ありがとう公民館」である。

鹿野公民館の軌跡

冒頭にある古い写真は、昭和42年5月、当時町制であった旧鹿野町の広報に掲載されていたものである。

”鹿野町らしい”と評された、ワラ家をイメージした外観の公民館は、図書館機能やさまざまな町民活動の舞台として使われていたそうだ。
自分がこの世に生を受けるよりずっと前の話であるから、当時どのような評価を受けていたかを知ることはできない。ただ、長く町民に愛されてきたことは間違いないだろう。昭和53年には新館部分が増築されている。

この公民館の利用方法で驚いたのが、結婚式としての利用方法だ。
簡単にネットで検索してみると、現在ではどちらかと言えば否定的な……金がないとか、何か事情があるとか、そういう点が挙げられてしまっているのだが、一世代上の方々のエピソードにはよくこの場所を使っての婚礼の話が出てくる。

いわゆる人前式で、皆で祝い、騒ぐセレモニーであったのだろう。結婚式場があちこちにできた今では否定的な見かたをする人もいるのだろうが、地域住民の皆が夫婦を祝い、新しい家族の誕生を祝うというのも、田舎ならではの温かみのあるエピソードではないかと思う。

もしかすると、こうした「地域での祝い」が、地元住民の結束を高めるのに一役買っていたのかもしれない。今ではフォトウェディングや少人数の家族だけで行う結婚式も多く聞くようになっているし、数十人規模の結婚披露宴を行うとしても、そこに地域住民……例えば自治会の仲間であるとか、ご近所さんであるとかを呼ぶということはまずないだろう。
結婚式の性質自体が変わってきているのだろうが、かつては家族だけではなく地域みんなで祝っていたのかもしれない。

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話は公民館からそれるが、3年前、田んぼの中に式場を準備し、地域住民が集まって夫婦を祝福する、という、ガーデンウェディングならぬ田んぼウェディングが行われた。

家族ではない、ご近所さんが集って行われた式には、温かい祝福が満ちていた。仕事の視察を兼ねて足を運んでいたのだが、なるほどこのような形式の式もあるのだと感銘を受けたものである。

とにかく、鹿野公民館もこうした地域住民の交流の場となっていたのだろう。

バザー、オークション、ビデオ上映に、公演

さて、話を催しに戻そう。

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「ありがとう公民館」の当日は、野菜販売や不用品のバザー、公民館に保管されていた古道具のオークションなど、午前中には物品販売の場となっていた。

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自分もせっかくなので、古道具の入札を行ってみた。一番ほしかった衣類を入れるためのカゴは別の方が落札していったが、小物入れを競り落とすことができた。ただ購入するだけとは違う、オークションという方法にはついつい熱が入ってしまう。あれもこれも、と目移りしてしまった。

午後からは、まず町の商工会が制作した鹿野町のプロモーションビデオを見た。平成初期の頃であろう、自分にとっては子ども時代を思い出させてくれる懐かしい光景。古いビデオであったため、何度も再生が止まってしまうなどというアクシデントもあったが、昔を思い出す時間をたっぷりと堪能させてもらった。

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そして、催しの最後を飾ったのは、市民劇団である劇団「わ」の公演である。2001年から活動を開始した劇団「わ」は、16回の公演のほとんどをこの鹿野公民館で行ってきた。鹿野のさまざまなイベントや、将来への思いを取り入れた脚本を、4人の演者が熱演。公民館機能を別の施設に移した後も、劇団「わ」は事あるごとにこの公民館で公演を行ってきた。そんな彼らだからこそ、この催しの最後を飾るにはふさわしいと感じた。

成人式以外の思い出

さて、「えーる!」本紙では成人式を公民館の思い出として書いたが、実はもう1つ、思い出がある。

記憶がおぼろげだったのであえて書かずにおいたことなので、記憶違いがあるかもしれないが、実は中学校の頃、劇団「わ」と同じこのステージで、自分も演劇をしたことがあるのだ。

文化祭の催しの1つで演劇班に所属していた自分は、この舞台に役者として立った。本番でアガらないように、ひそかにセリフの練習を繰り返したり、舞台の立ち位置を何度も繰り返したり……昔から一発で全て覚えきれるような天才肌ではなかったから、とにかく何度も練習した。

成人式や、えーるとしての活動の話を紙面に書いたものの、最初に関わった記憶は中学校の演劇だろうと思う。まだまだ昔にさかのぼることもできるかもしれないが、さっと思い出せるのは、これが一番最初の記憶である。

そして未来へ

公民館を解体した跡地に市役所の総合支所が移転する方針が示されているが、これからこうした演劇やバザーのできる場所はどう確保されるのだろう、とふと思う。

幸いというべきか、この付近には公民館機能を受け継いだコアプラザかのや、小中学校がある。
これまで、催しといえば1カ所の施設で行うことが常であったように思う。だが、これだけ近隣に施設が集っているなら、この一帯を会場として催しを行うようなこともできるのではないだろうか。

小学校の体育館にはステージがある。劇団「わ」が演じた講堂のステージの代替を果たせるだろうし、コアプラザかのはもともと宿泊もできる施設を利用している広い部屋がいくつもある。雨が降っても十分対応できるだろうし、駐車場は広いから野外のバザーにももってこいだ。

新しく建てる庁舎は、あくまで行政施設になる。今までと同じように利用することはできないだろう。
ならば、周囲を見回して、使えるものは使っていく、というスタンスで臨めば、コンパクトに建て替えが進み、町の中核としての機能も果たすことができるのではないだろうか。前例踏襲も重要であるし、これまでの歴史を踏まえたうえで町の設計は行っていくべきであるとは思うが、それにとらわれ過ぎてもいけないと考えている。

これからこの公民館(の跡地)と周辺施設がどうデザインされていくのか?
それを、見守っていくことができれば……あわよくば、かかわることができれば、と思う。

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