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【えーる】未来まで響け、冬花火

「えーる!」第75号(https://yell.link/yell/yell_75.pdf)を発行した。
今月号では、令和3年12月11日に29回目を迎えた、かの冬花火「銀嶺の舞」について紹介した。

昨年と同じように、小・中学校のグラウンドにずらりと車が並ぶ。ドライブインシアター形式での開催も、2回目になると慣れたもので、去年と同じような感覚だな……と思いながら車を誘導に沿って並べていく。
車内で映画を鑑賞した後、催しの最後を飾る花火が上がる……昨年と変わらず行われる「銀嶺の舞」を心行くまで堪能することができた。
イベント自体は、2つのプログラムで行われるもので、それほど特筆するべき点はないのだが、本稿ではそれを支えるスタッフたち、そのスタッフたちが創り続ける「銀嶺の舞」そのものに焦点を当てていきたい。

懐かしい人に会える場所

自動車の誘導を受けながら、そのほとんどが知人であることに驚いた。小・中学校が同じ同級生、職場の同僚や上司、地域活動で知り合った人……とにかく、知り合いがたくさんいるのである。

鹿野のことを発信していながら、鹿野に住んでいない自分にとっては、こうしたイベントで再会する知人たちの顔に、思わず笑顔が漏れてくる。なんだろう、帰ってきたな、ああ、自分は鹿野の人間なんだな、と感じさせてくれるのだ。

人口の多い大都市圏では、イベントに行って友人とばったり出会う、なんて奇跡的な確率は、同じ趣味で集まるようなイベントででもない限り、ほとんどないだろう。

「銀嶺の舞」は、花火を主にするイベントだ。特定の趣味の人が固まるイベントではない。それでも、鹿野のイベントにはたくさんの知人の顔が見える。まるで同窓会のように、かつてのクラスメイトと出会える。

だからこそ、また行きたくなる。
イベントはもちろんだが、何より故郷で暮らすみんなに会いたいから。

つなげ、次代へ

今年で29回目、1回目の開催の時にはまだ小学生だった自分も、気が付けばもう40手前の立派な中年になってしまった。
それほど長い間続いている「銀嶺の舞」は、12月の鹿野を語るうえで外すことのできないイベントの1つになっていると言えるだろう。

だが、当時の志ある若者たちが始めたこのイベントも、今のままで後何十年続けられるのだろうかと思うと、少し不安を感じてしまう。

当時の若者は、今、還暦を迎えようという年齢の方が大半になっている。
29年という年月は、赤ん坊が社会人、ともすれば新しい赤ん坊の親になるほどの長い時間だ。
体力と熱意にあふれた若者たちも、初老の域に差し掛かろうとしている。

鹿野は若者の流出する地域である。
こうしたイベントを継いで、子どもから孫の代まで続けていくための若者がいなければ、「毎年、花火が上がって"いた"んだよ」とこのイベントのことが伝えられることになるだろう。

中山間地域では全国共通の課題であるが、次代を担う若者たちがいなければ、すばらしい文化も終わりを迎えざるをえない。

まぁ、そんなお題目を並べる前に「お前が帰れ」になりそうではあるが。
この問題には、フリーペーパー発行と並行で何か考えていかなければならないのでは、と最近感じている。


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