ジャイアンみたいな私の中に、母のDNAはあるのか
「もしあなたが死にそうになった時、ママの心臓をあげて助かるならあげるよ」
「もしママとあなたのどちらかしか生きれないなら、絶対にママが死ぬから」
「大好きだよ、何があっても絶対に味方でいるからね」
母にはそう言われて育った。
私が熱を出せば「そんなに心配しなくても…ただの熱ですし…」と思ってしまうほど心配してくれ、「お友達に意地悪なことを言われた」と頑張って伝えた時には、一緒に泣いてくれて、解決するまで様々な手を尽くしてくれた。
自信がなくて内弁慶だった幼少期。
絶対的な愛をくれる母に、「私のこと好き?」とか、「私が死にそうになったらどうする?」とか、面倒臭い彼女かよと言わんばかりに聞いていた。
もちろん喧嘩をしたり突き放されたこともないわけでは無いけれど、必ず次の日には何もなかったかのように手を焼いてくれる。
そんな母のわかりやすい愛情は、確実に私を強くした。
大人になった私は、多分強くなりすぎた。
自分が何かにめちゃくちゃ優れた人間とは思わないけれど、「私のことを辛いめに合わせる環境にはいれないや」とバイトをやめたり、「私のことを愛してくれない男と付き合ってられるかい!」と男性と距離を置いたり。
近年よく聞く、「自己肯定感が高い人間が最強」というのが本当であれば、きっと私は最強だ。
自分ファーストで生きている。まるでジャイアン。血も涙も無いね、と友人に笑われたりもするほどだ。
自分が好かれているかどうかより、自分がどう感じるかを優先するようになった。そのお陰で人に執着することも無くなって、人間関係を築くことがとても楽になった。
友人、職場の上司、先輩、後輩。誰とも揉めず、気持ちよく一緒にいれるし、自分が整っていれば人に優しくできる。そして好かれる。
気の合わない人には自ら近づかないから、自動的に距離ができる。だから、好きな人しか周りにいない。
そんな感じで快適に生きる大人になれたのは、何度も言うけど唯一無二の愛情を注いでくれた母が、私の自己肯定感とやらを育ててくれたお陰だと思う。
しかし血の繋がっているはずの母の反面、あまりにも自分は冷たすぎるのではないかと悩んだこともある。
彼氏も、友人も、家族も、職場の人も、私の周りには大切な人しかいなくて、みんな大好きだと言えるけれど、
「もしこの人が死にそうになった時、自分の命をあげるかな」と考えたら「私もまだまだ生きたいし…」とほぼNOの考えが浮かぶし、「何があっても絶対味方でいれるかってのはあなたの振る舞い次第ですけど」って思って人と接している。
あんなに愛情深い母親の娘にしては、あまりにも辛辣で心が狭い。
母に愛されすぎて傲慢な人間になってしまったのだろうか。だとしたら、子育てって何が正解なのだろうか。
そんな風に、頭を抱えて悩むほどでは無いけれど、愛を与えまくる母とジャイアンのように自分ファーストな私を比べて、複雑な気持ちになるのだった。
自分の娘とはいえ、自分が代わって苦しんでまで、他人を大切にできる想像がつかなかった。
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一昨年の年末、彼氏と付き合い初めて1週間の時だった。
デート中に「おれ、持病があるんだよね」と、彼氏はいきなり暴露した。
「今から散歩行ってくる」くらいのテンションだったので淡々と聞いていたけど、後から調べたら未だに治す技術が存在しない不治の病だった。
“辛い時期”と“辛くない時期”の波があって、命に関わることはほぼ無いという。
付き合い始めたばかりの当時、“辛くない時期”の彼しか知らない私は何もピンと来ていなかった。
しかし付き合い始めて数ヶ月も経つと、彼の持病の“辛い時期”がやってきた。
彼が不調の時にはデート中であろうと何十分も待たされることが1日に何度もあった。
彼は私に当たったり、デートを中断しようと言うこともなかったし、
もちろん私も責めるようなことはしなかった。
彼が病を持っていても、たまたま好きになった相手がそうだったのだから仕方ないと、そのくらいに思っていた。
とある私がとても楽しみにしていた遠出の旅行の日。
彼は絶賛“辛い時期”で、デート中に何度も何度もトイレに駆け込んだ。
自分が辛くても、私を優先して一緒に楽しんでくれようとしていたけれど、ずっと体調は悪そうだった。
顔色を悪くする彼に「そんなに辛そうなら帰ろうよ」なんて言うこともできない。私はこう思った。
「私が変わってあげられれば良いのに」って。
確かにそう思った。自分ファーストの、まるでジャイアンの私が。
彼の痛みを私も味わえたら、今よりも彼の助けになるんじゃないか。
例えば半分でも良いから、辛さを分け合えたらいいのに。
1人で抱えないで。私にもっと頼ってくれたら。
初めて、そんな風に思った。
母は、こういう気持ちだったのか。
大切な人が辛い時、苦しい時、愛情が欲しい時、不安な時、寄り添いたくてああ言っていたのか。
辛い目に遭っている大切な人を、傍観することしか出来ない方がよほど辛かったんだ。
「命を交換してまで」のレベルにはまだまだ達せていないけど、ジャイアンだった私の中には、確かに母のDNAがあった。
そしてようやく、それに近づけるような愛情を注ぐ対象を見つけたということだ。
「ねえ、今日はすごく楽しかったし一緒に楽しんでくれたのもすごく嬉しい。けどきっとあなたの体調も良くないし、寒いから悪化しそうだし、少し早めにホテルに帰ろうか」
彼の辛さを現実的に代わってあげたりシェア出来ない私は、精いっぱいの言葉を探してそう声をかけた。
本当は母のように「何があっても味方だから」とか言いたかったけど、このタイミングだと「は??」って言われそうだから辞めておいた。
辛そうな彼のこと、ホテルに戻ったら「大好きだよ」って抱きしめてあげたい。
もしいつか子供ができたら、母のような母になろう。
大切な人が辛い時も、苦しい時も、代わってあげることはできないけれど
母のような愛し方で、自己肯定感をぶち上げてやるんだ。
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