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かえる場所

「居場所がなかった、見つからなかった」という歌詞に何度泣かされたのか、分からない。

平成うまれ、卍あゆ世代卍、の私の魂に、
深く刻印されてしまっている歌詞のごとく、
この12年ほど、自分の居場所を探してきた。


とにかく、この世はいろいろなもので
溢れかえってる。
足の踏み場もないほどに。

結局、この世に居場所はないのだ、という
結論に至った。
誰かに依存して居場所にするのも違う。
それは、かりそめの場所でしかないからだ。

「一人の孤独を噛み締めたら、
いろいろ諦めて、強さを身につけなれば。
とにかく、私は強くなりたい。
精神的にムッキムキになってやろう。」

そんな風に思うようになった。




沖縄に来たことで、
帰る場所があったことを思い出させてもらった。

場所は関係なく、
共に過ごした時間の長さも関係ないほどに、
濃密な思い出ができて、やさしさと、
愛に触れたから。

強くあらねば、というヨロイで
がんじがらめにされた自分は
沖縄の気だるいあつさに、溶けていった。

本当の強さとは、しなやかで、
柔軟性を持ったものだったのだ。



そっか、わたし、

「居場所がなかったのではなくて、
居場所を作ってこなかっただけなんだ」

気づけてしまえば、もう、
抜け出せる一歩手前に立てる。

簡単なことだったのに、
息ができないほどに、
自分を追い込み続けていた。



遠方に出向いて、
御所駅のホームに戻ってくると
「ただいま」と思うようになった。


正直に言えば、まだ、
この街がすきかどうかは分からない。

でも今、
この街の人たちに救われていることは確かだ。


わたしにとってのHOMEは
まだどこにあるのか分からない。

わたしにとっての家は

安心できるけれど、けっこう変で
安定しているけれど、
変わっていてオリジナルで
わたしはそれが大好き。

なんじゃないかな、と、ここ最近は、
考えたりしている。

そんな場を、共に作っていく人が
見つかる気もしている。

昨日、ちょうど友人と
話していたことと通ずるけれど、
これから自分が表現していくことや、
進めていくことは、
「共に学ぶ、共に遊ぶ」感覚で在りたい。

ね、最後はやはり、ここに帰着するのだ。

共に湯になり、揺蕩う体験
湯になるお手伝い

ともにゆになり
ゆのなかで

たゆたいましょう
なかのゆで

さあさあ
ねえねえ
ともにゆに


今日もおつかれさまです。
おふろにはいりましょうね。

♨︎

#この街がすき


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