意外な展開
私は文系でも理系でもありません。
そもそも文章を読んだり書いたりするのも、もの凄く時間がかかるため苦手です。
そんな私のメインの仕事はIT系ニュース記事を執筆するライターであり記事の編集もする編集者です。
ライターというのは資格制度や免許制度ではないので誰でもできる職業のひとつです。
媒体や編集部によってレギュレーションが異なりますし、文章には明確な正解・不正解がないものや曖昧な基準が多いです。
そのため、ライターとしての歴がかなり長い人であっても、どうしようもない文章を書く人はたくさんいます。
私が知りうる限り、Web系のニュース媒体はきっちりとした日本語研修や文章・記事、さらには企画の立案といった研修をやっているところはほぼなく、先人の書いた公開済み記事で似たようなテイストの記事を参考にしながら書くというのが一般的です。少なくとも私が10年以上やってきた経験からはそんな感じです。
新聞社系、紙媒体、Web媒体ではさまざまな部分でルールが異なります。もちろん芸能、社会、海外、経済、テクノロジー、ライフ、恋愛、などカテゴリによっても異なります。
そんな中でも比較的共通していると思われるのは「統一性」です。
たとえば、文末が「である調」なのか「ですます調」なのか。これは記事の中で「〇〇である」「〇〇だ」などのである調で記述するか、それとも「〇〇です」「〇〇します」などのですます調で記述するかということです。
記事の中でこのである調とですます調が混在することは例外を除いてはありません。
私はこのnote上ではですます調で書いていますので、もし過去の記事でである調があれば指摘してください。恐らくないと思います。
媒体によってである調とですます調は使い分けているので、日ごろから混在しないよう文末は意識して書いています。
そのため、混在した記事を見てしまうとめちゃくちゃ気になります。さすがに商用媒体ではほぼ皆無ですが、ブログやFacebookなどで物書きではない方が商用記事っぽく書いている中で、である調とですます調が混在しているのをしばしば見かけます。見つけてしまったときは、とんでもなく気になってしまいます。
どうやら私は、そういうのをサラッと流すことができるタイプの人間ではないようです。
しかし、言うてもである調ですます調の混在なんて滅多にありません。
私がもっとも気になってしまう混在というか非統一性表記があります。それは表記ゆれとも違うので非統一性という表現が当てはまるような気がします。
本当によく見ます。記事でなくてもツイートなどでもよく目にします。見つける度にとてつもなくストレスを感じますし、書いている本人はなぜ気にならないのかもまったく理解できません。
驚くべきことにライターと名乗っている方も結構な割合でいます。それを指摘する人は今までいなかったの?違和感を感じないの??なんなのチミたち!!くらいには思ってしまいます。もはや私は生理的に拒否反応が出るレベルです。
さて、なんでしょう?
(え?クイズ??)
(え?終わり??w)
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