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第53回 『ジマー・ランド』 ナナ・クワメ・アジェイ=ブレニヤー著

 こんばんは、JUNBUN太郎です!

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 今夜も「読書はコスパ最高のコスプレです」のお時間がやってきました。本は自分以外の人間になりきる最も安あがりな道具。この番組では、リスナーのみなさんから寄せられる、読書体験ならぬコスプレ体験を、毎週ひとつご紹介していきます。
 ではさっそくリスナーからのお便りをご紹介しましょう。
 ラジオネーム、マナブさん。

 JUNBUN太郎さん、こんばんは。
 僕はテーマパーク好きの大学生です。
 幼い頃、両親に連れて行ってもらって以来、大好きなんです。そこにひとたび足を踏み入れれば、それまでの日常をぜんぶ忘れて、ハッピーな気持ちに浸ることができる、まさに夢の国!
 そんな僕は、さいきん友人から、とある本の存在を知らされました。

「テーマパーク、好きだったよね?」

 なにやら意味深な笑みを浮かべる友人から手渡された本は、どうやら短編小説集のようで、目次にあるタイトルをひとつひとつ目で追っていくと……あった、これかな、

『ジマー・ランド』……?

 さっそく読んでみると、それは「正義」をテーマとした娯楽施設のようで、そこでアトラクションのキャストとして働くアフリカ系の青年アイザイアが、なにやら身支度しています。いかつい防具を体に装着し、目にはサングラスをかけ──そうしているうちにブザーが鳴ります。お客さんであるゲスト・プレイヤーがやってきたようです。
 ぼくはアイザイアになったつもりで(コスプレして?)その先を読み進めました。すると、そこにはとんでもない世界が待っているのでした──

 今日の人種差別という不条理を炙り出した近未来小説『ジマー・ランド』をまだ読んでいないというリスナーの方は、ぜひ読んでから、続きをお楽しみください!

 アイザイアは歩道をうろついています。すると、近くの家から出てきたゲスト・プレイヤーの男から、執拗に質問を浴びせられた末、とっと失せろ!と罵声を浴びせられて追い払われます。それでも男に近づいていこうとすると、男に拳銃を向けられ、ついに銃殺されてしまいました。
 え、殺されちゃった?
 僕は思わず息をのみました。──
 もちろん、銃は本物ではありません。体から吹き出す血も、偽物の血ノリです。そうやって1日に何度も殺されることが、アイザイアの仕事なのでした。

 ジマー・ランドは、「正義を行使する」ことを疑似体験することのできるテーマパーク。ゲスト・プレイヤーである客は、アトラクションの中で、ある日とつぜんテロに巻き込まれたり、自宅近くでギャングにからまれたり、といった危機的シチュエーションに遭遇することで、とっさの判断を迫られながら、正義を行使していくことを娯楽として楽しむことができる、そんなテーマパークなのです。
 ジマー・ランドのミッションは、以下の3つ;
1) 問題を解決し、正義を行使し、意思決定する安全な場所を成人に提供する。
2) 監督された極限状態の下で、ゲストが自分について学ぶ手段を提供する。
3) 楽しませる。
(作中より引用)

 大義としては立派なテーマパークのようにも思えますが、実際には、正義という名の下で、合法的に、人種差別行為をはたらくことのできる、いわば暴力の温床と化してしまっているのでした。

 アイザイアは、黒人ギャングとして、1日に何度も殺され、そして、その残虐行為は「正義」として正当化される。そんな風に働く彼は、一部の人々から、白人に迎合した黒人として、卵を投げつけられ、非難されもする。
 そんなに酷い仕打ちにあいながらも、なぜ彼はジマー・ランドで働き続けているのだろう?
 僕は初めそう自問せずにはいられませんでした。でも、その答えに思い至った時、僕ははっとしました。
 それはきっと、ジマー・ランドの外の現実世界においても、不正義がまかり通っているから、なのですよね……。同じ暴力を受けるなら、従業員としてお給料をもらえる方がまだマシではないか。彼は不本意ながらもそう割り切っているのではないでしょうか。
 でも同時に、まだ望みを完全には捨てていないのかもしれません。彼は、ジマー・ランドを運営する中枢部署になんとかアプローチして、アトラクションのルール変更を掛け合うんです。客であるゲスト・プレイヤーのみならず、従業員であるキャストにも相手を殺すことができるようにしたらどうか、とか、キャストは防具を装着せず丸腰にしたらどうか、とか、彼の要求するルール変更は過激で、無謀なことのようにみえるけれど、つまり彼はそれを要求することで、ジマー・ランドの提供する「正義」がいかに歪んだものであるかを言外に訴えようとしているんです。
 読んでいるうちに、胸が締め付けられるように苦しくなりました。

 こんなテーマパーク、なくなっちゃえばいいのに……。
 もちろん、ジマー・パークが架空のテーマパークであることはわかってます。でも、そこに存在する暴力にまみれた不条理な世界は、けっして現実とかけ離れた世界などではなく、いま僕たちが暮らすこの世界とさほど変わらないのではないか──そう思うと、ゾッとしてしまいました。
 太郎さん、いったい正義ってなんなんでしょう? 暴力はどうやったらなくせるんでしょう? ……色々と考えさせられる読書体験、いや、コスプレ体験でした。


 マナブさん、ありがとうございます。
 この短編小説は、『フライデー・ブラック』という短編小説集に納められた一編です。作者は、ガーナからの移民である両親をもつ新人作家。この作品で27歳でデビューするや、『ニューヨーク・タイムズ』など欧米のメディアで激賞され、いちやく有名になりました。
 この短編小説集に納められた作品の多くは、人種を巡って振るわれる暴力について書かれています。なかでも、『ジマー・ランド』の物語は、「ブラック・ライヴス・マター」運動のきっかけとなったトレイヴォン・マーティン射殺事件(2012年に発生した、フロリダ州在住の丸腰の少年が、アフリカ系であることを理由に地元の自警団の白人男性に射殺され、射殺犯の男性は無罪となった)をモデルとしており、作品のタイトルは、この射殺犯の男性の名前であるジマーマンからきているようです。
 暴力はいったいどうやったらなくなるか──。
 マナブさんが最後に投げかけた問いは、現代社会における切実な問いでしょう。その答えをみつけるヒントが、この本にはあるのではないかとぼくは思います。最後にこの短編小説集の解説を担当された、藤井光氏(英文学者、同志社大学教授)の言葉をご紹介します。

 現状を少し誇張しただけででき上がる、暗い未来の世界。『フライデー・ブラック』では、その想像力を書き手と読み手が共有することになる。そうして残るのは、この暗い未来に対抗する想像力を私たちは働かせることができるのか? という問いだろう。その問いは、経済格差の拡大が目に見える形で進行し、それと並行するようにして、いまだに根強い民族や性差による差別を擁護するような動きが目立つ二十一世紀の日本においても、ますます緊急性を帯びつつある。そのことに思いを巡らせ、応答することを、アジェイ=ブレニヤーの物語は求めている。
(解説より引用)

 マナブさん、またお便りしてくださいね!

 それではまた来週。

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