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第4回 『1R1分34秒』 町屋良平著

こんばんは、JUNBUN太郎です!

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 今夜も「読書はコスパ最高のコスプレです」のお時間がやってきました。本は自分以外の人間になりきる最も安あがりな道具。この番組では、リスナーのみなさんから寄せられる、読書体験ならぬコスプレ体験を、毎週ひとつご紹介していきます。
 ではさっそくリスナーからのお便りをご紹介しましょう。
 ラジオネーム、プッシーキャットさん。

 JUNBUN太郎さん、こんばんは。
 わたしは1歳児の母親です。

 取り上げてもらいたいのは『1R1分34秒』です。

 これをわたしは去年読みました。そのときお腹には子どもがいて、6ヶ月でした。産科からの帰り道、近所の本屋にふらりと立ち寄ったのです。店内をあてもなく歩きました。そのうち、文芸コーナーに平積みされたこの本が目に留まったのです。表紙にはボクサーの格好をした男のイラストが描かれ、本の帯には「なんでおまえはボクシングやってんの?」とまるで挑発してくるように記されていました。わたしは気がついたらその本を手に取って、レジに向かっていました。必要だと感じたんだと思います。直感的に、これをわたしは読む必要がある、と。

 あのときのわたしは苛立っていました。妊娠しているせいで襲ってくる眠気に飲み込まれそうになりながら、殺気を吐き出していました。まだ経験したことのない、これからやってくる痛みとか、苦しみとか、辛さだとか、そういうもの全部と対峙するために、耐え抜くために、わたしは、安直な発想かもしれないけれど、ボクサーの強靭な精神力と肉体を自分に叩き込みたかったのだと思います。そうして備えたかった。いつか必ず拳を交えることになることはわかっていましたから。

 負けが込んで追い詰められたプロボクサーが自らの心身の中で格闘する日々を描いた独白調ファイト小説『1R1分34秒』をまだ読んでないというリスナーの方は、ぜひ読んでから、続きをお楽しみください!

 

 太郎さん、男ってどうしてこんなにも愚かしい生き物なのでしょう? 負けた過去の試合を何度も思い返しては落ち込んだり、こうすれば勝てたのではないかと後悔したり、生きたいとか死にたいとか、考えても仕方のないことをいつまでもうじうじと考えては悩み、そして、逃げるように女を抱く。カワイイというだけで、いや、女というだけで抱いて、射精して、弱音を吐露し、おっぱいに顔を埋めて泣く。そして安心する。その自分勝手さ、体たらくさにうんざりして、情けなくなって、嫌悪がつのって、始めの内はなかなか小説の筋が追えませんでした。
 ところが何度も読み返し、そうしたダメ男っぷりがわたしの内で常態化してくると、次に拳を交える対戦相手への想いが、闘志が、まるで自分のことのように切々と生々しく体の内側に込みあげてきました。絶対に負けられない。ここで負けたら次はない。世界を変えるのだ──なるほど、そのようなギリギリの境地では対戦相手と夢の中で親友になってしまうことくらいなんでもないことなのかもしれません。わたしは自宅のベッドのうえで本の最後の頁を開いたまま、みえないはずの対戦相手の顔をじっと睨んでいました。

 出産はすさまじいものでした。1R、2Rというように区切られてもいなければ、時間制限もなく、休憩を取ることも許されずに、とめどなく、常に痛みの波が押し寄せてくる、それをただひたすらにふんばって耐えるのです。敵という相手がいるのではありません。自分の中に痛みがいる、あるいは、痛みの中に自分がすっぽりと包まれているような、とにかく離れがたい同体の感覚でした。そうした痛みに耐えるということにおいて、この本は残念ながら、助産師さんの掛け声ひとつほどにも役には立ちませんでした。けれどもそんなことはそもそも期待していませんでしたから、なんでもないことです。
 太郎さん、わたしがこの本に期待するコスプレ体験というのは、これから先の未来にあります。

 わたしには夫がいます。当然のことながら、娘の父親です。彼は娘を溺愛しています。育児への協力も、世間からしたら、育メンと呼ばれてしまうほど積極的なのかもしれません。彼は器用なのです。けれども、あれは妊娠がわかって安定期に入った頃だったでしょうか、わたしは知ったのです。彼に女がいることを。証拠もあります。でもわたしはそのとき彼を問い質すことも、非難することもしませんでした。いまも何もなかったように普通に暮らしています。端からみれば幸福なファミリーにみえるでしょう。小説の主人公がウメキチに試したように、わたしはいま彼を「ゲーム感覚で信頼」しているのです。でもさすがに最近「なんでおまえは夫婦やってんの?」と挑発して毒づく自分の心の声が聞こえてきます。理由は単純。自分を失いたくない。それだけです。自分というのは、つまり娘のことです。すべては娘のため。お腹を痛めて産んだ娘のためにはどうするのが最善かをじっくりと冷静に考えて今後の身の振り方を決めるつもりです。そして、もしいつか拳を交えなければならなくなったとき、わたしはいよいよこの本の効用を確かめられると思っています。前夜、わたしの心は相手を思い浮かべてどれほど高揚することでしょう。きっとわたしは1R1分34秒で、あるいはもっと早く相手を打ち負かすことになるでしょう。そのときは改めてご報告のお便りをさせていただきます。

 プッシーキャットさん、ありがとうございます!
 ぼくはこれを読んだとき、試合の3日前で終わってしまうラストに、試合本番の彼を体験できないもどかしさを密かに覚えたのですが、なるほど、プッシーキャットさんにとっては、むしろ好都合だったのかもしれませんね。人間誰しも負けられない試合というのがあるものです。試合の形はひとそれぞれですよね。
 プッシーキャットさんがこの小説の効用を確かめられる日がやってくることが果たして喜ばしいことなのかどうか、ぼくにはわかりませんが汗、ひとつだけお伝えできることがあるとしたら、それは、コスプレはどんなにうまく別人になりきったとしても、行動の主体は他ならぬ本人にあるということです。スパーリングで対戦相手になりきってみせたウメキチのパンチやフックも、すべてはウメキチのパンチであり、フックなのです。そして、拳はそれを振るわれる側も振るう側も痛みを伴うものです。
 どうかご自愛ください。そして、健闘を祈ります!

 みなさん、来週もどうぞお楽しみにー。

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