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第40回 『百年と一日』 柴崎友香著

 こんばんは、JUNBUN太郎です!

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 今夜も「読書はコスパ最高のコスプレです」のお時間がやってきました。本は自分以外の人間になりきる最も安あがりな道具。この番組では、リスナーのみなさんから寄せられる、読書体験ならぬコスプレ体験を、毎週ひとつご紹介していきます。
 ではさっそくリスナーからのお便りをご紹介しましょう。
 ラジオネーム、アビ子さん。

 JUNBUN太郎さん、こんばんはー。
 胃が小さいからかな、いっぺんにはたくさん食べられない。ちっちゃいものをこまめに食べるの。クッキー1枚とか、ドライフルーツとか、ちっちゃなおにぎりとか。
 文字も一緒。いっぺんにたくさん読もうとすると頭痛くなる。キャパオーバー。Twitterの140文字が限界。だから小説なんてぜったい無理。そう思ってた。
 あたしの通ってる高校では、毎年秋に読書感想文コンクールがあって、だから本を読まなきゃいけない。作品の選択は自由。その自由、ほんと不自由。もーどれ読んだらいいんだよーって本屋で頭抱えてたら、店員さんと目が合ったので、素直に、

「文字がたくさん読めないあたしでも読める小説ってありますか?」

 って質問したの。そしたら、勧められたのは、一見、普通に分厚い本。タイトルを見ると、

『百年と一日』

 100年? めちゃ長そうなんですけど……。
 読む前からすでにうんざり。
 でもね、パラパラその本をめくってみると、あーなるほどね、一冊の本の中にたくさんのちっちゃな物語が詰まってるっていう構造らしく、短いものだとたったの2ページで終わる物語もある。これならあたしでも読めるかもしれない?!
 このタイトルから想像するに、1日のちっちゃな物語をぜんぶ読むと100年に積みあがってるみたいな小説なのかな。とりあえずあたしはちっちゃな物語をひとつでも読めれば、それで大満足と思って、読んでみることにしたの。
 そしたら、あたしのとんだ勘違いだった。ひとつひとつのちっちゃな物語は実際ぜんぜんちっちゃくなんかなくって、しかも、それをひとつだけ読んであたしは満足なんてできなかった。だってね──

 時空をはるか超えて紡がれる、この星に暮らすわたしたちの物語『百年と一日』をまだ読んでいないというリスナーの方は、ぜひ読んでから、続きをお楽しみください!

 なんだこれ?
 読んでると、ひとつの、短いもので2ページ、長いものでもせいぜい8ページ程度の物語の中で、時間がこつぜんと何十年も過去に戻ったり、逆に、未来に進んだりして、まるでタイムマシーンに乗ってるみたい。なるほど、ひとつひとつの物語が「百年」であり「一日」なんだ!
 舞台もさまざまなの。これ、基本的にどれも日本の話だよねって思って読んでると、明らかに日本じゃない、どこか遠くの土地に暮らすひとたちの話だったりする。時には宇宙にだって行っちゃうからね。小説ってこんなにも自由でこんなにも奔放だったんだ。目からウロコ。
 で、気づくと、物語ひとつ読めれば大満足って思ってたこのあたしが、ひとつ読むたび、また次のひとつを欲してる。そうやってエンドレスに読み進めてる。読み進めるうち、あたしの中のまっさらだった白地図に、ひとつまたひとつ人間の形したフラグが立っていって、そこから時間っていう線が過去へ未来へと伸びていく、そんな感覚。
 例えば、とある高校で1年1組1番だった女の子。とあるたばこ屋の娘。とある戦争から逃れてきた男。とある娘。とある大根の獲れない国に暮らすわたし。とある子供。とある二人。とあるわたし。とある喫茶店の店主。とある仲のいい兄弟。とある空港で出発を待つ女学生たち。とある部屋の住人。そうした登場人物たちの一日が、とたんに戦前に巻き戻ったり、三十年後にワープしたり、本人から娘や孫、はたまた兄弟や父母、祖母や、そのまた祖父へと繋がっていって、読んでると不意に不思議な感覚にとらわれる。
 あたしはこの登場人物を知ってる、どこかで見たことがあるっていう感覚。そして、あたしの中の白地図にどんどんと増えていく登場人物とそこから縦横無尽に連なっていく時空の線と線のあいだの隙間のどこかに、あたしはまちがいなく存在しているんだっていう、実在感みたいなものを不思議と感じるの。

 あたしがいちばん好きだったのは、とある外国にある中古品店の物語。その店で、とある日本の小説が買われては、また売られして、持ち主が次々にかわっていくのだけれど、その本には過去の持ち主が書き込んだらしき日本語の文章があって、それを読めないながらも筆跡の感じからして整った文章だとある持ち主は感じて、またある人はそれをラブレターだと解釈するの。で、そのまた何年後かに手にした日本人の持ち主によって、それの本当の意味が明らかになるんだけど、でもその書き込みは歴代のどの持ち主にとっても意味のある出会いだったのだろうな、なんて想像したりして。
 それでね、その本を買った一人にアビーっていう女の子がいるんだけど、彼女がいろんな中古品であふれた店で感慨を抱くの。

 アビーは、似たような、少しずつ違う、たくさんのものの中からそれを選び取った手を、店の中にいるとなんとなく想像した。人の全体までは浮かばなかった。ただそれに伸ばした手が、ぼんやりとだがいくつも見えるような気がすることがときどきあった。(作品より引用)

 あーこれすごくわかるなーって思う。
 あたし、古着屋でときどきバイトしてるんだけど、店にあるすべての服が以前この世界の誰かによって選ばれて、着られてたんだなって思うと、なんだか胸がいっぱいになるの。
 きっとアビーって子も、そういうことを感じてたんだろうなって思った。

 という風に、読んでいったら、気づけば、この本一冊まるまる読了! 数えてみれば、物語の数はぜんぶでなんと33個!
 こんなあたしでも読破できたのがうれしい。
 ちょこっとちょこっと読みたい人にはおすすめ。
 ちっちゃいけどちっちゃくない物語のたくさん詰まった無限大小説集です! 太郎さんもぜひ読んでね(めちゃ宣伝ぽいけど出版社の回し者じゃないよ笑)

 アビ子さん、どうもありがとう!
 ぼくも読みましたよー。
 たしかにアビ子さんの言うように、この作品世界のどこかに自分も存在しているような感覚をぼくも抱くことがありました。この作品の単行本の帯では、翻訳家の岸本佐知子さんが「遠くの見知らぬ誰かの生が、ふいに自分の生になる。そのぞくりとするような瞬間。」という言葉を寄せておられますが、まさにそういうことなのかもしれませんね。
 人生100年時代と言われているけれど、人間にとって、100年という時間と、1日という時間は、どちらも人間の生のリアルな重みを感じられる長さなのかもしれませんね。
 アビ子さん、また新しい本とのいい出会いがありますように!

 それではまた来週。

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