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第45回 『コンジュジ』 木崎みつ子著

 こんばんは、JUNBUN太郎です!

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 今夜も「読書はコスパ最高のコスプレです」のお時間がやってきました。本は自分以外の人間になりきる最も安あがりな道具。この番組では、リスナーのみなさんから寄せられる、読書体験ならぬコスプレ体験を、毎週ひとつご紹介していきます。
 ではさっそくリスナーからのお便りをご紹介しましょう。
 ラジオネーム、クルミさん。

 JUNBUN太郎さん、こんばんは。
 わたしは最近、ある小説を読みました。

『コンジュジ』という作品です。

 読んだきっかけは、そのタイトル。
 ポルトガル語で「配偶者」という意味。
 昔、大学の第二外国語で習った単語がどこか懐かしくって、手にとってみたんです。

 この作品は、こんな文章から始まります。

 せれながリアンに恋をしたのは、もう二十年近く前のことだ。(作中より引用)

 どうやら、せれなという女性が主人公のよう。
 現在31歳という彼女が、小学生の頃の恋物語を回想する、そんなストーリーなのかな、なんて思いつつ、ワクワクしながら読んでいくと、それはわたしの想像をはるかに超えた、すさまじいお話なのでした──

 ある女の子の、女性の、人間の受難と、そこからのサバイブを描いた『コンジュジ』をまだ読んでいないというリスナーの方は、ぜひ読んでから、続きをお楽しみください!

 母親に捨てられ、父親と暮らすせれなは、11歳の時にたまたま観たテレビ番組で特集されていた、かつて人気を博したイギリスのバンド「The Cups(ザ・カップス)」のメインボーカルを務めたいまは亡きリアンという男性アーティストに恋をします。
 お小遣いでCDを買っては部屋で聴き入り、学校の図書室に通ってはバンドについて書かれた分厚い伝記を少しずつ読みながら、リアンに想いをつのらせていたせれなでしたが、ある時、父親から性的虐待を受けるようになり、その頃から、妄想の世界でリアンと付き合うようになります。

 父親からされたことの、あまりの受け容れ難さから、せれなは妄想の世界に暮らすしかなくなってしまったんですよね……。
 リアンのツアーについて回ったり、バカンスを一緒に過ごしたり、リアンからお姫さまのように扱われる生活が幸福なものであればあるほど、現実の生活のすさまじさが自ずと想像されて、ページをめくる手が震えました。

 当たり前ですけど、虐待って、加害者が捕まればそれでまるっと解決ってわけにはいかないんですよね。被害者の苦しみは終わらない。傷を抱えて生きていかなくてはならない。せれなの場合は、父親の元交際相手が父親を殴り殺したことで、父親からの物理的な拘束からは解放される。でも、それからも、父親の幻覚がせれなを何度でも襲ってくる──。

 この小説は、せれなの現実の生活と、せれなが妄想するリアンとの生活と、それからリアンのバンドの伝記という3つが同時並行して展開していくのですが、伝記がせれなによって読み進められていくなかで、リアンのキラキラと輝かしい「光」の部分から、不倫、ドラッグ、父親からの虐待といった「陰」の部分が徐々に浮き彫りになっていく。そうしたリアンの「陰」と対峙することで、せれなは自分自身の過去とも対峙するんです。
 最期は首絞め強盗に遭って虚しく孤独に死んでいったリアンの眠る墓をせれながバラの花をもって訪れる妄想のラストには、思わずグッときました。リアンの人生を受け容れ、死を弔うことで、せれなは自分自身を救ったのだとわたしは思いました。

 性的虐待って、事件としてニュースで報道されますよね。そこには、加害者がいて、被害者がいる。けれども、その被害者が「人間」としてその後どのように生きていくのかについては、知らされない。正直、想像したこともありませんでした。この作品は、それを「せれなの場合」として疑似体験させてくれました。辛かったけれど、読めてよかったです。


 クルミさん、どうもありがとうございます!
 ぼくも読みました。辛い状況にある彼女の大きな支えになったリアンは、彼女の妄想力の産物。その妄想力の材料となったのが、図書室で彼女が出会ったバンドの伝記。つまり、本なんですよね。本の力、妄想することの力、それらが「生きる」ことにもたらすパワーをあらためて感じました。
 さて、この作品は、すばる文学賞を受賞し、芥川賞にもノミネートされました。すばる文学賞の選考委員である川上未映子先生に「傑作」と言わしめた作品です! 次にどんな作品を書くのか、いまから楽しみです。
 クルミさん、またお便りしてくださいねー。

 それではまた来週をお楽しみにー。

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