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第16回 『螢川』 宮本輝著


 こんばんは、JUNBUN太郎です!

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 今夜も「読書はコスパ最高のコスプレです」のお時間がやってきました。本は自分以外の人間になりきる最も安あがりな道具。この番組では、リスナーのみなさんから寄せられる、読書体験ならぬコスプレ体験を、毎週ひとつご紹介していきます。
 ではさっそくリスナーからのお便りをご紹介しましょう。
 ラジオネーム、元少年さん。

 JUNBUN太郎さん、こんばんは。
 私には中学生の息子が一人おります。高校受験を控えているからでしょうか、まあ、難しい年頃でして、この頃はまともに会話を交わすことは殆どありません。家で息子はたいてい自室にこもっています。

 それがある日、仕事が早く終わって帰宅し、書斎に入ろうとすると、思いも寄らず、そこに息子がいました。息子は読書に没頭しているようで私に気がつきません。ほどなく、本を読み終わったのでしょう、顔を上げてわたしの顔をみるや、びっくりしたように椅子から飛び上がって、
「ごめん……」
 息子は手に持っていた本を本棚に戻すと、そのまま書斎から出ていこうとしました。
「いいや、構わないよ。それより……人間の形をした蛍、すごかっただろう?」
 わたしがとっさに声をかけると、息子は一瞬、はにかんだような顔を覗かせて、そのまま出ていきました。

 息子が読んでいたのは『螢川』という小説です。

 私がこれを読んだのもちょうど今の息子ぐらいの歳でした。その頃、私には同じクラスに好きな女の子がいて、気持ちをなかなか伝えられずにいました。そんな時に読んだ小説のことが、なんとも言えぬ、甘酸っぱさと共によみがえってきました。
 私は本棚から息子がいま読んだばかりの本を取り出して、およそ30年振りに読んでみることにしました。すると、思いも寄らぬ読書体験、いや、コスプレ体験をすることになりました──。

 富山を舞台に思春期まっただ中の青年の日々を綴った物語『螢川』をまだ読んでないというリスナーの方は、ぜひ読んでから、続きをお楽しみください! 


 この本を読みながら、私は幾度も感極まりました。思いも寄らず、それらの殆どは、以前読んだ時にはさらりと読み進めただろう場面でした。というより、そんな場面があったことさえ忘れていた私は、ほぼ初めて出くわす場面に心震わせていたのです。
 母親のために勇気を奮って父親の旧友を訪ねた竜夫が涙をこらえながら借金の交渉をする場面、蛍狩りに行くことを話す竜夫に重竜が涙をにじませてしがみついてくる場面、車窓越しに泣き顔の春枝から連絡先を記したメモを竜夫が握らされる場面──30余年、それだけの年月が流れたということなのでしょうか、私は竜夫を見守る保護者の視点でこの作品を読んでいるのでした。この私も父親になったということなのでしょう。そのことに気づかされました。

「好きな子、いるのか?」
 それから数日して、廊下ですれ違った息子に訊ねました。
 私がかつて、大量の蛍の群がった英子に好きな女の子の姿を重ね合わせて眺めたように、息子もまた、自分が心を寄せる誰かのことを体を熱くさせてみていたのではないか──夢中で本を読みふける息子のそれまでにみせたこともない表情を思い出し、私は直感的に悟ったのでした。
「いないし……」
「そうか……」
「いたとしても、お父さんには言うわけないし」
 息子はどこか憮然とした表情で答えました。
「そうだよな。そりゃそうだ」
 確かに、私がもしあの頃、自分の父親に同じことを質問されたとしても、息子と同じように答えただろうことを思うと、滑稽な質問をした自分のことが急に可笑しくなって、ははは、私は声をあげて笑っていました。
「大丈夫……?」
 目の前の息子には、急に笑い出した父親が不気味なものにみえたのでしょう、不安げにこちらの様子を伺っています。その表情が重竜を恐れる竜夫の姿と重なってみえ、また可笑しさがつのり、もう笑いが止まりません。
 それにつられたのか、息子が少しニヤけたような顔をみせました。
「まあ、がんばりなさい」
 私は息子の肩に手を置き、書斎に引き上げました。
 ──これを父子の会話と呼んでいいのかわかりませんが、かつての愛読書を捨てずに取っておいたことの、これもひとつのご褒美ではないかと思っています。

 元少年さん、どうもありがとうございます!
 昔読んだ本を再読すると、意外な発見があるものですよね。そして、同じ本が時を経て色んな人に読み継がれていく。それもまた本のすばらしいところだと思います。
これはぼくの勝手な推測で、このお便りには書かれていないことですが、元少年さんは、竜夫の保護者の視点で『螢川』を再読したあと、今度は息子さんの視点を想像してもう一度この作品を読み直したのではないでしょうか。
 ふふふ。息子さんの恋がうまくいくようにぼくも祈っております!!

 それではまた来週。 

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