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第54回 『美しい距離』 山崎ナオコーラ著

 こんばんは、JUNBUN太郎です!

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 今夜も「読書はコスパ最高のコスプレです」のお時間がやってきました。本は自分以外の人間になりきる最も安あがりな道具。この番組では、リスナーのみなさんから寄せられる、読書体験ならぬコスプレ体験を、毎週ひとつご紹介していきます。
 ではさっそくリスナーからのお便りをご紹介しましょう。
 ラジオネーム、ヨシ子さん。

 JUNBUN太郎さん、こんばんは。
 私は、結婚して10年になる夫とふたりで暮らしてます。夫婦ともにリモートワークで、こんな世の中だから、朝から晩まで一つ屋根の下っていう生活をもうかれこれ1年ぐらい続けています。恋愛結婚だし、いまでも仲が悪いわけではないけれど、ずっと家にいるとさすがに息が詰まるっていうか、しゃべるネタが尽きてくるっていうか……笑
 そこで思いついたのが、読書。
 ふたり同じ部屋にいても、本を読んでいると、夫に話しかけなくても自然な感じでいられるし、沈黙に気詰まりすることもなくなって……とっても都合がいいんです。
 世間ではソーシャルディスタンスって言葉がすっかり定着しましたよね。人との間隔を2メートル開けましょうっていう。で、ときどき考えちゃうんです。じゃあ、夫婦の理想のディスタンスってなんだろう? って。

 そんな私は最近、『美しい距離』という小説に出会いました。

 末期ガンに罹って入院する妻を看取る男の話なんですけど、登場する夫婦は、私たち夫婦と同じ40代前半。妻が前向きに彼女らしい生をまっとうできるように、男は自分の仕事をできるかぎり休んで病院に通いつめ、妻に寄り添うんです。でも、ただ単にべったり寄り添うんじゃない。自分よりも、妻のことを一番に考えて常に行動しようとする、そのひたむきさに、わたしはすっかり惹きつけられてしまいました──

 病気で死にゆく妻との日々を綴った看病小説『美しい距離』をまだ読んでいないというリスナーの方は、ぜひ読んでから、続きをお楽しみください!

 主人公の男は、妻のことをとてもリスペクトしてる。
 ほんとだったら、残された妻との時間をいちばん近くにいる配偶者として独占したいだろうに、その気持ちをぐっとこらえて、立ち振る舞おうとするんです。
 例えば、入院するまでサンドイッチ屋さんをひとりで切り盛りしていた妻の仕事関係の人がお見舞いにやってくると、それが若いイケメンだろうと、快く妻に会わせ、さらには自分がいたら話しづらいだろうと気遣って、席を外します。
 例えば、妻の母親が娘のためにクッキーを焼いてもってきたら、甘い食べ物の差し入れは今後いっさい妻の母親に譲ろうと、さりげなく身を引きます。
 例えば、担当の看護士さんが妻の世話をしてくれる時間帯には、家族の目があると仕事しづらいだろうからと気を回して、病室に入らないようにします。
 このように、夫は、自分の「妻」としての彼女だけではなく、「職業人」としての彼女を、「娘」としての彼女を、「患者」としての彼女をさえリスペクトして、様々な身の回りの人たちに対して気遣いの行動をとっている。なんて人間のできた夫なんだろう──。

 そうした彼女へのリスペクトと同時に、夫は、彼女が他者都合の「物語」を強いられることにいちいち心を痛め、必死に抗おうとするんです。
 例えば、医師による「余命*年」や「生存率*パーセント」という数字でできた物語を生かさせられることにバカバカしさを覚え、密かに抵抗していく。「延命治療」をしないという妻の選択が「生きる希望を捨てた」わけでも「長く生きることを諦めた」わけでもないことを、担当医に根気よく説明しようとします。
 例えば、病気とは闘うべき「敵」であり、死とは「負けること」と捉えているような世の風潮に、妻は「勝ち負けの物語」を生きているのではないと、彼女の美徳を守ろうとします。
 例えば、彼女がガンに罹ったことを、人間ドックを受けなかったから、とか、人間ドックを受けたのに、とか、食事に気を使っていなかったから、とか、食事に気を使っていたのに、などと物語をこしらえては、「仕方がない」あるいは「かわいそう」と妻のことをジャッジしようとする周囲の人々に憤ります。
 確かに。これは病人に限ったことではないけれど、人間には自分にとって都合のいい「物語」を他人に押し付けてしまうところがありますよね。そのことにはっとさせられました。そして、そんな他者による「物語」の押し付けから必死に妻を守り、彼女自身の物語を生きさせようとする夫の思いやりに、私は胸を打たれました。
 でも、悲しいことに、どんなに妻を思いやっても、夫は妻の気持ちを100パーセント理解することはできないんですよね。そのことを痛いくらいにわかっているからこそ、彼は自分がやっていることが所詮は独りよがりなのではないかと悩み、苦しみもする。時には、妻の自分に対する言動が理解できずに密かにショックを受けてしまう。

 亡くなった妻に、敬語で話しかけている自分。死化粧をほどこされてどんどんと自分の知らない美しい蝋人形のようになっていく妻。骨になった妻──。亡くなって以来、徐々に遠のいていく妻との距離を、夫は前向きに受け入れていく。
 夫婦って、というか、人と人って、死んでからも徐々に離れていくものなのですね。膨張し続ける宇宙に存在する星と星との距離のように。

 でも、どうせ離れていってしまうのなら、互いに生きている時くらいは、せめて近くに感じていたいですよね。
 思い出されるのは、男がなかなか切り出せずにいた爪切りを妻にやってあげて、この上もない幸福に浸るところ。そして、妻の亡骸に躊躇してとうとうキスできなかったことを悔やむところ。わー、ちょっと、思い出すだけで胸が詰まりそう。
 やっぱり後悔なく生きたいものですよね。──

「ねえ、もし私が末期ガンだったらどうする?」
 ある日、私は夫に訊ねました。
 すると夫は、びっくりしたような顔をさせて、わかりやすくたじろぎました。すぐに私はあくまで仮定の話だと夫に説明しましたが、それ以来、夫がなんだかいつもよりやさしいんです。
 このやさしさ、ちょっと心地がよいので、しばらくこのまま暮らしてみようと思います笑
 そして、いつかこの小説を夫にも読んでもらって、夫婦のディスタンスについて、じっくり夫と話し合ってみたいと思います!


 ヨシ子さん、どうもありがとう!
 この作品は、一見すると、よくある看病モノの小説のように思えますが、読むにつれ、この繊細かつ敏感な夫の感性によって拾われる様々な事象に対する違和感に、人間がいかに多くの他者の価値観や慣習に縛られようとしているかということに気付かされます。
 確かに、昨今のステイホーム環境において、読書は、パーソナルスペースを確保する良い方法かもしれませんね。でも、夫婦で同じ小説を読み、感想を語り合うというのも、ステイホーム生活のちょっとした楽しみになるかもしれません!
 ヨシ子さん、旦那さんと「夫婦読書会」をやったときは、またレポートしてくださいね!

 それではまた来週。 

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