旅するハト

都内に住む小学6年生男子の世界平和を願う白い鳩です。 駅前で誰かのパンをついばんでいる…

旅するハト

都内に住む小学6年生男子の世界平和を願う白い鳩です。 駅前で誰かのパンをついばんでいるので見かけたら声を掛けてください。 政治と地政学と食べられる物は何でも好きです。

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最近の記事

今の世界は、寂しい闘争と、寂しい敗北と勝利で造られている。       親しい人と、競うとき。私の悲しみが、胸を埋める

    • 思いって孤独だ、、、

      他人のことも自分事のように考えられるような人が、やさしいとされることになっている。                                ずっとそんな人間を目指してきたが(程遠い)しかし、最近やめた。     ちょっと気が付いたのだ                          あれ?他人の痛みを感じて、それを思って相手を愛するって、自分を愛するのと同じで、ものすごく孤独な行動じゃあないかって。                 あ~なんかうすら寒いな。思いやりまで

      • アイデア聞きたいです

        ちょっと小説を書いていますが、いきずまっておりまして。sfのアイデアが、ふっつりでなくなってきたんです。何か外的なものがいるんじゃないかと思います、良ければ。皆さんが、どんなアイデアを持っているか、コメントで教えてくださいませんか?参考にしたりして、かきすすめたいです。

        • 解脱ごときが。

          眼前。鉄扉。ノック ノック ノック。                              かつり、かつんつ ノックノック。ねえ、誰か出して、出してって、扉の向こうへコール。 コール。                        応えてくれなきゃ諦めて。へたり込んでは溜息を。                   馬鹿だね。扉の先に、人なんていないんだってば。いるわけないんだってば。                                     鉄扉ごときが。蹴

        今の世界は、寂しい闘争と、寂しい敗北と勝利で造られている。       親しい人と、競うとき。私の悲しみが、胸を埋める

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        • 楽しく学ぶ地政学
          1本

        記事

          私は、誰なんでしょう?って、応えてくれるわけもなくて。                                     ちょっと前まで、いやに感情的だったのに、今は。鋼のように冷たくて。                          良いことをしたくなる時があれば、悪い事だってしたくなって。      いつも胸を張っている自分がいるなら、いつもしょぼくれてばかりの僕もいて。誰なんだろね?                                       

          彼は何?誰?、、、知らないよ

          中国。注ぐ黄河のほとり、山村。二人。人間が空を見上げている「ね?ね?なんで?そこにはあれがいるでしょ?あなたには見えないの?」瑠璃の目をした。貧しいフランスの子は言った。「そうだね、あれがいるじゃないか。しかし、ほんとにいるとはね。驚いちまったよ。」中国の山村に住む貧しい子もいった。 「一緒にスケッチしない?」フランスの子は言った。「おお、いいとも」  二人は一緒にスケッチした、書き終えて、スケッチをみせあうと、どちらの絵にも、立派な絵が書かれていた。二人はにっこり笑った。そ

          彼は何?誰?、、、知らないよ

          北部ゲットー

          イタリア ロンバルディア 北部ゲットー。                            囲壁を眺める少年がいた。10歳のユダヤ人の少年は、いつかここから出てやろうと心に決めていた。教皇アテナイ8世の時代より、彼らは閉じ込められているのだと、昔話にはあった。彼らは、みんなで争いもなく平和に暮らしていたけれど、少年はこの壁の向こうにはもっと豊かな世界が広がっていると思えたし、彼らの町では若者が突然消えるという、不可解な出来事がよくおこった。彼は、外の世界へ出たくて何度も囲

          北部ゲットー

          モノと幻想

          バブル時代、株価は大きく上昇した。それも、とてつもない速さで。オイルショック後、市場は回復への楽観論で満ちており、資本家たちの資本家は、不動産、また、金融商品に流れた。それにより、株価、景気は大きく上向き。日本では空前の金融熱狂が生まれた。しかし、この時期、私達の物を作る能力は、緩やかに上昇していたが、決して爆発的に増えたわけではなく。上がる景気を支えられるほどでは全くなかった。故に、間もなくバブルは幻想と現実のひずみを目の前にして崩壊していった.              

          モノと幻想

          青い空へ 私は

          私はなぜ生きているのか     何故考え続けるか         何故生まれてきたのか    何故ここにいるか?    知るわけない。          けどさ、、ただ生きるなんてつまらないじゃないか。  この世の    どうせここにいるのだ。  一度きりの   短い人生をこの背中にしょって。  それを 「静かに暮らす」?    有り得ない。     一度きりの人生を 静かに、 無駄にする、、、、?   何も、、、、しない?   なんで? なんで? 私がそんな人生を送る必要

          青い空へ 私は

          ある冬日

          寒い冬の日。こもる空気と向かう机、窓の景色は美しく、されど出られなき。受けたチャイムに居留守を使い。外では友の遊ぶ声。いつか、いつかを思い出し、また気を落とす。 朝焼けの空を家から望む。差し込む光。美しい。されどふれられず、また机に向かう。 学校より戻る。白々とした静寂を聞く。冬の光は冷たく私の体を刺す。チラチラと、ガラスに反射する光が我が家の壁を彩る。されどふれられず、浴びられじ。 また机に向かう。 時は過ぎ、はや夕焼けを望む。光が差し。私の顔を照らす。ふと鉛筆を置き

          過ぎる日、来る日

          1月がやってきて、過ぎていった。 いつかの冬を思い出す。今より、過ぎる時間が遅く感じられたかつてのことを。 そのことは、よく雪が降った。が、その寒々しさを打ち破るほどに友人との友情は深かった。 もう、その日々が戻ってくることはない。 2月もやってきて過ぎていった。 いつかの日を思い出す。友人たちと仲良く雪合戦をした日のことを。 友人の投げる雪玉には“やさしさ”が込められていて、私は雪玉にあたるとあたたかささえ感じたものだ。 もう、あの日々が戻ってくることはない。 3

          過ぎる日、来る日

          「罪」の意識を失わせるもの

          逃げ出さずに戦う気持ちを私達の社会では「勇気」と呼ぶ。そして、逃げたい気持ちのことを「ひきょう」とか「おくびょう」と呼ぶ。この社会では前者の衝動を立派なものと考え、後者の衝動を価値の低いものだとしている。しかし、人の心の底を覗けば、ただいいとか悪いとかで片づけられるものではないことが分かる。 勇気とかおくびょうという考え方は、人間にしか問題にならない価値、社会的価値である。 この意見は、とても正しいことを言っているのではないかと私は思う。 戦隊ものや多くの特撮映画では、多く

          「罪」の意識を失わせるもの

          プレッシャー

          何か大きな問題に遭遇したとき、自分の置かれた環境全体によって生み出されるのがプレッシャーである。 例えば、家族からの応援などだ。それがストレスになると、行動に悪影響を与える。だが、プレッシャーが良い意味で集中力を維持するために役立つともいえる。 プレッシャーは社会になくはないものであると私は考えている。 1人で生きていく、それができるなら、プレッシャーはあるまい。全て自分の行動は自分で責任をとることができる。例えば、時に家族単位の暮らしをしても、単一での行動を行う傾向が強か

          プレッシャー

          大人と子供

          子供はいつの間にか大人になっていく。そして、大人になっていくうえで大きな波や、大きなきっかけは、誰からも強制されず、自分自身の意思で大人の世界に丸ごと挑む体験の中にしばしば潜んでいる。父親の本棚の一番高いところから本を引き出し、その難解さに手を焼きながらもいつの間にか意味を理解できた時などだ。 この意見に対して、私は「果たして本当にそうでだろうか」と思う。 大人の意味を調べると辞書には「しっかりとした考えを持ち、一人前に成長した人」とあった。辞書にあるような人を大人というの

          大人と子供

          道を敷く

          近頃の冬は、寒いは寒い。が、冬の主役である雪が南関東で積もることはめっきり少なくなったように感じる。思えば雪が積もったのを最後に見たのはいつだっただろう。 もう思い出せないほどの昔である。この星は変わってしまったのだろうか?私は知らない。そう、何も・・・。 学者は、地球温暖化のせいだという。地球温暖化は人類の生産活動のせいだという。 また、どこかの大統領だった人は大したことがないと言っていた。 地球温暖化は人類のせいではないと叫んでいる人がいる。どうやら72億の人がいれば、

          とるべき行動

          乗り物に乗るとき、座っている一人ひとりが腰を浮かせてこぶし1つ分だけつめることで、一人でも多くの人が座れるようにする「こぶし浮かせ」は「江戸しぐさ」として知られているが、いくら他人への思いやりの気持ちを持っていても、それを形であらわさなければ人には伝わらない。現代の人間も「江戸しぐさ」のような行動をとるべきである。 私達のする動作には、この意見にあるような「江戸しぐさ」的なものが結構含まれている。現代の人間が全く「江戸しぐさ」的な行動をしないというのは誤りだ。  たとえば、

          とるべき行動