見出し画像

「罪」の意識を失わせるもの

逃げ出さずに戦う気持ちを私達の社会では「勇気」と呼ぶ。そして、逃げたい気持ちのことを「ひきょう」とか「おくびょう」と呼ぶ。この社会では前者の衝動を立派なものと考え、後者の衝動を価値の低いものだとしている。しかし、人の心の底を覗けば、ただいいとか悪いとかで片づけられるものではないことが分かる。
勇気とかおくびょうという考え方は、人間にしか問題にならない価値、社会的価値である。

この意見は、とても正しいことを言っているのではないかと私は思う。
戦隊ものや多くの特撮映画では、多くの場合「善玉」と「悪玉」の間にきっかりと線が引かれているもので、善玉か悪玉を何かしらの方法で成敗するのをみて、観客は“オー”と盛り上がって楽しむわけである。ここでは善玉の「勇気」が敵を打ち破るのを見る側は快感ととらえ、スッキリしてしまうものだ。
しかし、もし、何の物語も聞かないままに、正義のヒーローたちが悪者をやっつけているシーンを見れば、ただ「残酷なシーン」とか「暴力的なシーン」という感想を持つはずだ。つまるところ、正義のヒーローは勇気を示すシーンがあるために正義のヒーローたりえるのであって、勇気あるヒーローは相手を倒すため、あらゆる手段を使っても、観客はスッキリするものなのである。そうは思わないだろうか?
「勇気」は「罪」の意識を失わせるもので、人間の特異な点として挙げられるだろう。それが良いことかは別として。教育的にも、人間的にも・・・。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?