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プレッシャー

何か大きな問題に遭遇したとき、自分の置かれた環境全体によって生み出されるのがプレッシャーである。
例えば、家族からの応援などだ。それがストレスになると、行動に悪影響を与える。だが、プレッシャーが良い意味で集中力を維持するために役立つともいえる。

プレッシャーは社会になくはないものであると私は考えている。
1人で生きていく、それができるなら、プレッシャーはあるまい。全て自分の行動は自分で責任をとることができる。例えば、時に家族単位の暮らしをしても、単一での行動を行う傾向が強かったとされるネアンデルタール人などにはそもそもプレッシャーという感覚はなかったのではなかろうか。
一方、私たちホモサピエンスは、ネアンデルタール人と違い巨大な集団を1つの単位として生きている。そうした「集団」では1人の失敗は1人の不幸に必ずしもつながらず、時に百人の不幸、万人の不幸につながる。それを恐れる気持ちこそ、プレッシャーである。プレッシャーは受ける個人には害悪と思われるが、集団全体として見れば利益をもたらす面が大きいと思う。
人はやはりラクな方向に逃げたがる。
そう、いったん人に「首輪」をつけ努力させるものこそプレッシャーなのだから。

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