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大人と子供

子供はいつの間にか大人になっていく。そして、大人になっていくうえで大きな波や、大きなきっかけは、誰からも強制されず、自分自身の意思で大人の世界に丸ごと挑む体験の中にしばしば潜んでいる。父親の本棚の一番高いところから本を引き出し、その難解さに手を焼きながらもいつの間にか意味を理解できた時などだ。

この意見に対して、私は「果たして本当にそうでだろうか」と思う。
大人の意味を調べると辞書には「しっかりとした考えを持ち、一人前に成長した人」とあった。辞書にあるような人を大人というのなら、子供とは、自分の「しっかりとした考えを持たない人」である。「考えを持つ」という点がポイントなのだ。
誰からも強制されず、自分自身の意思で大人の世界に挑む体験に潜んでいるとして、例えとして、難解な本を読み理解することを挙げている。
それではなぜ、“子供”は難解な本を理解できたのか考えると、挑む“体験”以前に知識が裏にあることが分かる。これこそ大事だと思う。アダム・スミスの国富論を学ぶには、少なくとも経済学を少し知らねばなるまいし、カントの「純粋理性批判」などは哲学を少しは学ばねばとても読めたものではないように。
知識または経験は全ての思考の土台なのだ。
さて、あなたは人生で何を経験したか。パッと思いつくものがなければ、もしかするとあなたはまだ精神的に子供であるかもしれない。

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