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【哲学対話の記録】気持ちは測ってばかり

私はとても嬉しい気分なの。
なぜかって? 
それは良いことがあったからよ。 

大きく見たら悪いことなんだけど、 
私にとっては良いことだったのよ。 

不謹慎と言うかしら。良かったねと言うかしら。 

ねえ、 
みんなはそう考えることをどう思う? 

はじめに 

休日が終わり、今日からまた1週間が始まります。 
憂鬱な月曜日の朝。 
でも今日はちょっと気合を入れないと。 

今週と来週は諸事情によりファシリテーターを副代表の私が担当します。 

前回の反省を活かせるかなという不安と、 
どんな話ができるかなというワクワクと。 

まるで、新しい環境に向かう新入生のような。 
そんな気持ちで椅子に座り、パソコンの電源を入れます。 

前回の対話は下のリンクからご覧になれます。 
「大人ってなんだろう」 
今の私たちにピッタリのテーマで世界を広げていきました。 

テーマと理由 

今日の対話のテーマは、私が3つ用意しました。 

・コロナ禍になって良かったこと 
・信じるとは何か 
・理性とは何か 

私が最近生活していて感じたことから選びました。 

コロナ禍になって良かったこと 
「このコロナ禍になっていろんなことが変わってしまった。でもその中にも良いことってあったんじゃないかな。私の例を挙げると、マスクがあるから化粧をサボれたり。そのような感じのことから問いが出ればいいなあと思ってこのテーマを挙げました」 

信じるとは何か 
「就職活動をしていると、よく企業さんが"お客様に信頼、信用してもらう"って言うんだよね。もちろん大事なんだけど、何を決め手にお客さんが信じたのかって、心の内は読めないから分からないと思ったんです。お客様が信じたっていうのは結果だけで。本当に信じてもらえたのかは見た目では分からない。だから、信じるって何かなと思いました」 

理性とは何か 
「私猫が実家に4匹いるんですけど、猫にも感情があって、それに伴った行動をしているように見えるんですよ。怒ったり甘えたり悲しんだり、人間と駆け引きしてみたり。思い違いだと言われたらそこまでだけど、人間以外の動物も理性があると思うんです。そう考えたら、本能と理性って区別できるのかなって思って。理性ってじゃあ何をもって理性なのかなと思って話してみたいと思いました」 

テーマについて理由を話したあと、 
2分間で参加者にどのテーマについて話したいか考えてもらいました。 

問出し 

「さあ皆さんどうですか?」 
私の一言から、ひとりずつ話していきます。 

「理性とは何かを話してみたいかな。理性って、この挙げてくれた3つのテーマ全部に共通していると思って。そこを紐解いてみれば何かわかると思いました」 

「私はコロナ禍になって良かったことを話してみたいです。コロナが蔓延しだしたあたりでzoomを使って中学校の友達と話ができて。あの頃の悩みとかを改めて話せる機会をもらえたんだよね。そこは良かったかなあって。医療従事者の方々とかのことを考えると、一概に良いとは言えないんだけどね。なんかこう、怪我の功名とか、不幸中の幸い…みたいなことわざが似合う感じかな」 

悪いことから派生した出来事の中に、何やら良いことがあった。 
それをどう捉えたら、表現したらいいのか。 

何か基準があるなら探してみたいかも。 
そんなことを思いました。 

「私もコロナ禍になって良かったことかな。じっくり考えてみたら良いこともありそう!」 

「私は信じるとは何かと理性とは何かの2つについて話してみたいな。自分を信じることは体験としてあるけど、たしかに他者に対してってあまり深く考えたことがないなと思って。それから、理性について考えたら人間の本質とか見えてきそう」 

ふむふむ。なるほど。どれを話してみても面白そうだな。 

みんなの話から、いくつかの問いが生まれました。 
理性とは何か、他者を信じるとはどういうことか、コロナ禍とはどういうものなのか… 

今回選ばれたのは、 

"怪我の功名や不幸中の幸い… 
そのような悪い出来事の中に見つけた良い出来事をどう捉えたらいいのか" 

という問いです。 

対話スタート 

早速、みんなにこんな質問をしてみました。 
「問いのような経験がある人はいますか?」 

いいですか?という声。 

「帰省したときに友達と飲みに行ったときのことなんだけど、友達が突然いなくなっちゃって。そのとき、」 

「待って待って!いなくなったってどういうこと!?」 
あまりにも予想外の展開に思わず突っ込んでしまいました… 

「大丈夫見つかったよ!なんか車で寝てたんだよね笑 
突然いなくなるし、次の日は台風くる予報だしでみんな焦って朝方くらいまで探して。 でも、その分友達と一緒に居られる時間は長くなったから、そこは良かったかな」 

友達が無事に見つかった安心感に私も包まれながらこんな質問。 
「そのときの気持ちって、心配と嬉しさって何対何になる?」 

「うーん。やっぱり心配のほうが大きかったから、8:2かな」 

他にこういう経験ある人はいますか? 

声をかけるものの、いざ聞かれると思い当たらないのかちょっと沈黙。 

あ、そういえば。 

私はある思い出が浮かびました。 

「小学校の頃、マラソン記録会っていうのがあって。校庭何周分の時間を記録する行事で、私これが大嫌いだったの。学年にも好きな人ほとんどいなくて。でもある年の記録会は病気でパス出来たんだよ」 

病気したことはつらかったけど、何よりも大嫌いな行事をパスできた。 
小学生だった私にとってはこの上ない幸せだった。 

「確かに、目の前で一生懸命に走っている同級生には申し訳ないって気持ちはもちろんあった。でもそれを凌ぐほど嬉しかったんだよね。だから気持ち的には、3:7で嬉しさが多いかな」 

続けてこう話しました。 

「こんなふうに、悪いと感じる出来事の中に良いことがあった。でも申し訳なさというか罪悪感というか、そのまま受け止めていいのかなとも思ってしまう場合もある。 

そういうときって、素直にそのままポジティブに受け止めますか?それともネガティブなまま受け止めますか?」 

リアクション機能を使って、ポジティブ、ネガティブ、分からないに投票してもらいました。 

その結果、ポジティブがほとんどでした。 

2人ほど、理由を聞いてみました。 

「いるかはわからないけど、神様仏様たちが自分たちに起こることを決めていて、悪いと感じることが乗り越えるための試練とか使命とかだと捉えると、今すぐでなくても何年後でも気付けるっていう風に自分は考える。だから結果として、前向きに捉えられるかな」 

もし、私達の人生が誰かに決められたレールの上にあるならば。 
起こること全てが決まっているならば。 

確かに、自分の中で何かを乗り越えるためにあるのかもしれない。 
そう考えたら前向きになるという考えに納得しました。 

「純粋に、良いことに間違いはなのだから素直に受け止めてもいいと思います」 

捻くれることはない。良いことは良いことなんだ。 
そうやって認めるのも大切なことだなと感じました。 

友達がいなくなったけどみんなと過ごせた時間も、嫌いな行事をパスできたことも、 良かったことと認めてもいいんじゃないか。 

そんなことを話していると、画面に挙手マーク。 

友達がいなくなったエピソードを話してくれた参加者でした。 

「今思ったんだけど、良かったことだったと思えたのって、時間が経ってからだからじゃないかなって。当時はずっと心配してたから、今みたいに笑い話に出来るなんて思わなかったし」 

そっか、確かに。 

それじゃあ、時間の流れが受け取り方を変えていくのでしょうか。 

「時間だけじゃなくて、事の重大性が深く関わっているんじゃないかな。例えば、さっきの友達がいなくなっちゃったのだって、見つかったから良かったけれど、そうじゃなかったとしたら笑い話には出来なくなるよね。 

それから、その出来事との関連度もあるかな。自分の家は無事だったけど、あの子の家は崩れちゃったとか、そういう身近な場合って素直に良いことと割り切れなくて、なにか罪悪感のような気持ちが強く残りやすいと思う」 

「じゃあ私の場合ってどうなのかな。 
命に関わるほど大きいことでもないけれど、一応罪悪感はあるよ」 

「それって損得勘定かなあって思ったよ。この出来事って二択で答えられそうでしょ、良いか悪いかって。出来事的にもラフで軽いしね」 

「ちょっと話が戻るけど、出来事をラッキーと思えるということは、受け取り手、つまり私達の気持ちの持ち方も関係あるとも思うなあ」 

対話を終えて 

おっと時間だ。 

対話中は、時間が早く流れているのか遅く流れているのか分からなくなります。 下手したら別時空にいるかもしれません。 

それでも終わりは共通に存在します。 
不思議なものです。 

対話の感想を聞いてみました。 

「私にはない考え方、特に神様のような大きな存在が定めた試練だった、とある意味割り切って考えられる、大人なポジティブな考え方を知れて面白かったです」 

「悪いことって乗り越えるか受け止めるかして生きなければならない場面もあるけど、その在り方に様々な条件があると気づくことが出来ていい体験になりました。今後の人との接し方に応用できそうだなと思いました」 

「前にやった対話で話したようなことも出てきて、なんかつながってる?と考えながら対話を楽しむことが出来ました」 

終わりに 

良いこと悪いこと。 
どこか区別できるかもしれないのに、複合されると判断が難しい。 

それぞれがそれぞれのものさしを持って物事を測ります。 
1cm間隔の人もいれば、1m間隔の人もいる。 
もしかしたらnm間隔のものさしの人もいるかもしれないですね。 

対話を通して、もとより持っているものさしが、 
新しいものさしになることもいいかもしれない、そう思います。 

皆さんのものさしは、今どんなものさしになっていますか? 

今週も読んでくださりありがとうございました! 

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