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あら炊きのある生活。

僕があら炊きに関して語れることは少ない。
作り方なんてインターネット上に溢れているだろうし、ましてや秘伝のタレなんてあるはずもない。

しいて言えば、一緒に煮たスライスの生姜は匂い消しでもあるが、具として美味しいので残さずに食べて欲しいと思う位だ。

でも、あら炊きについて書いていこうと思う。
作り方とかじゃなくて
考え方なら多少は話せる。


・賄いとあら炊き

その和食屋では寿司宴会や婚礼の仕事があると、沢山の鯛を仕入れた。
頭や骨は使わない事が多く、大抵は賄いに使われた。

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下っ端の俺は、それに塩を振り、湯をかけ、ウロコや血の残りを丁寧に掃除する。
その後、酒、砂糖、醤油、葱の頭、生姜のスライス、あったらゴボウ蓮根なんかと炊いていく。

煮詰まってきたら、醤油とみりんで味を調え、仕上げに針生姜や木の芽を添える。

トロっとした煮汁が絡み、濃厚な照りが食欲をそそる、和食屋の賄いの定番であり、俺の好物でもあった。

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その店ではかなりの頻度で鯛を沢山仕入れ、やはりかなりの頻度で頭や骨が余った。
大抵はあら炊きにするのだが、毎回できるわけではない。

なぜならあら炊きは
余裕が必要な食べ物だからだ。


・余裕が必要な食べ物

余裕とは、時間と心の余裕だ。

魚の頭にはウロコが多く取りにくい、血や内臓の下処理なども重労働である。
また、骨が入り組んでいるので食べるのに時間がかかる。

作るのにも手間、食べるのにも手間、作る手間の割にボリューム不足だったりもするので、あら炊きを作るのは心に余裕が無くてはならない。

だから、繁盛期の大忙しの時は作れない。
と言うか作らない。

そんな時のあらは、潮汁とかにしちゃう。
それはそれで美味いからいいのだけど。

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・このひと手間がアイラブユー

サッポロ一番のCMの決めゼリフ。

普段からあら炊きにしていると、たまの潮汁を作る事に罪悪感を覚える
時間が無い時なので、ウロコの処理も雑で、頭についた身も捨ててしまっていた。

普段なら残さずに頂いているのに、、、
でもこの忙しさなら致し方ないか、、、
となってしまう。残念。

でも自分の努力で時間を絞り出して
なるたけ残さないように出来た時は安心する。
お前を救えて良かった。』ってね。

それが愛な気がする。
食材への愛。

持論だが、残さない事は愛だ。
敬意を表して残さずに食べる。
このひと手間がアイラブユー。なんです。

「チェックしてたら捨てずに済んだのに~。」
「時間ないから今回は捨てる。」
みたいなの、たまに無いですか?

それを減らす為に手段を講じたり
意識をする事が愛じゃないかな?

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・料理は愛情って言うけど…

その愛の先には、生産者や、食材、生き物、自然、流通、加工、、、様々な相手への愛があると思うんだ。

もちろん食べる人の事を考えて作ると思うんだけどさ、たまには食材に目を向けてその先を想像してみても良いんじゃないかな?

食材の為に作れ。とは言わないけど
ちょっと意識してみたら良い事あるかも。

で、その為には時間と心の余裕が必要だよね
だから食と向き合う時間を増やしても良いんじゃないかな?

毎日、色んな事をしてるけど
基本の基本、食を見直してみるの良いかも。

・おわりに

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頭をよーく焼いてから出汁を引くと香ばしく旨味の濃縮された味に仕上がるんです。

あら炊きを普段からできるような余裕のある生活、憧れるな。
そんな世の中になったらいいな。

おしまい。


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