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81.反省文「京都とわたし」

生まれは下町、東京都葛飾区。
私は小学校高学年の時に京都市に転居してきた。その後、大人になり仕事の都合で東京に戻る機会を除いて、約16年間は京都市で暮らしてきたので、自分にとってはどこの街よりも住みやすく居心地のよい街なのだ。新旧が調和した独自の文化、耳を傾ければいつでも古人の声が聞こえてきそうな雰囲気に慣れ親しんで暮らしてきた。

幼心に東京から京都に引っ越すことは、単純に故郷を離れる悲しさの方が勝っていて、しばらくは反発心を捨てることができなかった。「東京の方が華やかで、色々なお店があって、交通便利で、芸能人も沢山いる」、幼い自分の中で勝手に優劣をつけていたし、言葉だって絶対に標準語を死守しようとした。引っ越し先、京都市内のアパートには隣人に意地悪なおばあちゃんも住んでいたし、街中はお寺とお地蔵様に溢れていたし、路地は狭いし、京言葉は嫌味に聞こえる、馬鹿みたいだけど、本当にそう思っていた。

それでも新しい小学校に入り、一年経たない内に中学校に進むと、友達もできて、好きな人もできて、夢中になれる部活に入って、環境にどんどん順応していくことになる(それでもやっぱり若さ故に東京に憧れていたけど、憧れにはしないで「故郷」と思うようにと、関西弁で言う、いきってた節がある)。高校ではすっかり京都の地理が頭に入っていて、自転車で縦横無尽にあちらこちらと出掛けたし、友達と他府県の学生に交じって、清水寺や八坂神社で「修学旅行生ごっこ」をした。

学生時代は四条河原町、寺町や京極で遊ぶのが定番で、社会人になって、木屋町や先斗町でお酒を愉しんだりした。歴代数名の恋人たちとは絶対に鴨川デートも経験している。毎年六月末日には夏越の祓で水無月を食べないと気が済まないし、祇園祭のこんちきちんの祭囃子を聞いて夏の到来を感じ、八月に五山の送り火を見て去る夏を思う。うどんは透き通ったお出汁でなきゃ嫌だし、お揚げさんをこんがり焼いた上に葱をたっぷりかけて醤油で食べるやつは今でも大定番のメニュー。それから、、、

あれ?  気付けばめちゃくちゃ京都の文化に浸ってない?

大人になり、東京に戻った日々で感じたのは、やっと戻ってきたという清々しい気持ちが少し、それよりも窮屈さが大きく上回っていた。交通は確かに便利だけど、いつどこに行っても人が多くて、複雑な駅が多かった。ふらっと立ち寄れる神社やお寺は限られているし、そういえば、景色に山が見えないことに違和感を覚えた(京都に引っ越した当初は山が見えることが衝撃だったのに!)。

結局、一年ちょっとして仕事の都合で関西に異動することになったので、住まいは京都に戻すことにした。東京にも杉並区や三鷹市、私の大好きな場所があったから離れる時には淋しい気持ちになったけど、京都に帰ることを決めた時は、充電切れの掃除機のように「しゅううぅぅん」、という感じで気が抜けて、ソファに寝転がった。

改めて京都に帰ってから、とてもとても有難い気持ちになった。
狭い路地も、街中に溢れるお地蔵様や寺社仏閣も、鴨川のせせらぎも、当たり前に暮らしてきたこの街だったけど、どこにでもあるものではないと感じた。ずっと昔の自分と話せるとしたら、それぞれの街にそれぞれの良さがあることをしっかりと教えてやりたい。街は誰かの故郷であり、大切な場所であることを。もっともっと前から、京都を大切に過ごしていればよかったと後悔している。

結局、私の故郷はどこなのだろう?
初対面の挨拶や話の流れで出身地の話題になった時、説明するのが面倒といった理由をこじ付けて、ちゃっかり「京都です」と答えるようになってしまった。住んでいた時間が長かったから、京都市の魅力もいっぱい知っている。おおよそ青春時代の思い出もいっぱいいっぱい詰まっている。昔は反発してごめんなさい。京都の街、本当に大好きです。

おわり

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**OSUSUME**

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