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【連載小説②‐2】 春に成る/緑の珈琲

< 前回までのあらすじ >
キラキラ輝く周りと、何もない私。その現実から逃げ込むようにカフェに入る。

春に成る/緑の珈琲

※先に絵と詩をご覧いただく場合はコチラ

緑の珈琲(2)


何をしているんだろう、さっき温子とお茶したばかりなのに、どうして……。呆然としている私の目の前には、落ち着いた木目調のカウンターがあり、その中にいるエプロンをした白髪まじりの、メガネをかけた優しそうな男性と目が合った。

少し驚いたように目を丸めてから、ニッコリ微笑んで「いらっしゃいませ」と迎えてくれたので、帰るわけにもいかず、促されるまま、目の前のカウンターに座った。

「今、メニュー持ってくるので、少々お待ち下さいね」

店内はとても静かで、ゆったりとしたジャズが流れているだけだった。カフェというよりレトロな喫茶店という趣きで、6席あるカウンターの左隅にはレジがあり、そこから少し離れた壁に扉があった。

逆の右奥に、4人掛けのテーブル席が2席並んでいて、そこの壁には、太陽と月と星が描かれた絵画が飾られていた。カウンターの端には、大きな帽子みたいなライトがオレンジ色に灯り、うっすらと店内を照らしている。

その周囲には、お酒の瓶がいくつも置いてあった。よく見るとカウンター奥の棚も、半分は珈琲カップなど喫茶店で使うものが並んでいたけど、半分は様々なお酒の瓶などが並んでいた。

「お酒の瓶が多いでしょう。夜は息子がバーをやっていて、お酒類は私が触ると怒られるんですよ」

視線に気がついたのか、メニューを出しながら、先程の男性が声を掛けてくれた。その時、一番奥のカウンターにいた常連らしきお客さんが「マスター、お会計」と軽快な声で呼んだ。

ああ、そうか。こういうレトロな喫茶店を営んでいる人って、マスターって呼ばれてるよね。そんなことを思いながら、メニューに目を通す。珈琲の種類がとても多く、詳細も書いてくれているけれど、普段あまり意識しないから、何が良いのか分からなかった。

珈琲以外にも、ミルクやジュースもあったけれど、このお店では、珈琲を飲んでみたいと思った。常連の人が帰ったベルの音を聞いて顔を上げると、マスターがニッコリ微笑んでいた。

「もし、良かったら、色々試飲してみませんか? 他にお客様もいらっしゃいませんし、気になるものがあれば色々お出ししますよ」

「えっと……この『季節の珈琲』っていうのは何ですか?」

「ああ、今の時期は雨が多いので、少しでも気分を晴らしていただこうと、酸味のあるこちらの珈琲をお出ししているんですよ」

話しながら、テキパキと試飲用のカップに珈琲を注いだ。珈琲の香りが鼻をくすぐり、少し緊張しながら飲む。

フワっと花が咲いたような爽やかさが、広がった。嫌な酸味ではなく、本当に気分が晴れるような素敵な珈琲だった。すごく素敵で美味しいとも思うのに、今は素敵なその珈琲を好きになれなかった。

「美味しいです、とても」

「それは良かった……他に気になるものはありますか?」

「ええっと……たくさんあって、どれが良いのか……」

「では、私が今日のあなたにオススメしたい珈琲を飲んでみませんか?」

「あ、はい、お願いします」

そいうえば、珈琲ってひと括りにしていたけど、日によって飲みたくなる味って違うこともあるよね。今日の私に合う珈琲か……そんな風に考えたことなかったな。

用意された珈琲を飲んだ時、深い緑に包まれたような気持ちになった。苦味があるのに落ち着く。今日の私には、確かにこの珈琲なのかもしれないと納得してしまった。

「この珈琲でお願いします」

「かしこまりました」

マスターは笑顔で、その珈琲を棚にある珈琲カップに注いで、用意してくれた。

「すごいですね。どうして今日の私には、これが良いって分かったんですか?」

「いえいえ、私はオススメしただけですよ。なんとなく、そう思っただけです」

「あ、最初の珈琲も本当に素敵で、美味しかったです。でも、素敵すぎて私には合わないような気がしてしまって……」

「そうなんですね。大切なのは、あなたが飲みたいと思ったものを選ぶことなので、この珈琲を飲みたいと思ってもらえたというだけで、私は嬉しいですよ」

私がマスターなら、よく知りもしないのに「そんなことありませんよ、またいつか飲みに来てくださいね」なんて返してしまうだろうな。否定も肯定もせず、ただ受け止めてくれた優しさが、今は嬉しい。

「……今日は何を見ても、やってもダメで、気分が重いまま、逃げるようにココに入ったんです。でも、ここで珈琲を飲みながら、お話しさせてもらって、気持ちが少し落ち着きました」

「それは良かったです。そういう時、私にもあります。ちょっと一服してみると、ダメな部分を受け入れられたり、他の人から見たら案外、そうではなかったとか、周りが見えるようになったりしたので、ちょっと一服するのは、きっと大切なんだと思いますよ」

他の人から見たら、そうじゃない……? そうだったら、いいのに。

「一服が大切……、会社の上司に聞いてもらいたい言葉ですね、ふふ」

その後も他愛のない話をして、お店を出る頃には、雨は小雨になっていた。さっきは真っ黒だった空も、少し明るくなっていた。明るくしてくれたのは、珈琲とマスターなんじゃないかと思いながら、進める足取りが、軽い。


②green coffee


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※見出し画像は、小川大介/WEEK-END/PM様の画像です。素敵な画像を使わせていただき、ありがとうございました。

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