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【小説】ロックバンドが止まらない(18)


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「確かにお前の言うことも一理あるけどよ、だからって俺にどうしろって言うんだよ。そう言われたからって、やっぱり俺は久倉が元々のバンドを抜けたことを、完全に受け入れることはできねぇよ」

「別にいいんじゃねぇの? 今は受け入れられなくたって。とりあえずはさ、形だけでも許すようにすれば? そうしてるうちに、徐々に自分でも納得してくかもしれねぇぞ」

「いや、でも……」

「何だよ。お前はギスギスしたまま文化祭を迎えたいのかよ。それでお前は本当にいいのか?」

 いいわけがない。今の噛み合っていない状態が、本番の演奏にまで波及したらそれこそ最悪だ。

 でもそうは思っても、この場ですぐに頷くことは神原にはできなかった。

 きっかけを起こしたのは久倉の方だという思いが、歩み寄る邪魔をする。敦賀が咎めているのは、まさにそういった思いなのに。

「まあ、別にそれでもいいんじゃねぇの。向こうがそれを望んでるならさ」

 この期に及んでも、神原は譲ろうとはしなかった。自分が意地を張っていることはとっくに気づいていて、軽く嫌にもなったが、それでも自分にもある非を認められなかった。

 電話の向こうで、敦賀が小さくため息をついたのが分かる。

「ったく、お前素直じゃねぇな。いいか、俺にはこれ以上どうすることもできねぇんだからな。俺はその久倉って奴を知らないし、どうにかできるとしたら、お前らしかいねぇんだからな」

「ああ、分かってるよ。相談に乗ってくれたこと自体は、ありがたいと思ってるから」

「そっか。まあ突き放した言い方になるけど、最後はお前らがどうしたいかってだけだから。どうするにせよ、後悔だけはすんなよ」

「ああ」

「まあさ、お前も色々大変だと思うけどさ、お互いがんばろうぜ。ひとまずはそれぞれの文化祭に向けて」

「そうだな。お前もがんばれよ」

「ああ、言われなくても。じゃあ、俺もう切るわ。久々に電話できて楽しかったぜ。また今度、お互いの文化祭が終わった後にでも話そうな」

「俺もお前と話せてよかったよ。じゃあ、おやすみってことで」

「ああ、おやすみ」

 敦賀が電話を切ると、神原は束の間玄関に立ち尽くした。明日から自分はどうするべきかを短い時間で、それでも真剣に考える。敦賀に話したことで、神原の頭は多少なりとも整理されていた。

 少ししてから、自分の部屋へと引き返す。

 まだ結論は出ていなかったが、それでも神原には進むべき方向性が見えたような気がした。

 迎えた翌日の月曜日、神原は久倉に話しかけなかった。教室にすら行っていない。テストは今日と明日の二日間あり、話している場合ではないと判断したからだ。

 聞いている限りでは、久倉も成績はあまり良い方ではない。だから、今日のテストが終わっても、明日のテストに向けての勉強でいっぱいいっぱいだろう。

 同じように考えたのか、久倉も神原には話しかけてこなかった。久倉も神原の成績がどれほどなのかは、おおよそ知っている。二人にとって今一番の課題は、バンドのことよりも明日のテストを無事に乗り切ることだった。

 学校にチャイムの音が響き渡る。同時に、教室全体が一斉に息を吐く。

 最後だった日本史のテストが回収され、ホームルームも終わると、教室には解放感が立ちこめた。クラスメイトの話し声も、心なしかいつもより大きい。

 部活に行く者。まっすぐ帰る者。それぞれの放課後へクラスメイトが動き出した中、神原も帰り支度をして立ち上がった。

 帰宅部のクラスメイトに一緒に帰ろうと誘われたのを丁寧に断って、スクールバッグを持って教室を出る。

 向かう先は、昨日から決めていた。

 神原は二年一組の教室の入り口に立つと、窓際にまで聞こえる声で久倉を呼んだ。「一緒に帰ろうぜ」と声をかけると、久倉は一瞬驚いたような目をしたけれど、すぐにクラスメイトとの会話をやめて神原のもとへ来てくれる。

「どうしたんだよ」とでも言いたげな久倉の目は、まだ少し怪訝そうだったけれど、神原は屈せずにもう一度声をかけた。

「テストも終わったことだしさ、コンビニで何か食ってから帰ろうぜ」

 自分から声をかけてきた神原に、何かを感じ取ったのだろう。久倉は「そうだな」と頷いていた。声にはまだ警戒心が含まれていたものの、自分の誘いが受け入れられて神原はひとまず安堵する。

 二人は教室を後にした。外ではテスト中に降っていた雨が止み、日差しが差しこみつつあった。

 神原と電車通学をしている久倉は途中まで帰り道が同じで、コンビニエンスストアはその途中にあった。

 高校からも近いから、何人かの生徒が訪れているだろうと神原は思っていたのだが、意外にもコンビニエンスストアに武蔵野第三高校の生徒の姿はなかった。

 皆部活に行ってしまったのか、それともまっすぐ帰ったのか。

 平日の午後四時頃とあって、人もまばらな店内に二人は入っていく。少し店内を物色してから、二人はレジの横で温められていた肉まんを買った。制服も冬服に変わって、肌に触れる空気もかなり涼しくなってきた季節にはちょうどいい。

 昇降口に向かう間も、コンビニエンスストアに行く間も、そして店内でも二人はほとんど話せていなかった。久倉とはまだかすかな緊張状態にあるから、会話を切り出すにはどんな言葉が適切なのか、神原には分からなかった。

 それは久倉も同様だったようで、必要最低限の会話しか交わさない二人は、どちらもまだ腹を立てていることを、お互いに感じてしまっていた。

「なぁ、テストどうだったよ」

 コンビニエンスストアを出た二人は、店の前の邪魔にならないところに移動して、肉まんを食べ始めた。買ったばかりの肉まんは、想像していたよりも熱い。

 神原が思い切って久倉に呼びかけたのは、お互いに一口ずつを食べ終わったタイミングだった。ひとまず本題とは関係のない話をして緊張を和らげたいという神原の思いに、久倉も乗ってくれる。

「まあまあかな。どの教科もそれなりに難しかったけど、でも赤点にならないくらいの点数は取れてると思う」

「だよな。赤点になって補習受けることになったら、楽器練習する時間なくなるしな。それだけは避けたいよな」

「ああ。俺もそれが一番大きなモチベーションだった。こんなこと言ったら、真面目に勉強している奴らには怒られそうだけど」

「別にいいんじゃねぇの。理由はどうにせよ、勉強してるっていう事実には変わりないわけだし」

「だよな。勉強がしたくてしてる学生なんて、この世にいねぇもんな」

「いや、それはさすがに言いすぎだろ」

 久倉がボケてきたと判断して神原は、すかさずツッコむ。

 でも、二人の間に笑いは生まれなかった。やり取り自体が面白くなかったことを差し引いても、自分たちの間にはまだ見えない壁があると、神原は感じてしまう。黙っていれば、この壁はさらに高く強固にされていく一方だ。

 それでも肉まんを口にしながら、神原はふと思う。

 自分たちは、文化祭が終わったら解散してしまう。その瞬間を険悪なまま迎えたくない。すっきりと気持ちよく終わりたい。

 そのためには、神原は再び久倉に声をかけるしかなかった。黙ったままでは何一つ伝えられない。

「この前はさ、悪かったな。あんな強く責めるようなこと言って」

 言葉にすることは自分の非を認めることで、それは神原にとっては簡単なことではなかったが、それでも神原はそのハードルを乗り越えて口にした。自分の声を聞くと、ガチガチに固めていたプライドが少しずつ崩れていく感覚がする。

 久倉が肉まんを食べる手を止めて、神原の方を向いた。その瞬きの一回一回が、神原の目には克明に写る。

「いやいや、何謝ってんだよ。原因があるのは俺の方だろ。お前が謝る必要なんてまったくねぇよ」

「いや、謝らせてくれ。お前の気持ちも想像せずに、キツいこと言っちまった。すまん。俺ももっと冷静になるべきだった」

「いや、お前を怒らせたのは俺だから。実際、あの日ミスが多いのは自分でも分かってたし。誰か一人でも気の抜けたような演奏してたら、腹が立つのは当然だろ。だから、俺の方こそ悪かったよ。本当にすまなかった」

 久倉に謝らせているのは、神原にはきまりが悪い。

 だけれど、ここでさらに自分が謝っても、久倉は「自分が悪い」という主張を繰り返すだけだろう。それはとても不毛なことに神原には思える。

 だから、神原は「ああ」と頷くしかなかった。自分に向けられる久倉の目が、「許してくれたのか?」と語っている。

 目の前の道路を行き交う通行人、走り去っていく車。そのなかで神原たちを見ている者は、誰もいなかった。

「ただ、お前が福満たちのバンドから抜けたこと、俺はまだ完全に受け入れたわけじゃねぇから。今でも、お前には福満たちとのバンドを続けてほしかったと思ってるよ。残された福満たちのことを思えばな」

「……そうだな。俺もあいつらのバンドから抜けて、後悔したことも一度や二度じゃなかったし。あの選択でよかったのかって、しばらくは引きずってた。そんな迷いがあのときのドラムには出ちまってたと思う」

「でもさ」久倉が声を改める。じっと神原に向けられた双眸は、少しも揺らいでいなかった。

「俺、もう決めたから。ひとまず文化祭が終わるまでは、そのことはもう考えないようにするって。お前らのバンドに集中するって。だって、これで本番でガタガタな演奏したら、何のために抜けたんだって福満たちに言われちまうもんな」

 本当にそんなことができるのかは分からない。もしかしたらふと思い出して、罪悪感に苛まれる瞬間もあるかもしれない。

 神原はそう思ったけれど、久倉の目がまっすぐ自分を見つめてきていたから、そんなことは言えるはずもなかった。

 久倉が決めたことだから、信じてみよう。強く咎めたことによる後ろめたさはある。でも、それ以上に決意を固めようとしている久倉の姿が、神原をそういった気にさせた。

「そうだな。お前がそう言うなら、俺ももうこのことは言わないようにするわ。今はとにかく文化祭のステージを成功させることが第一だもんな」

「ああ、分かってくれてありがとな。俺、ドラムもっと頑張るから。お前らの足を引っ張るような演奏は、絶対しないって約束する。信じてもらえないかもしれないけど」

「いや、信じるよ。俺も良い演奏ができるよう頑張るから。俺たち四人で力を合わせて、絶対に良いステージにしような。悔いなんて一つも残さないように」

「ああ」そう言いながら、久倉は肉まんから手を離していなかった。

 でも、握手なんてしなくても、久倉の目に強い決意が宿っていることが神原には分かる。

 目を合わせて想いを交換する二人。やがて照れくさくなって、どちらからともなく笑いだす。

 でも、その笑みを神原はもう、きまり悪く感じなかった。

 完全な仲直りができたわけではない。事態は一個も解決していない。

 それでも、神原には次のバンド練習は、もう少しいい状態で迎えられそうな気がしていた。


(続く)


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