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【小説】ロックバンドが止まらない(17)


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 神原たちは、次の土曜日にも貸しスタジオに入った。文化祭で演奏する六曲を、少しでもクオリティを高めようとする。

 だけれど、この日もなかなか呼吸が合わず、時間を追うごとに神原の感じるストレスは強くなった。

 特に久倉の演奏が良くない。少しは気持ちが落ち着いたのかミスは少なくなっていたが、それでも演奏はどこか独りよがりで、神原たちに歩み寄ろうという気は、少なくとも神原にはあまり感じられなかった。

 この一週間、神原と久倉はほとんど話していない。久倉のことを自分勝手に感じて神原はあまり話したいとは思えなかったし、久倉もまた神原を避けていた。

 だから、神原と久倉の演奏は今日も合わない。苛立ちをなるべく抑えて、「こうしてほしい」と神原は修正するように言うが、その声にもまだ棘はこもってしまっていた。

 久倉も言葉少なに、「分かった」とだけ答えている。どこかふてくされているようで、神原にはちっとも気に入らなかった。

 文化祭の前には二学期の中間テストがあって、それはもう週が明けた頃に迫っていた。

 神原は夕食の時間までギターを練習してから、夕食を食べ終わると、自分の部屋に行って勉強を始める。一学期の期末テストも平均点は取れたものの、気を抜いたら赤点になって補習を受けかねないので、気が進まなくても勉強はしなければならない。

 教科書やノートを開いて、机に向かうこと一時間。そろそろ集中も切れ始めてきたところで、一階から「泰斗―、電話―」と母親の声がする。

 ちょうどいいタイミングだと思い、神原は「今行くー」と返事をして、階段を下りて玄関にある電話に向かった。

 画面に表示されているのは知らない電話番号で、神原は何事かと思う。でも、受話器から聞こえてきたのは、しばらく聞いていなかった懐かしい声だった。

「もしもし、神原? 俺だよ、俺。敦賀。久しぶりだな」

 リラックスした声に、神原は瞬間的に喜びを覚える。このタイミングでかかってくるとは思わなかったから、返事は少し浮き足立ったものになった。

「えっ、敦賀か? マジで久しぶりだよな。今年の正月に、電話で少し話した以来じゃんか。でも、どうして急に電話なんてかけてきたんだよ」

「それはさ、今日俺携帯電話買ってもらって。で、嬉しくなって今色んなとこに電話してるとこなんだ」

「えっ、マジか。いいなぁ。俺なんて全然携帯買ってもらえる気配ねぇよ」

「まあ、まだちょっと高いからな。ウチも去年からお願いし続けて、誕生日プレゼントにやっと買ってもらえたって感じだし。お前も高校卒業して一人暮らしとか始めたら、買ってもらえるんじゃねぇの? 親が心配してさ」

「ああ、だといいけどな。あと、言いそびれちまったけど、誕生日おめでとう。確か三日前だったよな」

「四日前だよ。何、お前もしかして俺の誕生日忘れてたの?」

「いや、そういうわけじゃねぇけど。ちょっとボケてみただけ」

「どうだか。でも、祝ってくれて純粋に嬉しいよ。ありがとな」

「ああ。ところでお前最近どうだよ? まだドラムは叩いてんのか?」

 敦賀は大阪に引っ越してから、四月にはもう同じ高校の友人とバンドを結成していた。そのことは神原も既に聞かされている。一年のときの文化祭にも出たようで、楽しかったと電話がかかってきたことも覚えている。

 電話の向こうで敦賀が小さく微笑んだような気が、神原にはした。

「ああ、やってるよ。文化祭が来月にあるから、今はその練習の真っ最中だ。去年も楽しかったことは楽しかったんだけど、全部がうまくいったわけじゃねぇし、今年こそはもっと良い演奏ができるように、貸しスタジオに入って頑張ってるよ」

「そっか。俺もお前がドラム続けてるようで何よりだよ」

「いや、それがさ続けるどころか、最近別にもう一つバンドを組んでさ。何度も頼まれたから断りきれなくて。ギターもベースも未経験からのスタートだから、貸しスタジオに入ってみてもなかなか形にならなくて。正直ちょっと苦労してるよ」

 敦賀がバンドを掛け持ちしていることに、神原は驚いてしまう。と同時に、久倉のことが思い出されて、かすかに胃が縮むような思いがした。

 でも、敦賀は神原の事情は知らない。

 だから、神原は微妙な感覚を押し込めて、努めて明るい声を出した。

「そっか。まあ俺たちも楽器に触ったことがない状態からのスタートだったから、なんか懐かしいな。でも、そいつら少しずつ弾けるようにはなってきてんだろ? それを見るのは楽しいじゃんかよ」

「ああ。本当亀の歩みって感じだけど、でも少しずつ上手くなってるのを見れるのは、俺にとっても良い刺激になってる。なんか初心を思い出すような。初めて最後まで合わせられたときの、まあそんときもミスだらけだったんだけど、あいつらの輝くような表情は忘れらんねぇな。俺も間違いなく嬉しくはあったし」

「そっか。まあお前が楽しんでバンドを続けれてるようで、俺も安心したよ」

「ああ、ところでお前はどうなんだよ。正月に電話したときは、ドラムもベースも見つかってないって言ってたよな。あれから無事にバンド組めたのか?」

 敦賀の質問に、神原は「ああ、組めたよ」と、声を弾ませて応えられただろう。ほんの一ヶ月前までは。

 でも、今は組むことはできたものの、うまくいっているとは言い難い。きっと明日も、久倉とはあまり話せないだろう。この状態で文化祭のステージが成功するのかどうか、神原は不安だ。

 それでも電話の向こうで興味深げにしている敦賀のもとでは、沈んだ様子は見せられなかった。

「まあ、なんとか組むことはできたよ。ベースは前のバンドが解散したって向こうから声かけてくれたし、ドラムは他のバンドで叩いている奴に頭下げて入ってもらってる。今はお前と同じように来月にある文化祭に向けて、曲をコピーしてる真っ最中だ」

「えっ、マジか! よかったじゃん! バンド組めて! しかも、その言い方だと二人とも経験者なんだろ! いや、マジで羨ましいよ!」

 そう声を弾ませる敦賀は、まるで自分のことのように喜んでいた。敦賀としても自分が引っ越したことで、バンドが続けられなくなったことに引け目を感じていたのだろう。

 神原も「まあな。曲を覚えてくるのも速くて、色々助かってるよ」と答えて、歓喜する敦賀の勢いを削がないようにした。敦賀の息が躍っているのが、電話越しにでも神原には分かる。

「そっかそっか。いや、お前がまたバンド組めて、俺も超ホッとしてるよ。あっ、そういえば与木は? あいつもそのバンドにいんのかよ」

「ああ、いるよ。ギターは上手いけど、相変わらず口数は少なくて、何考えてるか分かりづれぇけどな」

「よかった。あいつ喋るよりもギター弾いてた時間の方が長かったからな。やめてないようで何よりだよ。で、その四人で文化祭出るんだろ。しかも全員経験者で。もううまくいくのなんて、決まったようなもんじゃねぇか」

 敦賀の言葉は本当に無邪気で、そこに他意はまったく含まれていなかった。でも、現実とその言葉とのギャップに、神原の声は詰まりそうになってしまう。「ま、まあ、そうだといいけどな」と、返事もどこかぎこちなくなった。

 電話越しでも神原が気まずく思っているのが分からないほど、敦賀は鈍くはない。

「ん? どうかしたのかよ?」と訊かれて、神原は一瞬迷ったけれど、一緒にバンドを組んでいた敦賀になら言える気がして、重たくなりかけた口を再び開く。

「な、なぁ、ドラム掛け持ちするのって、やっぱ大変なのか?」

「えっ?」突然尋ねられて戸惑っている様子の敦賀に、神原はここ最近に至るまでの経緯を簡単に説明した。

 バンドを組んでいない期間に、与木に触発されてオリジナル曲を作り始めたこと。そして、久倉がそのオリジナル曲に興味を示したこと。さらには、久倉がオリジナル曲をやるために元々組んでいたバンドを抜けたことまで、かいつまんでだが洗いざらい敦賀に伝えた。

 その間敦賀は相槌を打ちつつも、話の腰を折ることなく最後まで神原の話を聞いてくれる。

 誰にも相談できなかったことを言葉にしていると、神原は少しずつ気持ちが落ち着いてくることを感じた。

「なるほどな。バンドを組めたはいいものの、お前が今そんな状況になってるとはな」

「ああ。それでさ、どうしたらいいと思う? どうやったら久倉に、自分がしたことは間違ってるって、分かってもらえるかな?」

 神原がそう尋ねると、敦賀は「そうだな……」と言って、少し考え込むような素振りを窺わせた。

 返事を待っている時間は少し気まずかったものの、敦賀にとっては今いきなり聞かされた話だから、無理もないだろう。

 でも、敦賀は神原が予想していたよりも早く言葉を返してきた。

「ていうかさ、そもそもの前提が間違ってんじゃねぇの? 俺はその久倉って奴が、自分のしたことを分かってないとは思わないけどな」

 自分たちはいいことも悪いことも、何でも言い合える。そう神原は感じていても、敦賀の返事が思っていたものとは違ったから、思わず「は?」という声が出てしまう。

 少し喧嘩腰みたいな神原の反応も、敦賀は意にも介していないかのように続けた。

「いや、お前は知らないかもしれないけど、一人だけバンド抜けるのって、まあまあ辛いんだぜ。俺もこっちに引っ越すことが決まったときは、俺のせいでバンドができなくなっちまうって、自分を責めたしさ。俺も、もちろん辞令を言い渡された親父も何も悪くないってのに、それでもしばらくは辛かった」

「そうだったのか。お前、学校でも平気なように振る舞ってたから、すぐに受け入れたんだと思ってた」

「いやいや、本当は全然受け入れられてなかったよ。それこそ一ヶ月とか二ヶ月とか、それくらいの時間がかかった。お前らにはマジで申し訳ないと思ってた。だからさ、その久倉って奴も元々のバンドのメンバーには、かなりの罪悪感を感じてるはずなんだよ」

 敦賀が言う通り、神原には自分からバンドを抜けた経験がない。だから、敦賀や久倉の気持ちを完全に知ることはできない。

 それでも、心のうちを想像することはできる。久倉がどんな思いで福満たちのバンドを抜けたか。おおまかなイメージは掴めたけれど、やはり全てを理解することは難しかった。

「そんなもんかな」という言葉が、口をついてしまう。

「そんなもんなんだよ。断言するけど、今はお前よりもその久倉って奴の方が、辛く感じてるからな。だって、他のメンバーを一時的にとはいえバンドができない状況にしてるわけだし、そこに罪悪感を感じなかったら、楽器やってる人間じゃねぇよ。でもさ、その久倉はそれを覚悟の上で、お前らのバンドに集中することを選んだんだ。そこはさ、お前も少しは理解を示してやれねぇかな?」

 敦賀の見解は紛れもなく自らの経験に裏打ちされていて、神原は強い説得力を感じた。久倉に対して配慮が足りていなかったと、今なら思える。

 そう考えられたのも、敦賀に話すことでいくらか自分を客観的に見られていたからだった。


(続く)


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