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【小説】ロックバンドが止まらない(98)


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 スプリットツアー初日のSHIBUYA NーEASTでのライブは盛況のうちに終わっていた。自分たちもスノーモービルも、今のベストに近いライブをした実感が神原にはある。

 それでも、きっと観客からしてみれば今日のハイライトは、最後に登場したショートランチだろう。ショートランチの三人は何曲もの良い曲を間違いのない演奏で披露していて、盛り上がるのも当然だと、癪だが神原にも思えてしまうほどのライブをしていた。

 おそらく多くの観客の頭にも、三人のライブが強く刻まれたことだろう。スノーモービルや神原たちのライブの印象を上書きするかのようなライブに、神原は危機感を覚えずにはいられない。

 今回のスプリットツアーで、ショートランチがトリを務めるライブはもうない。だけれど、順番がどうであれ三人のライブが脅威であることには変わりなくて、神原は手ごたえに浸るような気分ではなかった。

 時刻は深夜の〇時を回った。ライブの疲労もあるし明日のことを考えるなら、もう寝ておかなければならない時間だ。

 だけれど、神原はどうしても寝つくことができなかった。目を閉じると、ショートランチのライブの光景が瞼の裏に浮かんできて、神原が眠りに落ちることを許さない。

 神原はいったんは寝ることを諦めて、部屋着のままベッドから起き上がった。部屋を出ると、見慣れない廊下が神原の目に飛びこんでくる。ほんの少しオレンジ色を帯びた壁紙。

 神原たちは明日、朝の八時を目途に次のライブが行われる名古屋に出発する予定だ。だから、万が一にも遅刻したり寝坊する者が出ないように、念のため今日は全員で都内のビジネスホテルに宿泊しているのだ。

 もう日付が変わったこともあって、廊下はすっかり静まり返っている。少しだけ不気味な、どことなく心細く感じられる雰囲気のなか、神原はエレベーターに乗った。自動販売機のコーナーは、ホテルの五階にあった。

 辿り着いた一角では自動販売機の光が、廊下の照明を凌駕してさかんに瞬いていた。

 明日に備えて寝ようとするために、神原はなるべくカフェインが入っていない飲み物を選ぶ。廊下は暖房が効いていても、四月の夜はまだまだ肌寒さを残している。

 よって、神原が買ったのはペットボトルのホットココアだった。口をつけると、カカオのコクとふんだんに使われたミルクのまろやかさが、神原の心を少し落ち着ける。気を張っていた一日が終わっていく感覚がする。

 神原は自動販売機のコーナーでしばし時間を過ごし、一息ついてから自分の部屋に戻ろうとする。

 そのときだった。廊下から平井が現れたのは。ひょっこりという言葉が当てはまりそうな平井の登場に神原は思わず驚いてしまったし、平井も一瞬目を丸くしていた。

 でも、すぐに「神原君だよね? 今日はお疲れ」と、和やかな表情で言ってくる。だから、神原も「おう、お疲れ」と応えないわけにはいかなかった。

 平井はコーンポタージュを買っていて、一口飲むと安心したように深く息を吐いていた。

「じゃ、じゃあ、俺もう寝るから。明日からもよろしくな」

 そう言って、神原は自動販売機のコーナーを後にしようとする。しかし、「えー、せっかくなんだしちょっと話してようよ」と口を尖らせている平井は、無視できなかった。

「神原君、改めてだけど今日はお疲れ。こうやって一緒になるのは、確か一昨年の顔見せライブ以来だよね」

「そうだな」と答えながらも、神原は内心では意外に思う。平井たち三人はあのときから抜きんでた存在だったし、あのライブも通過点の一つにすぎなくて、自分たちのことなんて眼中にも留めていない。そう思っていたからこそ、神原の胸にはまず「覚えていたのか」という思いが去来する。

 それでも平井は、そんな神原の内心など意にも介していないかのように、温かい表情をしていた。

「あのときもね、私神原君たちのこと良いライブするなって思ってたんだ。曲も良いし演奏も噛み合ってたし、何より一つ一つのライブにかける意気込みが伝わってきた。あのときに出演してたどのバンドやミュージシャンよりも、記憶に残ってるよ」

 平井は、神原たちを褒めることから話を始めていた。思い出深そうに語るその口調から本心で言っていることが分かったが、それでも神原はその言葉を素直に受け取ることはできない。

 上から目線に思えてしまって、返事も「ああ、そりゃどうも」とそっけないものになってしまう。

「もしかしてお世辞だって疑ってる? 言っとくけど、私神原君たちとこのツアーを周れることが決まったとき、本当に嬉しかったんだからね。神原君たちの曲は、インディーズ時代も含めて聴けるものは全部聴いてるくらい良いと思ってるんだから。もちろんスノーモービルも含めて好きなバンドと周れる、私にとってはすごく嬉しいツアーだよ」

 実感を込めて語る平井に、神原は自分の器の小ささを感じてしまう。自分たち、少なくとも自分はショートランチやスノーモービルに対して対抗意識を燃やしていたのに、平井はそんなことはまったく感じていないようで、ただこのツアーを周れる喜びを噛みしめているようだ。

 それでも、その態度が売れているバンドの余裕に感じられて、神原は素直に認められない。「そっか。そりゃよかったな」という相槌は、どこか冷たさを纏っていた。

「何? 神原君はもしかしてこのツアーが不満なの?」

 そう訊かれて、神原はとっさに「いや、別にそんなことはねぇけど」と答える。

 自分たちだけだったら、この規模のツアーは周れていない。ショートランチやスノーモービルの力は認めなければならない。そのことは、神原も頭では分かっているつもりだった。

「まあ、別に神原君がどう思っててもいいんだけどさ、私は今日のライブ楽しかったよ。スノーモービルも初めて見たとは思えないほど自然に乗れたし、何より神原君たちは、顔見せライブで見たときよりもずっと良いバンドになってた。一人一人の技術が上がってるのはもちろん、それが高い水準で融合してて。ちょっと感動しちゃったな」

「まあ、それくらいでないと困るからな。俺たちだってもっと売れたいし」

「うん。絶対に売れるよ。あんな良い曲を持ってて、それをライブで存分に発揮できるバンドが売れないわけない。実際、今日のライブで神原君たちを好きになったお客さんも多かったんじゃないかな」

「だといいんだけどな」

「いや、絶対そうだよ。みんなが良いライブをして、今日のライブは成功したって言っていいと思う。だから、明日からもまた頑張らなきゃね。明日も明後日もこれを続けていって、胸を張って成功したって言えるようなツアーにしよう」

 平井の言葉が極めて高い純度を持って、神原の耳に届く。言っていることは何一つ間違っていないので、神原も「ああ、そうだな」と頷ける。

 でも、その心中は決して穏やかとは言えなかった。平井はまだ一段上から物を言っている。そう神原には感じられたからだ。何とかして、その余裕めいた仮面を引きはがしたい。

 そのために自分たちができることは、明日からの二日間で今日を超えるようなライブをすることだ。自分たちに残された機会は少ない。だからこそ、神原はより強い決意が必要だと感じていた。

 前日に定められた通り、朝の八時には神原たちは誰一人として寝坊することなく、ホテルのロビーに集合していた。園田たちともこんな時間帯に会うのは初めてだったから、まだ残っている眠気を噛み殺しつつも、神原はどこか新鮮さを感じる。

 すでに三組分の機材は、ホテルの近くの駐車場に停められたライトバンにそれぞれ積んである。だから、神原たちは軽く挨拶を交わすと、八千代に連れられてその駐車場へと向かった。

 外の空気は、冷たさのなかに少しの暖かさを含んでいた。

 駐車場には同じような銀色のライトバンが三台並んでいた。見た目がまったく一緒で、ナンバープレートで識別しなければ、乗り間違えてさえしまいそうだ。

 神原たちはそのうちの一台に乗り、八千代の運転のもと駐車場を出発する。ここから名古屋まではおよそ二時間半のドライブだ。

 出発した頃には園田や久倉を中心に、車内には会話の輪が生まれていた。今日のライブ楽しみだねとか、着いたら合間の時間に何をしようとか。神原や与木も話の輪に加わり、車内は緊張感がありつつ安寧とした雰囲気に包まれる。

 それでも、神原の身体からはまだ昨日の疲れは抜けきっておらず、それは三人も同じだったようで、高速道路に乗ってしばらくすると、会話は次第に少なくなっていく。

 やがて誰も何も話さなくなり、車内には夜のライブに向けて少しでも体力を温存すべきだという空気が、支配的になった。

 神原も背もたれによりかかって、目を瞑る。起きたときから感じている眠気は、まだ神原のなかでは姿を消していなかった。

 それでも、初めての東京以外のライブで緊張しているからか、神原はなかなか眠ることはできず、携帯音楽プレイヤーで音楽を聴きながら、ぼんやりと窓の外を眺め続けた。

 そのまま二時間が経った頃だろうか。車は高速道路を降りて、名古屋の街に差しかかる。見知らぬ街の景色を見ていると、物珍しさからか、神原には得も言われぬワクワク感があった。

 イヤフォンを外すと、園田たちも起きたようで、窓の外を見ては「凄い」と声を上げていた。規模的には東京の方が大きいものの、遠くに来たという思いがそう感じさせているのだろう。

 車内には再び会話が生まれる。話していると、窓の外ではテレビ塔が空を突き刺すように建っているのが見えた。

 高速道路を降りてから名古屋の街を走ること十数分。神原たちは今日の会場である、名古屋プラチナホールに到着した。駐車場を出るのはほぼ同時だったものの、途中で信号にでも引っかかったのか、ショートランチやスノーモービルの機材車の姿はまだ見えない。

 神原たちは裏口に回ると、スタッフと一緒に機材を搬入した。今まであまり持つ機会のなかったアンプのずっしりとした重さを、神原は手を通じて全身に感じる。

 本当にここでライブをするのだと、改めて思えた。


(続く)


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