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【小説】ロックバンドが止まらない(76)


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 午後から始まったロングインタビューは、神原たちが一息ついた頃には、窓から西日が差しこむくらいになっていた。予定していた時間をサニーミュージックに所属するまでで使いきってしまったため、インタビューの続きはまた後日になる。

「今日はインタビューに応じてくださりありがとうございました」と番場が言い、神原も「いえ、またよろしくお願いします」と応える。

 番場が会議室を後にするのを見届けてから、神原も事務所の外に出た。ふと見上げると、西の空が夕焼け色に染まっていた。

 家に帰ってきた神原は、夕食を食べるよりもシャワーを浴びるよりも先に、ギターを手に取った。まだ次のシングルやアルバムの発売は決まっていないが、それでも少しでもそのための曲を作っておきたい。

 いくつか適当なコードを鳴らしていると、机の上に置かれたスマートフォンが振動した。見てみると、八千代からのラインが来ている。

「皆に一つ伝えたいことがある」ときたら、神原は曲作りを中断してスマートフォンを手に取らざるを得ない。八千代がラインを送ってきたのは、神原たちメンバー三人と八千代のグループラインだった。

 神原が「どうかしたんですか?」と返信する前に、八千代は立て続けにラインを送ってくる。

「今日連絡があってな、映画のプロデューサーだという人から『Futatabi in the dark』を映画の主題歌に使いたいって言われたんだ」

 神原だけでなく、園田や久倉もラインを見ていたのだろう。既読はすぐに三つついた。そんななかで神原には真っ先に驚きが来る。

 神原たちも今まで映画の主題歌を担当したことはある。でも、それはまったくの新曲を書きおろしたもので、一〇年以上も前に発売されたアルバムの中の一曲を主題歌にしたいというオファーは、初めてだった。

「それってどんな映画ですか?」と園田が訊いている。神原が同じことを訊くよりも先に。

「来年秋に公開される『アディクト・イン・ザ・ダーク』って映画だ。薬物依存症患者の苦悩と回復を描いた映画で、監督が『Futatabi in the dark』をイメージしながら脚本を書いたらしい。だから、曲を主題歌として使わせてほしいって、プロデューサー経由で連絡が来たんだ」

「それってもう本決まりなんですか?」

「いや、今日はまだ打診されたばかりだから。正式なオファーはきっとまた後日届くと思う」

 久倉の疑問に八千代は率直な回答を返していて、神原も心の中で頷いた。

「Futatabi in the dark」は収録されたアルバムの中でもリード曲のような立ち位置で売り出され、ミュージックビデオも作られた、神原たちにとっては大切な曲だ。メジャーデビュー一〇周年の際に発売されたベストアルバムにも収録されている。

 きっとその映画の監督も好きな曲なのだろうと、神原には容易に想像できる。でも、まだ完全な納得はできなかった。

「本当に『Futatabi in the dark』でいいんですか? 映画の主題歌って言ったら、ここはやっぱり新曲を書いた方がいいんじゃ……?」

「いや、どうしても『Futatabi in the dark』がいいらしい。この映画に一番合ってる曲だって、熱っぽく言われたよ」

「でも、『Futatabi in the dark』は四人のときの曲ですよね? そのときの録音をそのまま使う感じですか? それとも三人で、新しいバージョンを録り直す感じですか?」

「それもまだ決まってない。オファーがどういった形で来るか次第だ。でも、プロデューサーの方は三人に直接会って話したいと言ってるんだが、三人はそれでいいか?」

「はい、大丈夫です」そう返信することに、神原は迷わなかった。

 以前映画の主題歌を務めたときも、神原たちは事前にプロデューサーといったスタッフたちと何回か顔を合わせての打ち合わせをしていたし、それが当然だとも思う。

 同じように感じていたのか、園田や久倉も「大丈夫です」「お願いします」といった返信をしていて、三人の意思はあっという間に固まっていた。

 受けるにしてもそうでないにしても、とりあえず話だけは聞いてみよう。それが失礼のない態度だろうと、神原は感じていた。

 八千代を通じて再び映画のプロデューサーから神原たちのもとに連絡があったのは、最初に連絡を受けた翌週のことだった。改めて『Futatabi in the dark』を映画の主題歌に使いたいと正式なオファーを神原たちは受け取り、話をするために一度顔を合わせることも決まった。

 長く感じた夏も終わりに差しかかって、日に日に涼しさを感じるようになって来た頃、神原たちメンバー三人と八千代は、映画のプロデューサーが所属している映画会社「白樺」の事務所に赴く。多くの事業に参画している白樺は丸々一棟自社ビルを保有しており、受付を通った神原たちは四階にある会議室へと案内された。

 エレベーターから降りて八千代を先頭に四人が会議室に入ると、そこには既に二人の男女が席に着いて待っていた。女性は少し年を重ねた雰囲気があるが、男性は自分たちと同年代のように神原には見える。神原たちが入ってきたことに気づいて二人は立ち上がっている。だから、神原たちが先に座るわけにはいかなかった。

「改めましてChip Chop Camelの皆さん、今日は足をお運びいただいてありがとうございます。私、今回の映画『アディクト・イン・ザ・ダーク』の総合プロデューサーを務めさせていただいています空井(そらい)と申します。本日はよろしくお願いします」

 そう言って空井は、八千代も含めた四人に名刺を渡してきた。神原たちも「ありがとうございます」と受け取る。

 名刺には「株式会社白樺 プロデューサー」と役職が書かれていて、神原たちに今回のオファーが改めて現実のものであることを思い知らせた。

「そして、今日私の隣にいるのが今回、映画『アディクト・イン・ザ・ダーク』の監督を務めます那須谷(なすたに)です」

「那須谷弦二(なすたにげんじ)です。Chip Chop Camelの皆さんの曲は以前からお聴きしていて、ライブにも何回か行ったことがあります。なので、今日お会いできてとても嬉しく光栄に思います。今日はよろしくお願いします」

 那須谷は丁寧な口調で、でも抱いている興奮を滲ませるように言っていた。自分たちの曲をイメージして映画の脚本を書いたくらいだ。きっとその言葉に嘘はないのだろう。

 神原たちとしてもライブに来るほどのファンを目の前にして、純粋に嬉しい。「ありがとうございます」と三人の口から本心が漏れ出る。

「では、さっそく今回の映画『アディクト・イン・ザ・ダーク』についての説明をさせていただきます。机の上に置いてある企画書を見てください」

 そう空井に言われて、神原たちもあらかじめ机の上に置かれていた数ページの書類を手に取る。表紙には「映画『アディクト・イン・ザ・ダーク』(仮)企画書」と書かれていて、映画を撮り始める前に作られたものであることが神原には分かった。

 空井に説明される形で、神原たちは企画書を読んでいく。

 薬物依存症が特別な人の話ではないことを伝えたいという企画の狙いに、今まで原作付きの映画を二作手がけてきた那須谷の初のオリジナル脚本であること。主演には神原も名前を知っている有名な俳優が挙げられ、那須谷たちスタッフ陣や製作期間、必要な予算までが詳しく掲載されていた。

 空井から説明される事項を、神原は一つも聞き漏らさないように真剣に聞いた。

 企画書の隣には那須谷が書いた脚本も用意されている。ここで全てを読むことはできないが、それでも空井の話を聞く限りでは、映画の内容は神原にとっても興味を持てるものだった。

「今回の企画の説明は以上です。現在は撮影を終え、来年秋の公開に向けてポストプロダクションの作業が進められています。そして改めてですが、私たちはこの映画の主題歌に皆さんの『Futatabi in the dark』を起用させていただきたいと考えています」

 空井が企画書から顔を上げて言う。とはいえ、神原たちはすぐに頷くことはしなかった。いくら企画の内容を理解したとはいえ、軽はずみに同意してはいけないだろう。

 確かに神原たちにも主題歌としてピックアップされることで、自分たちの存在をより多くの人に知ってもらえるというメリットはある。だからこそ、慎重になるべきだろうと神原は感じていた。

「あの、念のため訊きますけど、書き下ろしの新曲じゃなくていいんですね?」

「はい。『Futatabi in the dark』がいいんです。詳しくは、今回の発案者である那須谷から説明させていただきます」

 空井からそう名指された那須谷は、返事をすると背筋を伸ばしていた。真面目な表情には少し緊張の色が滲んでいる。

「はい。では、皆さんもオファーの内容には目を通してくれたことと思いますが、僕から改めて今回依頼するに至った経緯を説明させていただきます」

 神原たちを真っすぐ見ている那須谷に、自然と神原たちも姿勢を正す。

「そもそものきっかけは数年前、とある有名俳優の方が覚せい剤取締法違反で逮捕されたときでした。そのときに様々なニュースがメディアで流れましたが、その中で僕はある日偶然テレビで見た、薬物依存症からの回復を支援している専門家の方の言葉を聞きました。その方曰く『薬物を使用するということがゆっくりと死んでいくということなのは、皆分かっている』『自分のことなんてどうでもいいと思っている』と。当時、今もですけど映像業界の隅の隅にいて自己肯定感が低かった僕は、その言葉に深く共感しました。自分のことを言っていると思えました。そのときから薬物依存症の方々がまるで他人のようには思えなくなり、いつか薬物依存症についての映画を作ってみたい、いや作らなければと感じるようになりました」

 那須谷は一言一言言葉を選ぶように慎重に口にしていた。神原たちも真剣に耳を傾ける。「自分のことなんてどうでもいい」と自棄になる気持ちは、神原も年に何回かは味わっているから、那須谷が言うことは分かるような気がした。

「でも、そう思ったのはいいものの、それから何年も薬物依存症についての話が書けないまま、時間ばかりが過ぎていきました。転機になったのは、ふと皆さんのベストアルバムを聴いたときです。そこに収録されている『Futatabi in the dark』を聴いたとき、僕は『これだ!』と感じました。あの曲に歌われている塞ぎこむような、自暴自棄になるような気持ち。でも、それをどうにか振り切ってまた今日も生きていこうとする歌詞と切実な曲調に、僕はとても大きな刺激を受けました。まるで点と点が繋がったかのように『これなら書ける!』と思ったんです。そこからはここにいる空井さんと一緒に企画を練り、たくさんの資料に当たりながら脚本を書き上げ、そして様々なプリプロ作業、さらには本撮影をどうにか乗り越えて今に至っているという次第です。皆さんの『Futatabi in the dark』がなければ、間違いなくここまで来られていません。だから、僕はこの映画を作る原動力となったこの曲をぜひとも主題歌としてエンドロールで流したいんです。この映画を完成させる最後のピースとして、『Futatabi in the dark』が不可欠だと僕は考えています。なので、どうかご理解いただけないでしょうか。何卒お願いします」

 そこまで言って、那須谷は一度頭を下げた。オファーに書かれていた文面を要約したかのような説明は神原としても腑に落ちる。自分たちの曲が誰かを動かし、作品を作り出すきっかけになったことを嬉しく感じる。

 それでも、やはりこの場ですぐ承諾することはできなかった。

「あの、返事はまず脚本を全部読んでからでもいいですか?」と、神原は那須谷に問う。映画の内容を把握しなければ、自分たちの大切な曲の使用許可は出せない。

 那須谷もそのことが分かっているのか、「はい、もちろんです」と頷いている。なるべく早く返事を出すために、帰ったらすぐに脚本に目を通さなければと神原は感じた。


(続く)


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