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【小説】ロックバンドが止まらない(90)


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 アンコールは演奏するのが一曲だけだったこともあって、神原たちは改めて集中した演奏ができていた。園田もわずかな時間でも休めたからか、最後まで引き締まったタイトな演奏をしていた。

 フロアの雰囲気も多少なりとも持ち直していて、ステージを降りたときに後味の悪さは、少なくとも神原は感じなかった。

 楽屋に戻って、四人して椅子に座りこむ。誰もが疲れていたが、顔を上げようとしていても自然と頭が下がっていっている園田の疲労度は、自分たちの中でも群を抜いているように神原には感じられていた。

「明日もアルバイトで朝が早いから、今日はもう帰って寝てしまいたい」休息を挟んで楽屋から出るときになって、園田は三人にそう言っていた。打ち上げには行かないという宣言を、神原たちもためらわずに受け入れる。

 もともと明日も園田にアルバイトのシフトが入っていることは、神原たちもあらかじめ分かっていたことだ。今日のライブ中、そしてライブが終わった後の疲れ方を見ても、無理に誘うわけにはいかないだろう。

 だから、神原たちはライブハウスを出たところで、「じゃあ、また来週な」と園田と別れる。駅へと向かう園田の足取りは重く、無事に家に辿り着けるかどうか神原は少し心配になったけれど、きっとなんとかなるはずだと思いこんだ。

 園田が先に帰って、打ち上げの参加者は神原たち三人しかいなくなった。SKELTERのスタッフは、明日のライブの準備があったからだ。

 下北沢でライブをするときにはよくお世話になっている居酒屋に、神原たちは三人で入る。インディーズの頃から何回も訪れているから、店員も神原たちのことを知っている。

 少しだけ目を丸くされて、よからぬ想像をされているのかもしれないと、神原は声に出さずとも訝しんだ。

 神原たちが通されたのは、四人掛けのテーブル席だった。でも、一つだけ席が空いていることに、神原はいくばくかの寂しさを覚えてしまう。

 それは他の二人も同様なのか、席に着いたところで会話はさほど弾まなかった。単純に疲れていることもあったが、それでも神原はここでも園田の不在を感じてしまう。

 思えばバンドを組んでから、この三人で打ち上げをしたりご飯を食べたことはない。いつだって園田がいるのが当たり前で、普段とは違う状況に三人ともが身の振り方を探っているように、神原には思われた。

「じゃあ、とりあえず乾杯」

 そう神原が音頭を取ってビールジョッキを突き合わせてみても、三人の間に流れるどこか気まずい空気は、まだ拭えていなかった。神原も今日のライブに満足がいっているとは言い難いから、喉を通るビールにも達成感はそれほど感じない。

 騒がしい店内で神原たちのテーブルだけが、少し微妙な雰囲気を漂わせていた。

「もっとさ、練習できればよかったよな」

 そう呟くように言ったのは、久倉だった。その言葉には、神原にも頷ける部分があった。どの曲もそうだが、特に五曲目は練習の機会がよりあれば、もっと良い演奏ができただろう。

 それでも、神原は久倉に同意するわけにはいかなかった。

「いや、たらればを言っても仕方ないだろ。俺たち色んな事情があって、練習できる機会は限られてるんだから。嘆くならその限られた機会の中で、より質の高い練習ができなかったことを嘆くべきだろ」

「いや、それはそうなんだけどさ、でも何回も反復練習することで身につくものだってあるだろ」

「確かにそれはあるけど、でも今日のライブが、今の俺たちの実力ってことだろ。言い訳せずに、次はもっと良いライブをすることだけを考えようぜ」

「……そうだな」そう久倉が言ったきり、テーブルは一瞬沈黙した。久倉がいくつもの言葉を呑み込んだのが分かったから、神原も追及はしない。

 練習不足のせいにしたら、それはアルバイトが忙しくなった園田のせいにすることを意味している。園田は何も悪くないというのに。

 だから、神原は自分に矢印を向けて、今日までの日々を顧みた。もっと個人練習などできたことはあるはずだった。

「あーあ、売れてぇなぁ」

 久倉はビールから口を離すと、ため息とともにぼやいていた。その気持ちは、神原にも骨身にしみて分かる。音楽以外のアルバイトに時間もエネルギーも奪われる日々には、そろそろうんざりしてきていた。

「早く売れて、音楽一本で食っていけるようになりてぇよなぁ。そうしたらバイトで消耗することもなく、演奏のクオリティも高められるのに」

「そうだな。早く売れなきゃな。そのためにも、来月からのレコーディング頑張ろうぜ。曲は良いのが揃ってるんだし、あとは俺たちが満足できるような演奏をするだけだから」

「ああ、俺ももっとドラムのクオリティ上げられるように頑張るわ」

「……お、俺ももっと良いギターが弾けるように頑張る」

 久倉に続いて、与木も同じようなことを言っていたから神原は頷いた。三人で目を合わせると、誰からともなくもう一度乾杯をする流れになる。

 三人は、改めてビールジョッキを突き合わせた。久倉や与木の思いが、ビールジョッキを伝ってくるようだ。きっとここにいない園田も同じ気持ちだろう。

 神原はジョッキに残っていたビールを飲み干した。今日のライブは反省はしても、引きずらないようにしなければと強く思った。

 神原たちはもしかしたらと危惧していたのだが、園田はレコーディングの全ての日に参加することになった。新たなアルバイトが一人見つかったらしい。

 とはいえ、人手不足は依然として解消されていないようだったから、園田はかなり無理を承知で頼み込んだらしい。「レコーディングが終わった翌日から、一〇連勤になっちゃった」と軽く笑っていたが、それは神原には少しも笑い事ではないように思われた。

 吹く風も冬の匂いを増して、一年が終わる足音が徐々に大きくなるなか、神原たちはレコーディングに取りかかる。メジャーデビューしてからずっと使用しているレコーディングスタジオに、スタッフも伊佐木ら変わらないメンバーだったから、神原たちはいくらか気張らずにレコーディングに臨めていた。

 メジャーデビューしてから初めてのフルアルバムは一〇曲収録で、そのうち先行したシングルの表題曲二曲と「FIRST FRIEND」以外の七曲が、今回レコーディングする新曲だ。

 神原たちは今まで通り、まずは久倉のドラムからレコーディングを始める。ヘッドフォンから流れるクリック音に合わせて正確なリズムを刻む久倉のドラムを、神原たちは真剣な表情で聴く。スタジオには、程よい集中と緊張感が漂っていた。

 久倉は大きなミスをすることなく、予定していた範囲内でのテイク数で、OKテイクを作っていた。次は園田のベースのレコーディングだ。

 ブースに入ってベースの準備をしている園田を見ていると、神原は心配を抱いてしまう。園田は昨日もアルバイトに入ったと言っていた。疲れもあるだろうし、もしかしたら練習時間だって十分に確保できていないかもしれない。

 それでも、園田の演奏はそんな神原の心配をよそに、安定していた。リズムもしっかりとキープできていて、リフにも躍動感がある。忙しい中でも、着実に自主練習を積んできていたのだろう。

 こちらもあまり多くのテイクを重ねることなく、OKテイクを作れていて、神原は「良かったよ」と園田を労う。「ありがと」と笑顔で応えた園田の表情には、まだ疲れている様子は見られなかった。

 それでも、レコーディングを数日間続けていくうちに、様相は徐々に変化していく。ただでさえ、毎日八時間や九時間レコーディングスタジオにこもっているのだ。集中力を要し、神原たちには少しずつ疲労が溜まっていく。

 そして、それは園田も例外ではなかった。いや、レコーディング前にも連日アルバイトをしていたから、その分の疲労も園田にはあるのだろう。本当に少しずつだったけれど演奏はキレを失っていき、リズムキープも不安定になってきている。やはり練習もあまり積めてきていないのか、リフも若干おぼつかない。

 それをカバーするためにテイク数は増えていき、全体のレコーディング時間を圧迫するばかりか、園田自身の疲労も増していく。そんな悪循環に、園田は陥りつつあった。

「園田、改めて今日はお疲れ」

 神原がそう声をかけたのは、四日目のレコーディングが終わった後のことだった。立ち話もなんだからと、近くのファミリーレストランに場所を移している。閉店時間が近くなっても店内の話し声は少しも減らず、それどころか居酒屋がわりに使っている集団の声がよく聞こえてくる。

 そんななかで園田は「う、うん、お疲れ」と、身体を縮こまらせていた。目にはかすかに怯えの色さえ覗いていて、いつもの園田らしくない。

「大丈夫だって。別にお前のことを悪く言おうと思って、声かけたわけじゃねぇから」

「本当に?」神原がそう言ってもなお、園田は疑うような目をやめてはいなかった。そう思い当たる根拠は、神原にも分からないわけではない。

 この日レコーディングにかかった時間は、園田のベースが一番長かった。なかなかミスのない演奏ができずに、OKテイクを作るまでにも八テイクを要した。おかげで神原や与木のレコーディングは少し慌ただしくなっていたけれど、それでも神原は園田を責める気にはならなかった。

 レコーディングはちゃんと時間内に予定したところまで終えられていたし、何より自分のレコーディングが終わって、ぐったりとした様子でソファに座りこんでいた園田を見たら、心無い言葉はかけられるはずもなかった。

「本当だよ。むしろ疲れてるなかで、よくやってくれたと思ってるから」

「でも、疲れてるのはみんな一緒じゃない? そんななかで泰斗君や澄矢君を急かしちゃって、申し訳なさすぎたんだけど」

「いや、俺たち三人ともお前ほどには疲れてないよ。練習にアルバイトに、休む暇がないお前ほどには。むしろ疲れてすぐ帰りたいだろうところを呼び止めちゃって、俺の方こそ悪いなって思ってるよ」

「いや、それは全然いいよ。私だって晩ご飯は、どっかで食べようと思ってたし」

「そっか。明日は休息日だからしっかり休んでくれ、って言いたいとこなんだけど、明日もシフト入ってるんだよな?」

「まあね」そう答えた園田の口調は残念そうな色を隠しきれていなくて、神原は余計に心配になってしまう。

 アルバイトにレコーディングにほとんど休みなく働いていて、このままでは園田の体調が異変をきたす可能性だってある。

「まあでもさ、幸い明日のシフトは午前中で終わるから。店長もそこは、ちょっとは配慮してくれてるし。だから、午後は少し休めると思う」

「でも、その代わり朝は早いんだろ?」

「うん。六時には出勤してなきゃなんない。起きれるように、目覚まし時計しっかりかけとかなきゃだよ」

「……園田、お前本当に大丈夫か?」

 心配をかけさせまいと微笑んでいる園田の表情が、神原の気がかりな思いをかえって掻きたてた。痛々しささえ感じる表情に、尋ねずにはいられない。そんなことを訊いても、答えは分かりきっているというのに。

「うん、大丈夫だと思う。だってレコーディングはあと三日でしょ? それくらいだったら、なんとか持ってくれると思う」

「本当か? 無理しなくてもいいんだぞ。なんならレコーディングの順番をずらしたり、お前だけ入り時間を遅くしたり、もう一日休息日を設けたりとか、そういったこともできないわけじゃないから。きついようだったら、無理せずに俺たちに相談してくれていいんだからな」

「うん、ありがと。でも、それはいいかな。そんなことをしても、後でしわ寄せが来るだけでしょ。それに私は今の流れでレコーディングを続けることしか考えてないから。気遣いだけ、ありがたく受け取っとくよ」

「いや、本当に無理だけはしないでくれ。疲れた状態でレコーディングに臨んでも、今日みたいにテイク数を増やすだけなんだから。ちゃんと自分の体調を整えるのも仕事の一つだし、そのために少し休みたいっていうなら、俺たちは絶対に文句を言ったりしない。当然のこととして受け入れるよ」

「ありがと。そこまで言ってくれるんだったら、ちょっと考えてみなくもないかな」

「本当か?」

「まあ、考えるくらいならね。本当に限界でヤバいってなったら、変な意地張らずに泰斗君たちに相談するよ。実際、私も今日みたいなきついレコーディングはしたくないしね」

 そう言って、園田はまた一つ表情を緩めてみせた。もしかしたら神原をあしらうためにとりあえずで言ったのかもしれなかったが、それでも神原は別に構わなかった。園田の頭に、休んだり相談するという選択肢を植えつけられただけでよかったと思える。

「ああ」と頷くと、ちょうどそのタイミングで店員が料理を運んできた。二人が頼んだパスタやハンバーグがテーブルに置かれる。

 それぞれの料理を食べている間も、二人は話を続けていた。音楽に関係がある話も関係のない話も、園田としているとそれだけで、神原には価値があることに思えた。


(続く)


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