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【小説】ロックバンドが止まらない(100)


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 ショートランチのライブが終わってから十数分。フロアの照明は再び落とされた。転換時のBGMの代わってスノーモービルの登場SEが流れる。

 それでも曲に合わせて鳴らされる手拍子も、スノーモービルの三人が登場したときの歓声も、明らかにショートランチのときと比べて小さかった。まったくのゼロではないものの、先ほどのショートランチの盛り上がりを見ているから、スノーモービルの三人も少し拍子抜けするような感覚を味わっているのだろう。

 それはスノーモービルの知名度がショートランチと比べて不足しているからにも、ショートランチの三人が観客の今日の盛り上がりの、多くの部分を使ってしまったからにも神原には思われる。

 いずれにせよ、次に訪れる自分たちの出番を想像すると、神原はかすかに寒気がした。後半になるほど盛り下がる、そんな尻すぼみなライブには絶対にしたくないと感じた。

 登場SEを止めて、スノーモービルの三人も今日のライブを始める。まず演奏されたのは昨日の東京のライブでも一曲目に演奏された曲だった。まだ分からないが、スノーモービルは昨日と今日でセットリストを大きく変えるつもりはないようだ。

 軽快な演奏に、フロアの反応も鈍くはない。身体を揺らしてリズムに乗っている観客の姿も、二階の関係者席から神原にはよく見える。昨日の一曲目とは、比べるべくもないほどだ。

 三人の演奏に大きな変化はなかったから、その違いは先ほどショートランチがライブをしたことが大きいと、神原は思わざるを得ない。

 ショートランチの三人は、これ以上ないほどにフロアを音楽を聴き入れる雰囲気に変えていて、トップバッターの役割を一二〇パーセント果たしていた。ライブハウスには確かな熱が漂っていて、演者にとっては昨日よりも演奏しやすい。

 にもかかわらず、スノーモービルのライブは正直なところ、ショートランチのときよりも盛り上がりに欠けていると、神原には感じられてしまう。きっとスノーモービルがダメなのではなく、ショートランチが良すぎたのだろう。スノーモービルが曲を重ねていくうちに、その差は徐々に開いていくようで、神原はそこにグロテスクなものさえ感じてしまう。

 一般的に言えば、ライブは曲を追うごとに盛り上がっていくものなのだが、今はほんの少しずつでもライブハウスに漂う熱が冷めていっている感覚がする。

 自分たちの出番のときには、いったいどうなっているのだろうか。

 神原は負けたくないと思いながらも、スノーモービルのライブがもう少し盛り上がってくれることを望む。できるなら少しでも熱を帯びた雰囲気のなかで、ライブをしたかった。

 スノーモービルは終盤になるにつれて調子を上げていき、観客の期待に応えるような演奏をしていたが、それでも最後までショートランチのライブで巻き起こった盛り上がりには及ばずに、ライブを終えていた。

 まったく悪いライブではなかったし、そうだったら演奏を終えた三人に、観客は拍手を送っていない。

 でも、どこか物足りなかったと感じている空気がフロアに流れているのも事実で、神原は少し息が詰まってしまう。自分たちの出番のために楽屋に戻ったときにも、ライブを終えて帰ってきたスノーモービルの三人は、誰も満足した表情をしていなかった。

 声をかけるのも憚られるほど険しい雰囲気が三人からは漂っていて、それが今のライブの結果を物語っているように、神原には思われる。言い方は悪いが、自分たちは同じ轍を踏まないようにしようとさえ感じてしまう。

 ひりつくような雰囲気の楽屋から、スタッフに「スタンバイお願いします」と声をかけられて、神原たちは抜け出す。

 舞台袖に来て感じたフロアの空気は、まだトップバッターだったショートランチの余韻を引きずっていて、もう一番の楽しみは終わったと言っているようですらある。

 それは神原たちを緊張させる材料にも、発奮させる材料にもなった。

 まだ今日のライブは終わっていない。ラストの自分たちこそが本番だ。神原はそう、頭のなかで一生懸命考えた。

 三度フロアの照明は落とされ、何人かの観客が思わず声を漏らす。神原たちの登場SEが流れ出すと、フロアには手拍子が巻き起こった。

 でも、それはここまでの二組のライブで少し疲れた様子を奥底に滲ませていて、自分たちのことを待ち遠しく思っている様子は、神原にはさほど感じられなかった。早く始めて早く終わらせてほしいとさえ言っているかのようだ。

 その観客のあまり乗り気でないような手拍子が、かえって神原の心の火に薪をくべる。

 自分たちにさほど期待していない観客を、自分たちの演奏で見返す。今日一番の盛り上がりを起こしてみせる。そんな思いを、神原はメラメラと燃やしていた。

 登場SEがサビに差しかかったタイミングで、神原たちがステージに登場すると、フロアの手拍子は拍手に姿を変えた。

 でも、その拍手もショートランチのときと比べると小さいことが、神原には如実に分かってしまう。自分たちを初めて見ることはおろか、自分たちの曲をここで初めて聴く観客も多そうだ。

 上等だと、神原は思う。自分たちの曲は、ライブはショートランチにも決して劣っていない。そのことを今から知らしめてやる。

 ギターを構えて登場SEを止めて、神原は気概で満ちていた。

 神原たちは互いを向いて一つ頷き合うと、昨日のライブと同じように、一斉に第一音を鳴らし出した。適当なコードを弾きながら、神原はマイクに向かって「はじめまして! Chip Chop Camelです!」と告げる。

 フロアの反応は、昨日の東京よりも鈍い。だけれど、それも昨日よりもキャパシティは小さいし、自分たちは初めて名古屋でライブをするのだから、神原たちには多少は織り込み済みだ。想像以上にフロアの雰囲気には疲れが見えているが、それも自分たちの演奏で吹き飛ばせばいいだけの話だろう。

 神原たちはそのまま、昨日と同じ一曲目の「RHETORIC SUMMER」に雪崩れこむ。

 神原たちのファーストシングルで『D』にも収録されているから、聴いてきた観客もいるのだろう。イントロが始まった瞬間に、フロアの風向きがわずかに変わったことを神原は察する。

 観客が再び音楽を聴く態勢を整え始めた。そのことが神原たちに演奏をするエネルギーを与えていた。

 ライブハウスに鳴り渡る、神原たちの演奏。

 実際、今日の自分たちの調子は良いと、演奏をしながら神原は感じる。ミスをしていないのはもちろん、全員の演奏が噛み合って、一つの生き物のようになっている。演奏だけなら昨日よりいいかもしれないと、神原には思えるほどだ。

 観客も少し疲れたような様子はありつつも、それでも多くの人がリズムに乗って、わずかにでも身体を動かしてくれている。フロアの盛り上がりは昨日と比べると弱いのは否めないが、それはキャパシティの差で、一人一人の熱量は昨日と比べても少しも劣っておらず、初めての名古屋でのライブでは、むしろ上々と言えた。

 昨日のライブとセットリストはほとんど一緒だから、昨日と同じようなところで盛り上がり、自分たちの曲が受け入れられていることを神原は感じる。

 それでもなお、神原はまだ足りないと思う。それは、調子は良いものの決して最高とは言えない自分たちの演奏もそうだったし、何よりトップバッターで登場したショートランチのときのフロアの熱量には、まだまだ追いついていなかった。

 初めてライブをする場所だから仕方がないという言い訳は神原は考えたくはなく、単純に自分たちの実力が不足していると思う。アルバムの売り上げだって、ショートランチに後れを取っているのだ。

 もっと良い曲を書いて、人気を獲得して、ライブのパフォーマンスも向上させる。やらなければならないことは、神原のなかでははっきりとしていた。

 それでも、ライブが進むなかでフロアは少しずつ熱量を取り戻していく。バラード調の曲のときは多くの観客がじっと聴き入ってくれたし、終盤に「FIRST FRIEND」をはじめとするアップテンポの曲で畳みかけたときには、サビに入ったタイミングで手を振り上げてくれる観客さえ現れた。

 フロアには健全な熱が漂っていて、今日初めて自分たちの曲を聴いた人の関心を少しでも惹けるようなライブができたのかもしれないと、演奏を終えて拍手を聴きながら神原は思う。

 決して百点満点のライブではなかったし、最後までショートランチのときの盛り上がりを超えることはできなかった。反省すべき点はあるものの、それでも落第点ではないと神原は感じる。初めての場所でのライブにしては、思っていたよりも手ごたえがあった方だ。明日の大阪も今日と同じようなライブができれば、少なくとも観客を失望させることはないだろう。

 そう自分と同じように思っているのが、ステージを降りたときの園田たちの表情から、神原には感じ取れる。もちろん、明日は今日を超えるライブがしたいという気持ちはあったものの、神原はひとまず三人に前向きな言葉をかけていた。全然ダメだったと、自分たちを卑下する必要はまったくないと感じていた。

 楽屋に戻るとショートランチやスノーモービルの面々もやってきて、「良かったよ」といった言葉で、神原たちを称えてくれる。

 自分たちよりも盛り上がったライブをしたショートランチの三人にそう言われるのは少し癪だったが、それでもライブが終わった直後という状況では、神原たちは六人からの言葉を比較的素直に受け入れられていた。


(続く)


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