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【小説】ロックバンドが止まらない(16)


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 夏服であるワイシャツの袖をまくらなくてもいいほど、吹く風が涼しくなってきた九月の末。神原が登校すると、昇降口の掲示板には文化祭のステージ発表に参加する出演者とその出演順が、紙に書かれて貼り出されていた。

 神原たちの出番は二日目のトップバッター。おそらくアンプやドラムの準備に時間がかかるからだろうと、神原は推測する。バンドで出演するのは、神原たちともう一組しかいなかったから、どちらが先かは二分の一の確率だ。

 だから、神原はその出演順をすぐに受け入れた。少しやりづらさもあるだろうが、まだ観客が疲れていない状態で演奏できるのはトップバッターの特権だと、ポジティブに捉えることにした。

 文化祭本番は一一月の一〇日と一一日。一〇月に入ると、神原たちの練習もはっきりと文化祭を意識したものになっていく。

 もともと久倉がドラムを掛け持ちしていることもあって、神原たちが貸しスタジオに集まれる機会はそう多くない。もうステージで演奏する曲は全て決まり、あとはクオリティを高めていく段階だ。

 一回一回の練習が貴重な機会で、神原は少しずつ文化祭に向けて気持ちを高めていく。そのせいで自分から発せられる雰囲気が少しひりついたものになっても、神原は仕方ないと感じていた。

 その日も神原たちは貸しスタジオに入って、バンドで演奏を合わせていた。神原たちにとっては一週間ぶりのバンド練習で、文化祭に向けて貸しスタジオに入れる回数は、もう片手で数えられるほどしかない。

 だから、神原はその大切な時間を無駄にしたくなかった。それは与木や園田も同じようで、高い集中力を持って臨んでいる。

 だけれど、久倉だけは例外だった。今までと比べるとリズムキープは杜撰で、ミスも少なくない。神原たちも引っ張られて、演奏はぎこちないものになってしまっていた。

 ギターを弾きながら、神原には徐々に苛立ちが募っていく。そして、それは貸しスタジオでの練習が終わるまで、我慢することはできなかった。

「ちょっと一回待って」

 最後まで噛み合うことがなかった演奏を終えて、貸しスタジオには微妙な空気が漂う。それを振り払うかのように「じゃあ、もう一回やるか」と言った久倉を、神原は声で制した。

 沈黙が下りた貸しスタジオの雰囲気はいたたまれないの一言に尽きたけれど、それでも神原は練習を止めた手前、自分から切り出すしかなかった。

「久倉、お前今日どうかした? いつもよりミス多いじゃんか」

 神原がそう言うと、三人の視線は一斉に久倉に向く。久倉は「そうか?」ととぼけていたけれど、そんな態度は今この場では通用しなかった。

「そうか? じゃねぇよ。自分が一番分かってんだろ。今日、普段しないようなミスしてるってことは」

「そうだな。すまん」久倉は素直に認めて謝っていた。場を丸く収めようとしたのだろう。

 だけれど、謝られても神原の腹の虫は収まらなかった。口にする言葉にもつい棘がこもってしまう。

「いや、謝ってくれるのはいいんだけどさ、次はちゃんとやってくれるんだよな?」

「ああ、もちろん」と応える久倉を、神原は心の底から信用できなかった。またミスを続けて足を引っ張られたら、たまったものではない。

 だから、練習時間は限られていると分かっていても、神原は訊かずにはいられなかった。

「なあ、久倉。お前、どうしたんだよ。今日ちょっと変じゃないか?」

 既に一度看破されているから、ごまかすことに意味はないと思ったのだろう。久倉はすぐに返事をしなかった。

 それでも、目の焦点は合ってはいなくて、何かあったことは神原には容易に察せられてしまう。

 少し迷った素振りを見せたのちに、久倉は重たそうに口を開く。でも、その目はドラムに落とされていた。

「……福満たちとのバンド、やめた」

 久倉がそう言った瞬間、貸しスタジオには何を言っているのか分からないというような、信じがたい空気が漂う。園田に「やめたってどういうこと?」と訊かれて、久倉はバツが悪そうに答えた。

「いや、やめたっていうか、俺の方からお前らとのバンドに集中したいって言って、抜けさせてもらった。福満たちが新しいドラムを見つけられるまで、フライング・クロス・チョップはいわば活動を休止している状態なんだ」

 久倉は申し訳なさそうに言っていて、自分でもよくないことをした自覚はあるようだった。

 だけれど、だからといって神原はとても久倉のしたことを受け入れられない。胸に芽生えた感情は、怒りと呼んで差し支えなかった。

「いや、それは違うだろ」

「違うって何がだよ。これで俺はお前らのバンドに集中できる。お前らとしては願ってもない展開だろ?」

「その結果がこれか? こんな普段はしないミスを連発するような演奏なのか?」

 答えに窮する久倉。きつい言い方になってしまったと、神原も自分で思う。

 だけれど今は、久倉のしたことは間違いだと言いたかった。たとえそれが久倉を否定することになっても、言わなければならないと感じていた。

「お前さ、ドラムやってる人間がどれだけ貴重なのか分かってんのか? 俺たちがお前を探し出すまでに、どれだけ時間がかかったか。福満たちだって、お前がいなきゃバンド練習できないんだぞ。この練習が終わってから、電話でもいいから福満たちに謝れよ。もう一度バンド組もうって頼めよ」

「いや、これは福満たちも納得してのことだから。俺たちちゃんと話し合ったんだぜ。三人ともが合意してるなら、それでいいじゃねぇか」

「いや、よくねぇよ。だったら、今日の演奏は何だよ。リズムキープもガタガタでミスもいつもより多くて。そんなのお前が後悔してる証拠じゃねぇか。福満たちから抜けたこと、本当は悪いと思ってんだろ? そんなグラグラした気持ちのまま演奏されたら、こっちは迷惑だわ」

「いや、俺はお前らのことを思ってだな……」

「何が俺たちのためだよ! 俺たちのために福満たちを切り捨てたの、俺はまったく納得してねぇからな! 頭下げてでも、福満たちとまたバンドやれよ!」

「切り捨てたってなんだよ! 俺たちはちゃんと話し合って、福満や六角からも許可貰ったっつうのに! その言い方はねぇんじゃねぇか!?」

 神原はつい口調を強めてしまう。鏡映しのように、久倉も語気を強めた。視線を交わす二人は、もはやにらみ合うという表現がふさわしい。

 園田や与木が心配そうに二人を見ていたが、二人はどちらからも謝ることをしなかった。

「何だよ! 俺が悪ぃのかよ! お前が福満たちから離れたのは事実だろうが! これで文化祭が終わったら、お前どうするつもりなんだよ!」

「それはそのときになったら考えりゃいいだろ! とにかく俺は今、お前らとの演奏に集中したいんだよ!」

「だから、その集中ができてねぇっつんだよ! 気の抜けたドラム叩きやがって! 俺たち文化祭までもう一ヶ月もねぇんだぞ! 分かってんのか!」

「はぁ? お前こそリーダー気取りかよ! お前だってミスしてねぇわけじゃねぇだろ! 人のこと気にする前に、まずは自分のこと考えろよ!」

「はぁ!?」二人は口論を止めない。このまま続けていれば、お互い口汚く罵る言葉が出てきてしまいそうなほどに。

 園田が「ちょっとやめなよ、二人とも」と制止に入っていたが、それもあまり効果をなさず、貸しスタジオにはひりついた空気が流れる。

 神原としては、この空気を作っているのは久倉なのだから、さっさと自分の非を認めて反省してほしい。

 でも、久倉は神原から視線を外すと、「埒が明かねぇ」と呟いて立ち上がり、そのまま貸しスタジオを出ていってしまった。「ちょっと、久倉くん」と、園田がベースを置いて追いかける。

 そして、貸しスタジオには神原と与木だけが残された。与木の視線が、神原の気に障る。今は目に映るもの感じるものすべてに、神原は不快感を覚えてしまっていた。

「何だよ。お前まで、俺が悪いっつうのかよ」

 声を尖らせる神原に、与木は分かりやすく委縮していた。

 前のバンドも含めて、神原は練習中にほとんど声を荒らげたことがない。それは目標が遠かったから、まずは楽しくやるのが一番の目的だったこともある。

 でも、今は違う。文化祭という明確な目標があるのだ。そのためなら、満足できないところは多少厳しく要求しても仕方ないと、神原は思う。

 でも、与木は初めて見る神原の姿に、恐れすら抱いているらしい。目線を外して、なんとかこの場をやり過ごそうとしている。

 しかし、少ししてその口が小さく開かれた。

「い、いや、どっちにも悪いところがあったっていうか……。そりゃ久倉のしたことはいいとは言えないけど、お前だってあんなに責める必要なかったんじゃねぇかな……」

「それってつまり俺も悪いってことじゃねぇか。お前は久倉の肩持つのかよ」

「いや、そういうわけじゃねぇけど……。でも、文化祭もすぐなんだし、仲間割れはしてほしくないっつうか……」

「いや、どう考えても悪いのは久倉の方だろ。俺は言うべきことを言っただけで。何で俺が悪者扱いされなきゃなんねぇんだよ」

「い、いや、それはそうなんだけど……」

 煮え切らない与木の態度は、神原を説得する言葉を探してのものだろう。

 それが分かったからこそ、神原の心はささくれ立ったまま、落ち着くことはなかった。貸しスタジオの空気は澱んだままで、どうして自分がこんなに収まりが悪い思いを味わわなければならないのだろうと感じる。

 返事をしない神原に与木も言葉を失くし、二人の間には沈黙が下りる。

 すると少しして、園田が久倉を連れて戻ってきた。園田は説得を試みて、久倉も一応はそれに納得したのだろう。

 でも、ドラムスローンに座って神原を見た久倉の目はまだ不満を抱えていて、神原としても何事もなかったかのような目で見ることはできない。

 園田が気を遣って声をかけて、四人は同じ曲をもう一度合わせることになった。

 久倉のカウントで演奏を始める四人。でも、神原と久倉の息はやはり合わなくて、ズレているテンポに神原はさらなる苛立ちを覚えてしまった。


(続く)


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