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【小説】ロックバンドが止まらない(4)



前回:【小説】ロックバンドが止まらない(3)




 一四日は空に程よく雲がかかって、暑さも和らぎ過ごしやすい陽気だった。日曜日で人通りの多い駅前通りを、神原は駅に向かって歩く。

 今は集合時間三〇分前だ。来ていなかったら、適当に牛丼でも食べて時間を潰そうと神原は思っていたのだが、与木はもう南口の前で待っていた。

 待ち合わせに慣れていないのだろう。視線があちこちと忙しなく、ギターケースを背負っている姿は、遠くからでも一目で分かる。

 合流すると、与木は「きょ、今日はよろしくお願いします」と改まった挨拶をして、神原は小さく笑った。同学年なのだからタメ口でいいと言っても、与木は遠慮しきりだった。

 だから、神原も無理に強制はしない。人との距離感は、人それぞれだ。

 二人は近くの牛丼チェーンで、昼食を食べて時間を潰す。テーブル席に向かい合って座っても、与木はやはりそれほど喋ろうとはせず、主に神原が喋る形になった。

 どうして自分ばかり喋っているんだろうと神原は思ったが、それでも貴重な新メンバー候補を逃してはいけないので、穏やかな笑顔をキープする。

 牛丼を二人で食べる。言葉にはしなくても、与木は「美味しい」という表情を見せていて、神原の心は綻んだ。

 貸しスタジオには、予約した時間よりも前には入れない。だから、二人は適当に駅前をぶらついて、予約時間の五分前に貸しスタジオのあるビルに到着した。既に新座と大紀、敦賀は待っていて、与木は息つく暇もなく話しかけられるという、少し手荒な歓迎を受ける。

 その度に与木は困ったような表情をして応じていたから、神原も与木に興味津々の三人をそれとなく制す。バンドに入ってもらうためには、ネガティブな印象は抱かせたくなかった。

「よし。じゃあ、何やろっか」

 貸しスタジオに入って、準備を一通り終えたところで敦賀が言う。ギターとベースを構える神原と新座。

 その三人の側、出入り口の前で与木はドラムスローンに座っていた。

「Gas Burnerでいいんじゃね? いつもやってんだろ」

「そうだな。俺もそれがいいと思う」

「じゃあ、何の曲やるよ?」

「On Balloonやろうぜ。この前もやったばっかだし」

 新座が提案すると、敦賀も「それいいな」と乗っかる。確かに前回の練習でも合わせているし、集まれない間もそれぞれ自主練は積んでいるだろう。

 二人に与木も加わった三人分の視線を受けながら、神原も「そうだな。やろう」と頷いた。考えがまとまったところで、三人は自分の楽器に手を当てて、アイコンタクトを交わす。

 そして、敦賀がカウントを取ると、三人は一斉に演奏を始めた。思いっきり歪ませたギターとベースの音、そして力を抑えたようなドラムが室内に響き渡る。この曲は最初は静かに入って、サビで一気に爆発するような曲だ。

 だから、神原はサビになると、声とギターに一気に力を込めた。敦賀のドラムと新座のベースが少し走っていたから、それに釣られてややテンポを上げる必要はあったが、それでも三人とも悪くない演奏ができていると、神原は感じる。リフもテンポキープも、今のところ大きなミスはしていない。

 神原は新座や敦賀の方を向いて歌っていたから、与木の顔は見えない。でも、悪い表情はしていないだろうと根拠もなく思えた。

 演奏は最後まで大きなミスなく終わった。テンポは少し速くなってしまったものの、聴いていて不自然さを感じないくらいには合わせられたつもりだ。

 三人の目が与木に向く。与木は恥ずかしそうに、背中を丸めてしまっていた。

「とまあ、こんな感じなんだけど、どう思った?」

 神原が三人を代表して、与木に尋ねる。じっとその表情を窺う三人の目がプレッシャーに感じてしまったのだろう。与木の視線は床に向けられていた。

「……よ、良かったと思う」

 おずおずと消え入りそうな声だったが、与木は確かにそう言った。ポジティブな感想に、神原たちも素直に喜びたい。

 だけれど、神原は与木の言葉を額面通り受け取れなかった。自分たちが醸し出す空気に、そう言わせているのではないかという疑念が拭えない。

「本当か? 別に下手だと思ったら遠慮なく言っていいんだぞ。俺たちまだ組んでから一年も経ってねぇんだから」

 そう促した神原にも、与木はすぐ首を横に振っていた。たとえ動きは小さくても、初めて見せた即座なリアクションに、神原はこれ以上訊くべきではないなと思う。与木がどう思っているにせよ、いったん口に出した「良かった」という感想を曲げることはないだろう。

 だから神原は、与木の言葉をひとまずは素直に受け入れた。

「なぁ、お前与木って言ったっけ。せっかくギター持ってきてるんなら、なんか軽くでもいいから弾いてみてくれよ」

 急に話題を変えたのは新座だった。神原には予想できた展開だけれど、与木はかすかに慌てている。

「いや、そんないきなり言われたって難しいだろ」

「でもよ、お前はこいつが楽器屋で試奏してるところを見かけて、声をかけたんだよな。じゃあ、ギター弾けるってことだろ」

「いや、それはそうだけど、心の準備ってものがあるだろ」

「何だよ。神原はこれから俺たちのバンドに入るかもしれない人間が、どういう演奏をするのか知りたくないのかよ」

 そう少しだけ不満げに言う敦賀に、神原は一理あると感じてしまう。新座と敦賀は与木がギターを弾いているところを見たことがないのだ。どのみちバンドに加わるのなら、与木がどれくらい弾けるのかは、新座たちにも見せておいた方がいいだろう。

 神原は与木に目を向けた。身体を強張らせている様子の与木に、優しい口調を意識する。

「なぁ、与木。二人もこう言ってることだし、よかったらギター弾いてくんねぇかな。いや、本当軽くでいいから。頼む」

 神原だけでなく、新座と敦賀からの懇願する視線を受けて、やるしかないと思ったのか、与木は小さく頷いていた。少し強制的ではあったものの、与木がその気になってくれたことに、神原は「ありがとな」と礼を言う。

 与木は壁に立てかけてあったギターケースから、橙色と茶色のグラデーションが印象的なエレキギターを取り出すと、チューニングを始めた。その様子を、神原たちは何も言わず見守る。

 チューニングを終えて、与木はいったん顔を上げる。それでも、神原たちの視線が集中していることを見ると、また視線を下げてしまっていた。

「じゃ、じゃあ、はい」

 そう言葉少なに言ってから、数回頷いてから与木はギターを弾き始めた。

 与木が弾き始めたリフが、神原には瞬時に分かる。神原たちがたった今演奏したGas Burnerの代表曲「Feels Like Teen Emotion」、そのギターリフだ。簡単にコピーできるうえに格好いいから、ギター初心者はまずこのリフをコピーすることが少なくない。

 だけれど、シンプルだということは、その分はっきりと力量が現れるということでもある。

 そして、与木の演奏は上手かった。音と音とがくっきり分かれていて潰れていないし、運指も滑らかで何度も弾いてきたことを感じさせる。

 新座と敦賀も同じように感じているのか、室内にはじっと与木の演奏に耳を傾ける空気が生まれている。

 与木の演奏を聴きながら、神原は与木がバンドに入ったときのことを、明確にイメージしていた。

 与木は最初のサビまでを弾いて、演奏を止めた。拍手も声も漏れなかったが、雰囲気からして新座たちが感嘆していることが、神原には察せられる。どこか誇らしい思いさえする。

 なのに、与木は「お、終わりです……」と肩をすくめている。恥ずかしがる必要なんてまったくないのに。

「与木、お前ギター上手いじゃん! 今のって『Feels Like Teen Emotion』だよな!? 俺も何度も聴いたことあるけど、今まで聴いたどの演奏よりも上手かった!」

 軽く興奮気味に言ったのは新座だ。その言葉には与木を持ち上げて気持ちよくさせて、バンドに入ってもらおうという意思も少しは含まれていたと思うけれど、それ以上に素直な思いを口にしただけのように、神原には感じられた。

「俺も上手いと思った。シンプルな演奏だからこそ、実力が際立つっていうか。さすがは神原が声かけただけあるなって思った」

 新座に続いて、敦賀も与木を褒め称えている。落ち着いた声のトーンがかえって真剣さを帯びている。

 二人から称賛されても、与木はまだ信じ切れていないらしい。小さく頭を下げる仕草に、申し訳ないとすら思っていることが、神原には透けて見えた。

「なあ、与木。改めてだけどさ、俺たちのバンドに入ってくれねぇ? お前が入ってくれたらさ、俺たちもっと楽しくバンドができそうな気がすんだ」

 そう言った新座に、敦賀も頷いている。言わずもがな、神原も同意見だ。与木が加入してくれれば、演奏できる曲も増えるし、何より神原にとってはツインギターの掛け合いができるようになることは、楽しみでしかない。

 三人は期待の眼差しを持って、与木を見つめる。たとえ、それが与木にプレッシャーをかけることになっても、神原は一緒にバンドをしたいと心から思っていることを、伝えずにはいられない。

 与木が顔を上げて、三人の顔を代わる代わる見る。その目からはおっかなびっくりといった印象を神原は受けたものの、与木は小さく頷いていた。それが意味するところは、言葉がなくても神原たちには、はっきりと分かった。

「マジで! 入ってくれんのか!」

 驚いたように口にする新座にも、与木は再び首を縦に振っている。決心を固めたのだろう。

 口々に「ありがとな」といった感謝の言葉をかける神原たちにも、若干恥ずかしそうにはにかんでいる。初めて見た与木の笑顔に、神原の心は弾んだ。

 本当はもっと、色々歓迎する言葉をかけたい。だけれど、貸しスタジオの使用時間を長い間空費するわけにもいかなかったので、神原たちは会話もそこそこに再び演奏を始めた。

 何度も練習してきた曲は、もう何も考えなくても神原たちは合わせられる。

 演奏しながら神原は、与木の視線を感じた。これから入るバンドの状態を把握しようとしているようで、それがどこかくすぐったかった。


(続く)


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