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【小説】ロックバンドが止まらない(3)


前回:【小説】ロックバンドが止まらない(2)



 ギターを弾く手を止める。同時にベースとドラムの音も止んで、貸しスタジオには一瞬の静寂が訪れた。

 神原は一つ息を吐く。そして、確認するように二人に呼びかけた。

「なかなかいいんじゃね?」

 感じた手ごたえを、そのまま言葉に載せる。すると、二人もはにかんで返してくる。

 それだけで、自分が抱いた感触は間違いじゃなかったと、神原には思えた。

「だよな。俺もそう思った。今までにないくらい演奏も合ってたし。なんかこう、ガーって胸にくるものがあった」

 ベースの新座(にいざ)が言う。顔はまだ上気している様子で、Tシャツから覗く肌がじんわりと汗をかいている。

「俺もやってて楽しかった。苦手に感じてたBメロのとこもミスらずにできたし、今まででも一番の演奏だったと思う」

 タオルで汗をぬぐいながら、ドラムの敦賀(つるが)も同調する。わずかに息を切らしていて、それだけ演奏に熱が入っていたのだろう。自分や新座と同様に。

「よし、じゃあもう一回やるか。って言いたいとこなんだけど、新座そろそろ時間ヤバいよな?」

 神原の質問に、新座は左手につけた腕時計をちらっと確認してから答えた。

「ああ、そろそろ片づけないと返却時間に間に合わない。だから、ちょっと残念だけど、今日はここまでだ」

 そう告げた新座に、二人も反論しなかった。このまま演奏を続けて、延長料金を取られてはいけない。いくら自分たちで払っていないとはいえ、それは申し訳なさすぎる。

 だから、三人は利用時間内に退出できるように素早く後片付けを始めた。ギターをしまい、エフェクターをケースに入れる。

 一番物が多い神原の後片付けを待って、三人は貸しスタジオを後にした。受付では、オーナーと新座の父親である大紀(だいき)が話している。

 この貸しスタジオは、中学生だけでは借りられない。だから、三人はいつも大紀の名前で予約して、利用料金も払ってもらっているのだ。

 練習を終えたことを報告すると、大紀も頷いて四人は外に出た。貸しスタジオは地下一階にあり、二時間ぶりに浴びた日差しが、入る前よりも眩しく神原には感じられる。

 実際、この日は二日連続の猛暑日で、最高気温は三八度まで上がる予報だった。

「じゃあ、次は来月の一四日な」改めてそう約束をして、新座と大紀は自分たちの車が停めてある近くの駐車場へと向かっていった。

 二人が角を曲がって、姿が見えなくなったところで、敦賀が「じゃあ、俺たちもそろそろ帰るか」と言う。神原と敦賀の家はここから見て、同じ方向にある。

 頷くのは簡単だったけれど、この日の神原はすぐには首を縦に振らなかった。

「悪ぃ。俺、ちょっと楽器屋寄ってから帰りたい」

 ここから一番近い楽器店は、神原たちの家とは反対の方向にある。駅を挟んだ北口方面だ。

 でも、敦賀はさほど気にする様子も見せずに「そっか。じゃあ、俺もついてこっかな」と言う。何も考えていないかのような言い方が、神原には少しおかしかった。

「いや、でもさギターとかエフェクターとか見るだけだから。ついてきてもつまんねぇと思うぜ」

「まあ、それもそっか」と簡単に意思を翻した敦賀に、神原は心の中でつっこみながら笑う。敦賀も釣られるようにして笑っていて、二人は気持ちよく別れることができた。

 神原は駅へと向かう。高く昇った太陽から日差しがじりじりと照りつけて、立っているだけで汗をかきそうだ。それは高架下に入って日陰になっても変わらない。

 うだるような暑さの中を、神原はギターケースを背負いながら歩いた。オーディオプレーヤーで、好きなバンドの新譜を聴きながら。

 楽器店は、駅前の大通りから路地を少し入ったところにあった。店内に入ると目につくところにギターやベースなどの楽器が並び、一歩踏み入れただけで、神原は胸が躍る。目から音が飛びこんでくるような光景に、いつも新鮮に感動してしまう。

 とはいえ、中学生の懐事情はなかなかに厳しく、この日の神原は輪をかけて持ち合わせがなかったから、何かを買うことはできない。

 だから、神原は何となく店内をふらついた。五〇万円もする高級ギターに目を瞠ったり、教本やバンドスコアの背表紙をそれとなく眺めてみたり、新しく入荷されたエフェクターをチェックしたり。

 ただそぞろ歩いているだけでも、神原にとっては楽しくまた心が安らぎ、勉強のことを一時でも忘れられる貴重な時間だった。

 音楽雑誌の最新号に目を留める。神原が好きなバンドが表紙を飾っていた。とはいえ、この雑誌一冊すら今の神原は買えない。

 神原は手に取って、立ち読みを始めた。レジに立っている店員の視線は気になるが、それも少しの間ならとやかくは言われないだろう。

 好きなバンドのボーカルのインタビューに目を落とす。

 すると、奥からギターの音色が聴こえてきた。アンプやエフェクターを通していない、純粋なギターの音色。耳を澄まさなくても、神原にはそれが自分が好きなバンドの曲。そのギターソロだと分かる。

 演奏にキレがあって、なかなかに上手い。誰が弾いているのだろう。

 気になった神原は音楽雑誌を棚に戻し、店の奥の試奏コーナーへと向かった。

 陳列されたギターやベースの合間から、神原は試奏コーナーの様子を窺う。

 すると、そこに座っていたのは神原と同じくらいの子供だった。耳を覆うまで伸びた髪がどことなく暑そうで、顔つきだけ見れば小学生にさえ見える。でも、出っ張った喉仏が、彼の年齢をそれとなく示唆していた。

 彼はギターソロを最後まで弾き終わると顔を上げて、覗き込んでいる神原を見て驚いた表情をした。演奏に夢中で、神原が近くまで来ていたことに気づいていなかったらしい。

 少し恥ずかしげにしている彼に話しかけることに、神原はそれほどエネルギーを必要としなかった。

「いや、恥ずかしがんなくていいよ。お前、上手いじゃん。ギター始めて長いの?」

 突然の神原の登場に、鳥肌が立つ思いさえしているのだろう。彼は縮こまっていた。先ほどまで見事な演奏をしていたとは、とても思えないほどに。

 でも小さくても頷いていたから、神原は彼がギターを始めて何年か経っていることを察する。一年かそこらではできそうにない演奏だった。

「今弾いてたのってハイスピだよな。『GOING UP』のギターソロ。何、お前ハイスピ好きなの?」

 立て続けに訊く神原にも、彼ははっきりとした態度を示すことはなかった。恐縮そうに見せるだけで、神原はまだ彼の声を一言も聞いていない。

 それでも、微妙に首を縦に振っていたから、神原は彼もハイスピ、HIGH SPEED YOUが好きだと理解できた。もともとそうでなければ、こんなところで弾いてはいない。

「いいよな、ハイスピ。俺も『NEXT LIFE』とか『DEAR MY FAMILY」とか好きだぜ。なんかこう一言では表せない良さがあるよな」

 彼と神原の視線は合っていない。彼は神原を見上げずに、遠くの床に視線を向けていた。相変わらずギターを手に固まっている。神原が立ち去るのを、じっと待っているかのように。

 だけれど、神原は反応の薄い彼にも気を悪くしなかった。首を横に振られたり、声を出して拒絶されていないから、まだ話を続けられると思った。

「なぁ、もっと何か弾いてくれよ。別にハイスピでもそれ以外でもいいからさ」

 神原がそう言ったのは、純粋にもっと彼のギターを聴いてみたいからだった。彼が次にどんな曲を弾くのか、俄然興味が湧いてきていたからだった。

 でも、彼はただ黙っているだけで、すぐにギターを弾こうとはしない。それどころか、少ししてからおもむろに立ち上がり、近くにいた店員にギターを返すと、そのまま楽器店から出ていってしまった。

 その後ろ姿を、神原は追うことができない。嫌がっている人間に、ギターを弾くことを強いてはいけないだろう。

 再び書籍のコーナーに戻る神原。音楽雑誌を開いて続きを読んでいる間も、彼が鳴らしたギターはまだ頭の中で鳴っていた。

 翌日。神原は朝の七時に目を覚ますと、朝食を食べて、学校に向かった。

 夏休み明け、久しぶりに歩く通学路はたった一ヶ月しか経っていないのに、どこか新鮮だ。もちろん八月下旬になったからといって、うだるような暑さはすぐには止まない。朝から日差しが焼けるように暑い。

 でも、神原は足を止めることなく歩き続ける。仲の良いクラスメイトと、久しぶりに会えるのが楽しみだった。

 しばらく歩くと学校が近づいてくる。何人もの制服を着た生徒が、校門に吸い込まれていく。

 そして、神原はそこに思いもよらぬ人物の姿を見つけた。昨日、楽器店でギターを弾いていた彼が向かい側から歩いてきたのだ。少し遠いけれど、自分の学校の制服は見間違えようもない。

 校門をくぐっていった彼を、神原は駆け足で追いかける。そして、昇降口に着く前に追いつくと、おもむろに声をかけた。

「なぁ、お前だよな。昨日、楽器屋でギターの試奏をしてた」

 突然呼び止められて振り返った彼の顔には、驚きの色が隠せていなかった。かすかに怯えてさえいるようにも、神原には見える。

 神原はなるべく穏やかな表情を心がける。軽く微笑んだりもしてみる。

 スクールバッグの校章の色から、彼が自分と同学年であることは分かっていた。

「っていきなり声かけられてびっくりしたよな。悪ぃ悪ぃ。俺、神原泰斗っていうんだ。二年二組。趣味でやってるバンドでギター弾いてる」

 軽く自己紹介をした神原にも、彼は目を丸くしていた。だけれど、神原にはその瞳に少しずつ違う色が混ざり始めたのを見る。

 もちろんまだ驚いてはいるし、どう返したらいいか迷っているが、それでも少なからず安堵の色が滲んでいる。見つかった共通項に、警戒心をほんの少しだけ緩めているかのように。

「……与木澄矢。二年四組」

 与木は逡巡しながらもそう言っていて、神原はそのとき、与木の声を初めて聞いた。弱々しい声だったけれど、それでもわずかにでも自分に心を開いてくれたことが、神原には嬉しい。

 自分と与木の目は合ってはいなかったけれど、そんな些細なことは気にならなかった。

「そっか、四組か。なるほどな。あのさ、改めて確認なんだけど、昨日弾いてたのってハイスピでいいんだよな?」

 与木が小さく頷く。楽器店で会った時よりははっきりとしたリアクションに、神原は言葉を重ねた。

「俺もハイスピ好きだぜ。ライブには行ったことないけど、アルバムは何回も聴いてる。特に『GOING UP』。あれは本当に、歴史に名を残す名盤だよな」

 与木は「うん」といった単純な反応しか返さない。どうやら自分からはあまり話せないタイプらしい。

 だから、話題を振るのは神原からしかなかった。

「与木はさ、ハイスピのアルバムで何が好きとかあんの?」

「……『MAKING THE REAL』」

「ああ、それな。それもいいよな。「SKY GOLD」とか、俺めちゃくちゃ好きだぜ。聴いててアガるよな」

 どうにか話を繋げようとする神原にも、与木は「うん」以上の返事をしなかった。その反応に、神原も言葉に詰まり始めてしまう。

 他に普段どんな音楽を聴いているだとか、好きなバンドとかを訊こうとも思うが、それは与木があまり望んでいないように思われた。

 一瞬黙ってしまう二人。少し気まずくなり始めた二人を気にかけることもなく、生徒たちは続々と登校していた。

「じゃ、じゃあ」それだけ言って、与木は神原のもとから離れようとする。

 だけれど、神原は「ちょっと待って」と再び与木を呼び止めていた。

 与木が不思議そうに振り向く。その目には少し面倒くさいという感情が浮かんでいたが、それでも神原は怯まない。

「お前さ、俺と一緒にギター弾いてみない?」

 それはとっさに取り繕った提案ではなかった。昨日、与木のギターを聴いた瞬間から、神原の胸に芽生えていた思いだった。

 案の定、与木は目を瞬かせている。「どういうこと?」と言いたげなその表情に、「心配しなくていい」と神原はより表情を緩めた。

「よかったら俺たちがやってるバンドに入ってくれないかな。今さ、ギターが俺一人しかいなくて。リードギターを弾きながら歌うの、結構大変なんだ。だから、お前が入ってリードギターを弾いてくれれば、俺は今よりも歌に力を注げるし、演奏できる曲もぐっと広がる。だから、もしお前がよければなんだけど、一回俺たちのバンドがどんな感じでやってるか、見に来てほしい。もちろん気に入らなければ、無理して入らなくてもいいから」

 あらかじめ考えていたことを、神原は一気に喋った。与木が離れてしまわないよう矢継ぎ早に。

 でも、それはまだ目を逸らしている与木を見ると、あまり功を奏していないようだった。少し押しが強すぎただろうか。

 そう神原が危惧してごまかすための言葉を準備し始めたとき、与木の首が小さく縦に振れた。それはどんなに些細でも、同調する態度には違いなくて、神原は「マジかよ」という言葉が喉まで出かかる。提案しようとは思っていたけれど、受け入れられるかどうかは、ポジティブに見積もって半々だと思っていた。

「来てくれんだな。ありがと。じゃあ、来月の一四日、一一時半に駅の南口に来てくれ。俺がお前を貸しスタジオまで連れていくから」

 与木がもう一度頷く。先ほどよりはいくらか大きく。

 神原も嬉しくなって、思わず与木の手を取りたくなったけれど、まだ知り合いですらないこの状態では引かれかねない。どうにか堪えて、代わりに微笑みを与木に向けた。

 目を逸らしていても、視界には神原の表情を捉えているのだろう。与木は恥ずかしそうに縮こまってから、改めて「じゃ、じゃあ」と口にした。

 昇降口に向かっていく与木を、神原はもう止めない。与木が昇降口に入っていったのを見送って、神原も再び歩き出す。

 バンドの新メンバー候補の前で、みっともない演奏は見せられないなと気を引き締めた。


(続く)


次回:【小説】ロックバンドが止まらない(4)

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