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【小説】ロックバンドが止まらない(10)


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 プレイヤーから聴こえてきたのは、ギターの音色だった。コードを弾いていて、シンプルながら曲として成立している。まっすぐな思いを、奇をてらわずにぶつけているような曲と演奏だ。

 でも、それが何なのかは神原には分からない。与木は黙ってプレイヤーを見つめている。説明がないと誰の曲なのか、そもそも誰が演奏しているのかさえ神原には判然としない。

 与木はこの曲を聴かせてどうしたいのだろう。そのことばかりが気になって、神原は流れる曲に完全に集中できなかった。

 プレイヤーが再生を止める。神原は長い時間が経った気がしたのだが、ふと勉強机にある置き時計を見上げると、まだ三分も経っていなかった。

「……どうだった?」

 カセットテープを取り出すどころか、動こうとさえしていない与木に尋ねられて、神原は答えに迷ってしまう。

 それでも何が何だか分からない状況では、否定的な言葉は選べなかった。

「いや、いい曲だなって思ったよ。今まで聴いてきたどの曲とも違ったっていうか。一応確認だけど、これギター弾いてんのお前なんだよな?」

 与木が、目を凝らしていなければ確認できないほど小さく首を縦に振る。恥ずかしがる必要は、神原には思い当たらないのに。

「じゃあさ、これ誰のなんて曲なんだよ。俺もちゃんと聴きたいからさ、教えてくれよ」

 与木の頬がほんのりと赤らむ。そして、次にその口から出た言葉は、神原を大きく驚かせた。

「……俺が初めて作った曲。タイトルはまだ決まってない」

 まったく予想だにしなかった言葉に、神原は思わず目を瞬かせてしまう。与木が作曲に取り組んで、しかもデモテープのさらに前段階とはいえ一曲完成させていたとは。その事実だけで目眩さえしそうだ。

「えっ、マジで!? マジでこの曲お前が作ったの!?」

 与木は、恥ずかしそうに再び頷く。嘘を言っているようではなさそうだった。

「えっ、マジか! ちょっともう一回聴いていい? どんな曲だったのか、もう一度確認させてくれ」

「い、いや、それはやめてくれ。恥ずかしいから」

 そう言う与木が本当に嫌そうだったから、神原も無理にプレイヤーには触れなかった。

 それでも、まだ驚きは神原の中では収まらない。知りたいことは、それこそ山ほどあった。

「まあ、今の曲を作ったのがお前だっていうのがマジだとして、いったいいつから作り始めてたんだよ。俺まったく知らなかったんだけど」

「……高校に入学して間もない頃かな。いくつも曲を聴いてコピーしてく間に、自分でも何か作ってみたいと思って」

「なるほど。お前がそんなこと考えてたなんて、思いもよらなかったよ。でも、どうやって曲作ったんだよ?」

「そ、それは色々勉強したんだよ。音楽理論とか作曲術の本とか読んでな」

「へぇ、それで曲って作れるもんなんだな」

「ま、まあな。時間はかかったけど、なんとか作れた」

 与木の声はどこか歯切れが悪くて、自分を過小評価しているようだ。

 でも、神原はまったくそう思わなかった。苦労したとはいえ、与木が曲を作ったことがとてつもない偉業に思える。一曲も作ったことがない神原にとっては、ゼロと一の差は与木が思っているよりもずっと大きい。純粋に羨ましいと感じる。

 だから、神原はまだ縮こまっている与木に声をかけた。いつまでもただ羨ましがってはいられなかった。

「なあ、その音楽理論とか作曲術の本、俺にもちょっと貸してくれよ」

 神原の頼みが思いもよらなかったのだろう。与木は「えっ」と、目を瞬かせている。

 だけれど、神原にはまるっきり的外れなことを言ったつもりはない。与木も分かっているであろう想いを、明確な言葉にする。

「いや、俺もちょっと曲作ってみたいなって。バンドができない今は、曲を精いっぱいコピーして練習するしかないけど、それ以上に曲を作りながら音楽のことを学ぶことで、もっとギターもうまくなる気がするからさ」

 飽きたわけではないが、曲をコピーするだけでは満足できない思いは、神原にも芽生え始めていた。その正体が自分でも曲を作りたいという思いだったことに、神原はようやく気づく。

 言葉と目で、与木を説得することを試みる。少し考えた様子を見せたのちに、与木は口を開いた。

「い、いや、これは貸せねぇ。俺だってまだ全部完璧に覚えたわけじゃないから。これからも参考にするために、常に手元に置いときたい」

 断られるとは思っていなかったから、神原は一瞬だけれど、口を尖らせそうになってしまう。

 でも、与木の言うことももっともだと、すぐに納得した。「そっか。まあそうだよな」と、理解したように言う。「で、でもさ、その本って親にネットで買ってもらった本だから。だから、タイトルで検索すれば出てくると思う。お前んちにだってパソコンはあるだろ?」

 神原は頷いた。曲作りに向けて、光明が見えた気がした。

 与木が立ち上がって、本棚に向かっていく。戻ってきた与木の手には数冊の本が握られていて、神原はノートに本のタイトルをメモした。

 帰ったら、親にそれとなく頼んでみようと感じる。二ヶ月分のお小遣いを前借りすれば、無理な話ではないだろう。

 神原は自分が曲を作る瞬間を想像して、大きな期待を抱いた。

 ギターを爪弾く。何か思いつきはしないかと、いくつかコードを鳴らしてみる。

 でも、それは散発的な音の集まりにすぎなくて、曲の形にはなかなかまとまってくれなかった。

 外からの日差しと冷房の風を浴びながら、神原は一人頭を抱える。いざギターを手にしてみても、曲作りは遅々として進まず、短くても一曲を作った与木の偉大さが、改めて身に染みていた。

 神原のもとに与木が持っているのと同じ音楽理論や作曲術の本が届いたのは、与木が作った曲を聴いた一週間後のことだった。親が出版社のサイトから取り寄せてくれたそれらを、学校がないのをいいことに、神原は日がな一日読み進める。

 今まで特別に意識をしなかった曲も、コードやスケールといった本当に基本的なことを学ぶと、神原には再び聴いたときに、どこか違った印象を持って聴こえた。

 今までTAB譜に頼りきりだったから、五線譜の読み方から神原は学ばなくてはならなくて、でもそれは今まで何気なく聴いてきた曲の構造を詳細に知るようで、神原にとっては新鮮だった。

 一回全ての本を最後までから、実際にギターを手に取って作曲をしようと試みる。

 でも、どうすればいいのかいまいち分からず、また本に戻ってしまう。気になるところを確認して、再びギターを手に取る。だけれど、どうしても曲はできない。

 その繰り返しで、神原の夏休みは着実に過ぎていっていた。期限はないとはいえ、とっかかりすらつかめない状況に、神原は少しずつ焦り出す。

 与木にも何度か電話や家に訪れて曲の作り方を訊いたものの、与木は感覚的なことしか言わなくて、神原はますます深みにはまっていくようだった。自分が出口の見えない迷路を歩いている感覚さえしていた。

 それでも来る日も来る日も勉強そっちのけで音楽、作曲のことを考えていると、ご褒美のような瞬間が神原には訪れる。

 それは、寝ようと布団に横になった瞬間だった。目を瞑っていると、急に頭の中にメロディが浮かんだのだ。

 神原は慌てて起き上がり、作曲用のまだ何も書かれていない真っ白なノートを開く。

 頭の中に浮かんだメロディを五線譜の形に書き起こして、そこにギターを弾きながらコードを乗せていく。すると、今まで何一つ思いつかなかったのが嘘のように、スラスラとコードが出てきた。

 もちろん、まだすべてのコードを把握してはいなかったから、基礎的なコードしか使えなかったが、それでもメロディとコードが書かれたノートを目にすると、神原は感慨に包まれる。

 これがサビになるかAメロになるか、それとも前奏になるかは現時点では分からない。でも、作曲の第一歩を踏み出せたことに、自分もやればできるのだと、才能がないわけではなかったのだと、思わずにはいられなかった。

 夜中、寝る前に神原が思いついたメロディは記念すべき一曲目のサビになった。一度キーになるメロディが思いつくと、他の部分のメロディも時間はかかったけれど浮かんで、夏休みが終わる前に神原は、一曲フルコーラスを完成させていた。

 カセットテープに録音して、与木を家に呼んで聴いてもらう。与木は「良い」と言ってくれて、このシチュエーションで貶すことはありえなかったけれど、それでも肯定的な言葉に神原はわずかな自信を得た。

 与木もまた新しい曲を作ったようで、神原はそちらも聴かせてもらう。落ち着いたバラード調の曲は神原にとっても耳馴染みがよくて、素直に「よかった」という褒め言葉がこぼれた。

 夏休みが明けてからも、二人はギターの練習、そして作曲に没頭していた。ペースこそ速くはなかったものの、どちらかが曲を作るとそれに刺激されるようにもう一方が曲を作る。さらにそれに刺激されるように、また新たな曲を作るという循環で、二人は着実にオリジナル曲を増やしていっていた。

 どうせなら歌詞をつけて歌にしたいということで、歌詞の書き方も本やネットを参考にして、少しずつ書き出している。

 相変わらずバンド練習はできていない。だけれど、二人はギターや音楽を心から楽しむ日々を送れていた。


(続く)


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