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【小説】ロックバンドが止まらない(82)


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 ミュージックビデオの撮影はアー写の撮影の翌週、休館日の図書館で行われた。スケジュールはこの日しか抑えられなかったらしく、一日で撮りきるために神原たちは、朝の七時というかなり早い時間に集合せざるを得なくなる。

 それでも、全員が時間通りに集合して図書館に入ると、既に受付の前には今すぐにでも演奏ができるよう、機材がセッティングされていた。撮影スタッフがどれだけ朝早くから準備していたのかを考えると、神原は頭が上がらない思いがする。何としても満足のいくミュージックビデオを作らなければと思えた。

 今日ミュージックビデオを撮影する監督に全員で挨拶をすると、神原たちは控え室となる会議室に通された。そこで、アー写撮影のときと同じ衣装に着替える。

 少しすると、八千代が楽器を持って再び受付に来るように声をかけてくる。

 神原たちがセッティングをしている間に、今回のミュージックビデオに出演する何人かの、自分たちよりもさらに若く見える女性俳優もやってきた。五人が全員同じ制服を着ている姿は、かつての自分たちもそうだったのに、時間が経った分、神原には少し異様に見えてしまっていた。

「では、紹介します! 本日『FIRST FRIEND』のミュージックビデオの撮影を行うChip Chop Camelの皆さんです!」

 準備が整ったところで、助監督と思しき男性に神原たちは紹介される。「よろしくお願いします」と口々に言って頭を下げると、現場全体からささやかな拍手が飛んだ。現場の空気をよくするための拍手が、神原たちに撮影に向かうエネルギーを与える。

 出演する女性俳優が一人一人同じ助監督によって紹介されていく度に、神原たちも拍手をした。手を叩いていると神原には自分たちは同志だという感覚が、自然と生まれていた。

 今回のミュージックビデオの撮影期間は、一日しかない。だから、何としても今日中に撮り終えるため、撮影は二班に分かれて進められた。神原たちが演奏しているシーンを撮る班と、神原たちが映らない女性俳優のみのシーンを撮る班だ。

 神原たちはまずカメラが回っていない状態で、軽く演奏をした。CDプレイヤーから流れる、現時点での仮音源に合わせながらの演奏だ。

 とはいってもアンプの電源は入っていなかったから、神原たちが弾くギターやベースの音は久倉のドラムにほとんどかき消される。図書館という、普通にバンド活動をしていれば絶対に演奏しないであろう場所で演奏していることも相まって、神原は奇妙な心地を抱く。すぐに慣れることは、誰にとっても難しいように思えた。

 神原たちが演奏のテストを終えると、スタッフは監督のもとに集まっていき、神原たちは近くにある椅子に座って少し休憩となる。

 小さく聞こえてくる助監督の声も何を言っているのかは、神原たちには初めてだからよく分からなかった。どんな順番でショットを撮影していくのか決めているところだと八千代に説明されても、完全に理解できたとは言い難い。

 スタッフが撮影機材や照明機材をセッティングしていっているのを、神原たちは時折意味のない言葉を交わしながら見つめる。少し離れたところからは、同じようにもう一つの班のスタッフが話す声が小さく聞こえてきて、自分たちは間違いなく撮影の現場にいることを、神原に改めて意識させていた。

 機材のセッティングが終わると、神原たちは再び助監督に呼ばれて撮影場所に戻る。椅子に座っていることが多い監督よりも助監督の方が何かとよく動いていて、撮影の現場を実質的に仕切っているのは助監督の方なのだと、神原は気づく。

 助監督から撮影順を説明される四人。まずは全体でバンドとして演奏しているショットをいくつかカメラ位置を変えながら撮ってから、その後は一人ずつ単独のショットを撮っていくようだ。

 神原たちがそれを理解して、再び演奏位置につくと本番の前にリハーサルが開始された。実際にカメラを回してどのように映るか、イメージとずれがないかを確認していく工程だ。

 本番ではないとはいえ、黒々としたレンズに見つめられていると、神原たちはどうしても意識してしまう。今まで神原たちには、カメラの前で演奏した経験がなかった。

 チラチラとカメラを見ていたのは四人とも同じだったようで、最初のリハーサルを終えたときには神原たちは監督から「あまりカメラを見ないようにしてほしい」と、演出とも注意とも取れることを言われていた。

 神原たちも頷き、二回目のリハーサルではなるべくカメラを気にしないように意識する。

 でも、意識しないようにすればするほどかえって意識してしまうのが人間の性というもので、神原はカメラを見ないようにしていても、頭の中にはずっとカメラの存在が張りついていた。

 これはもう撮影が進むなかで、カメラの存在に慣れていくしかないだろう。「もう少し楽器ばかり見ていないで顔も上げてほしい」と監督に言われながら、神原はそう感じていた。

 数回のリハーサルを経て、神原たちはいよいよ本番に入る。「本番!」と口々に言う声が撮影現場にこだまする。自分たちとカメラの間に、助監督がカチンコを構えて入る。

「シーン1、カット1、テイク1」と言って助監督がカチンコを鳴らし、カメラの前から去ると監督が「よーい、スタート!」と発して、CDプレイヤーは再生を開始した。フリー素材のフォーカウントを聴いてから、神原たちは一斉に「FIRST FRIEND」の演奏を始める。

 このショットはひとまず、最初から最後まで通して演奏する。だから、神原たちは自分が演奏する音がドラムにかき消されながらも、しっかりと仮音源を聴いて合わせるように演奏をした。

 ミュージックビデオでは、音楽が流れているシーンは基本的に音を録音する必要がない。だから、神原も声に出して歌う必要がなく、口パクで歌った。それでも、練習も含めたらもう何百回も演奏してきた曲だから、神原は問題なく仮音源の歌に唇を合わせることができる。

 でも、カメラが回っている、本番を撮っているという緊張感は、やはりなかなか拭えない。四人の間だけでなく、撮影場所全体に神妙な空気が漂っている。

 神原も、普段のライブ以上に緊張する思いがした。それでも、演奏は手や身体が覚えてくれていて、深く考えずとも動いてくれていた。

 神原たちは結局、本番として二回「FIRST FRIEND」を通して演奏した。最初のテイクも神原たちはミスなくできていたものの、監督は納得いかなかったようで、演出という名の修正を施して、もう一度撮影した形だ。

 今度は監督からもOKが出て、神原たちは安堵したように一つ息を吐く。

 とはいえ、まだ撮影は始まったばかりだ。今度は神原たちから見て左斜め前にカメラを構えての撮影である。

 カメラ位置が変わると、照明の位置も変わりセッティングを再び調整する必要が出てくる。スタッフが次の撮影に向けてセッティングを整えているのを、神原たちは演奏位置についたまま眺めていた。

 カメラ位置が変わるたびに、いちいちこんな手のかかる作業をしなければならないなんて、ミュージックビデオの撮影は完成したものからは想像もできないほど手間がかかることだと、神原は感じていた。

 左斜め前、そして右斜め前とカメラは構える位置を移動しながら、神原たちを撮影していく。時間短縮のためにリハーサルもなしに、いきなり本番に入っていたけれど、それでも神原たちは集中したまま撮影に臨むことができていた。今度は通してではなく曲のピンポイントの部分だけの撮影だったから、神原たちの負担もいくらか少ない。

 それに何回もカメラを向けられているうちに、神原たちは自分たちが撮影されている状況に徐々に慣れつつあった。テイク数も一回で済み、撮影はスムーズに進んでいく。神原の心も少しずつ落ち着いていく。

 だけれど、次のショットになって自分だけが演奏するシーンを迎えると、神原の緊張はぶり返してしまう。構えられたカメラは目と鼻の先にあって、少しは慣れてきたとはいえ、これでは意識するなという方が無理な話だろう。他に撮影場所には、後ろでドラムを叩く久倉しかいない。

 まずは自分の顔のアップの撮影からだと伝えられたとき、神原は息を呑む思いがした。緊張がピークに達している感覚があった。

 それでも、リハーサルの間に監督がアドバイスや温かな声をかけてくれたおかげで、神原は緊張しながらも何とか撮影に臨むことができる。

 ピックアップされた箇所を、ギターを弾いているふりをしながら口パクで歌う。撮影は二度三度と重ねられて、ギターを弾いている手元の撮影も含めて自分の番が終わったとき、神原は早くもやりきったかのような思いがした。

 当然、まだ撮影は続く。時間的には半分も経っていない。それでも監督のOKが出たときには、神原は一仕事終えたような感覚を抱かずにはいられなかった。

 撮影は絶え間なく続いた。神原たち一人一人の撮影がされていくなか、出番ではない人間は逐次昼食を食べたり、休憩を挟んだりする。

 神原も自分の番が終わると、控室に行って昼食の弁当をいただいた。それでも食べ終えた後は、手持ち無沙汰になってしまう。やることがなく、同じく休憩を取っているメンバーと話したり、自分以外のメンバーの撮影を見学したりする。

 それでも、神原の次の出番はなかなか訪れることはなく、待っている時間は神原の想像以上に長かった。以前「テレビや映画の俳優は待つことも仕事」という言葉を聞いたことがあったが、その意味が今なら分かる気がした。

 最後に女性俳優たちと合流して共演するシーンを撮ると、ミュージックビデオの撮影はまだ外が明るいうちに終わっていた。

 ラストシーンを撮り終えて、助監督が「これで皆さん、オールアップです! ありがとうございました!」と言うと、撮影現場は自然と拍手で包まれる。

 神原も手を叩きながら、安堵と疲労を感じていた。今日は朝早くからの撮影だったから、既にもう眠たい。ミュージックビデオの撮影は予想以上に大変で、帰ったらまずベッドに向かってしまいそうだ。

 それでもスタッフは誰も疲れた様子は見せておらず、さすが撮影に慣れていると神原は感じる。

 口々に「お疲れ様でした」と言われると、自分たちが無事に撮影を終えられたことに、神原は嬉しさとほっとする思いを抱く。撤収作業に取り組むスタッフたちに「ありがとうございました」と今一度挨拶をして、衣装から私服に着替えて図書館を後にすると、外はもうすっかり暗くなっていた。

 神原たちは寒さに身を震わせる。でも、大事な仕事を一つやり遂げた達成感は神原の中にもあって、ミュージックビデオの完成品を見る日が、今からにわかに楽しみになっていた。


(続く)


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