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【小説】ロックバンドが止まらない(81)


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「そういえば、先週ショートランチのライブ見に行ったんだけどさ」

 一つ前の話題がひと段落着いたタイミングで、おもむろに話し出した園田に神原は内心身構えた。与木や久倉も少し「ん?」とでも言いたげな、引っかかるような表情を見せている。

 バンド練習を終えた四人は、スタジオの最寄り駅の近くの居酒屋チェーンにやってきていた。四人で一緒に酒を呑みながら夕食を食べるのは、レコーディングが無事に終わった日以来だ。

 とはいえ、神原たちはしばらくは気を抜くことはできない。これからアーティスト写真やミュージックビデオの撮影が控えているし、来月にはサニーミュージック所属のバンドとして初めてのライブも予定されている。

 だから、レコーディングを終えて少しだけ休みを挟んで、すぐに神原たちはバンド練習を再開させていた。

「へぇ、そうなんだ。どうだった?」

 話を広げるために久倉が相槌を打つと、園田は目を輝かせた。その今も高揚しているかのような表情が、ライブの印象を言葉よりも先に神原たちに伝えてくる。

「うん! めっちゃ良かったよ! 演奏された全部の曲が私には好きだったし、ステージで三人が楽しんで演奏してるのが伝わってきて、見てる私まで楽しく感じられた! 特に『シャンデリア』のときは、まだリリースされてないのにフロアも盛り上がって、ライブハウスには一体感が生まれてたし、その日出演した三組の中でも、間違いなく一番良いライブをしてたと思う!」

 園田は今しがたライブを見てきたかのような、上気した口調で語っていた。緩められた表情に、本心からそう思っていることが神原には分かる。

「そんなにか。俺もちょっと気になってきたかも」と相槌を打つ久倉が本音を言っているのか、それとも単に会話を途切れさせまいとしているのか、神原には判別がつかなかった。

「それなら、瞳志君も行った方がいいよ! ショートランチ、来月の二四日に新宿でワンマンするみたいだから! ちょうどその日は、今のとこは何の活動も入ってないよね!?」

「そうだな。俺もちょっと考えてみるわ」

 本心かどうかは分からないにせよ、前向きな返事をした久倉に神原は少し驚いてしまう。ショートランチにすっかり魅了されている様子の園田も同様だ。

 あの顔見せライブの日を忘れたというのか。

 二人に対する疑念が思わず「お前ら、よくそんな気分でいられるよな」と神原にこぼさせる。「どういうこと?」と訊き返してきた園田の目は、不思議そうだった。

「いや、少し先にデビューした同期がすぐに売れていくのを見て、よく平気でいられるなって。顔見せライブの日だって、こんなこと言いたかないけど、あいつらの方が少なくとも観客には受け入れられるライブをしてたじゃんか。もっとこう悔しさとかないのかよ」

 神原の言葉には、実感がこもっていた。

 実際、ショートランチはメジャーデビューをしてから瞬く間に売れた。デビュー前からサニーミュージックに推されていたこともあって、リリースされたミニアルバムはその週の売り上げランキングでトップ10に食い込んでいたし、深夜とはいえ地上波の音楽番組にも出演して演奏を披露している。ライブをすれば、小規模なライブハウスならもう満員にできるほどで、早くも次のシングルの発売も予定されている。飛ぶ鳥を落とす勢いと言っていいほどだ。

 だから、神原は日に日に人気を獲得している三人に、忸怩たる思いを抱いている。CDを買うのはもちろん、曲だってなるべく耳に入れないようにしているくらいだ。

「まあ、そういう気持ちはないわけじゃないよ。でも、いくら妬んだところで三人の曲が悪くなることはないし、私たちの曲が急に良くなることもないでしょ? だったらさ、素直に良い音楽を楽しめばいいんじゃない?」

 園田の言うことも一理ある。それくらいは神原にも分かっていた。きっと自分よりも園田の方が、音楽を聴くうえでは理に適った態度なのだろう。

 でも、神原はすぐにはそこまで割り切れない。自分たちは音楽の聴き手でもあるが、作り手でもあるのだ。良い曲を聴いて自分も負けたくないという対抗意識を失ってはいけないだろう。

「いや、確かにそれはそうかもしれないけどさ、この業界って椅子の数は限られてるわけじゃんか。リスナーだって全部の音楽を聴けるわけじゃねぇし。その椅子を俺たちはこれから取りにいこうとしてるのに、もう既に椅子に座ってる奴らを見て、よくそんな考え方ができるなって、俺は正直思うんだけど」

「そりゃプレイヤーとしては、私もショートランチの三人に負けていられないなとは思うよ。でも、それはあくまでプレイヤーとしての話で、リスナーとしては私は純粋にショートランチの曲が好きで、その二つは両立するって私は思ってるんだけど」

 そう言う園田に頷ける部分も、神原にはあった。自分も好きなバンドやミュージシャンはいくらでもいる。たとえメジャーデビューして同じ土俵に立ったとしても、負けていられない気持ちはあるが、それらのミュージシャンの曲は相変わらず好きなままだろう。

 でも、それがメジャーデビューの時期が近いショートランチとなると話は別だ。同じ事務所で諸々の条件も近いとなると、神原はどうしてもプレイヤーとしての自分とリスナーとしての自分を混同してしまう。

「いやでもさ、普通の会社とかでも同期が自分よりも先に出世してたりしたら、大体嫉妬するだろ。それと同じだよ」

「うーん、どうだろ。私、バイトはしてるとはいえ会社で働いたことはないから、よく分かんないんだけど」

 それを言ったら、自分だって同じだ。そう言いたい思いを、神原はぐっと飲みこむ。今は穏やかな夕食の席だ。空気を悪くしていいことは一つもない。

 それとも少しムッとし始めた神原の雰囲気を察したのか、久倉が「まあまあ二人とも、この話はこれくらいにしようぜ」と話を収めようとする。

「そういえば俺さ、この前めっちゃ面白い映画観たんだけど」と音楽とはまったく関係のない話題を始めようとする久倉に、神原もそれ以上ショートランチについて何か言うのは控えた。「へぇ、どんな映画?」と園田も関心を寄せている。

 レコーディングが終わって少し休んでいる間に観たというホラー映画について久倉が話しているのを、神原たちは適度に相槌を打ちながら聞いていた。

 レコーディングが終わると、バンド練習と並行しながら、神原たちはメジャーデビューに向けての準備を着々と進めていく。まず行われたのはアーティスト写真、通称「アー写」の撮影だ。

 朝早く神原たちは下北沢にあるCLUB ANSWERに集合する。神原たちが初めてライブを行った場所で、それ以降も何回もお世話になっている。だから、ここから出発したバンドであることをメジャーデビューしてからも忘れたくないと、神原たちの方から八千代に提案したのだ。

 八千代をはじめとしたサニーミュージックの面々も神原たちの提案を受け入れてくれて、CLUB ANSWERも神原たちのためならと、普段は営業していない朝の時間に使用許可を出してくれている。

 CLUB ANSWERに到着した神原たちは、まずはその撮影隊の規模に驚く。

 インディーズのときは吉間が自らデジタルカメラでアー写を撮っていたのだが、今回はちゃんと専属のカメラマンが呼ばれていた。しかも、撮影スタッフはカメラマン一人ではなく、照明係や撮影助手と思しき人間もいて、フロアに大量に置かれた込み入った機材に、神原は思わず襟を正す。

 さすがメジャーだなと、アー写一つ取ってもお金がかかっているなと思わずにはいられなかった。

 楽屋で神原たちは衣装に着替える。Tシャツの上に一枚ストライプのシャツを羽織り、下には紺のジーンズを穿くというスタイルは神原も普段からやるものだが、わざわざ衣装合わせの日を設けてデザイナーにまで入ってもらって決めたこの衣装は、普段とは重みがまるで違う。

 インディーズのときはいつも私服でアー写を撮っていたのだが、今は四人ともが事前に決められた衣装を着ている。それが神原に本当にメジャーデビューするのだという自覚と特別感を、改めて抱かせていた。

 フロアの壁をバックに撮影を開始する四人。

 見るからに安そうなデジタルカメラではない、三脚に据えられたそれこそ何十万円もしそうなカメラを前にして、神原は緊張を隠せない。自分たちに当たっている照明も、ステージに立っているときとはまた違う暑さを感じる。

 緊張を隠せていない四人を目の当たりにして、カメラマンは「もっとリラックスしていいよ」と言っていたが、それが簡単にできれば神原たちも苦労しないだろう。

 少しずつ撮影には慣れ始めていたものの、神原は自然な笑顔を浮かべることはなかなかできなかった。だからといって、誰にも責められることはなかったが。

 撮影はフロアの他にもステージや楽屋に場所を移しながら、数時間に渡って行われた。

 インディーズのときは短いときはものの数分で終わっていたから、アー写だけでも長く続く撮影に、神原はライブやレコーディングとはまた違う疲労を覚える。カメラマンにサンプルとして撮影した写真を何枚か見せてもらっても、明確な違いは神原たちには分からなくて、ただ感覚で「これがいいです」というようなことしか言えない。

 静止画であるアー写を撮るのにこれだけ時間がかかっているのだから、動画であるミュージックビデオを撮るのにはいったいどれほどの時間がかかるのだろう。神原は、軽く途方に暮れる思いさえしていた。


(続く)


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