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【小説】ロックバンドが止まらない(94)


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 神原たちがバンド練習を終えてスタジオを出たときには、もうすっかり日は沈み、辺りは暗くなっていた。肌を突き刺すような寒さを、改めて四人は感じる。

  この日はどこにも寄らず解散する流れになって、神原も一人で帰路に就く。ファミリーレストランで夕食を食べてから、家に帰る。

 この日は、コンビニエンスストアで酒を買うことはしなかった。園田の話を聞いた手前、そんな気分にはなれなかった。

 神原は帰ってくるなり、ギターを手に取っていた。音楽だけで食べていきたいという四人に共通の思いを再確認した今、バンド練習の疲れはあっても今の自分がやるべきことはギターの練習をしたり、新曲を作ることだと感じていた。

 いくつか思い浮かんだコードを鳴らしてみる。最初はただの思いつきにすぎなかったバラバラのコードも、次第にこうしたらいいのではないかという考えが浮かんできて、曲の形になり始める。それは神原にとって、苦しくも楽しい過程だった。

 ギターを手にしたまま、二時間が経っただろうか。曲が一つ大まかだけれど形になって、神原は安堵したように息を吐く。実際にレコーディングしてリリースするかは分からないが、それでも確かに一歩前進した感覚がある。

 そんなときだった。テーブルの上に置かれていた携帯電話が、着信音を鳴らしたのは。

 手に取ってみると、画面には「四宮(しのみや)さん」と表示されている。神原のアルバイト先の主任にあたる人物だから、神原は電話に出るほかない。

「もしもし」と応えると、電話越しに「よかった。繋がった」と、ほっとしている四宮の声が聞こえた。それだけで神原は用件を察したが、それでも一応「どうかしたんですか?」と尋ねてみる。

「うん。神原君、今少し話せる?」

「はい、大丈夫ですけど」

「よかった。さっそくなんだけどさ、明後日シフト入れないかな?」

 四宮の用件は、神原がいくつか見当をつけた候補の中でも、一番考えたくないものだった。思わず漏れそうになるため息をどうにか抑える。

 明後日、神原はアルバイトのシフトを入れていない。かといってバンドの活動も入っておらず、その日は一日じっくり腰を据えて、新曲を作ろうと考えていた。だから、四宮の頼みを受けることは、神原には不可能ではない。

 それでも、気は進まないのは確かだったから、返す声も少し怪訝なものになってしまう。

「どうしてですか? それってどうしても僕じゃなきゃダメなんですか?」

「いや、その日シフトに入ってた望月(もちづき)さんが、インフルエンザにかかっちゃったみたいでさ。しばらくは出てこれないみたいなんだよね。もちろん、桜田(さくらだ)君や萩本(はぎもと)さんにも連絡したよ? でも、二人ともさすがに明後日は急すぎるみたいで断られちゃって、もう神原君しか頼れる人がいないんだよ。だから、ね? お願い。どうか助けると思って」

 四宮の言っていることに証拠は一つもなくて、神原には疑おうと思えば、簡単に疑うことができてしまう。

 それでも、神原は四宮が今困っていることが本当だという可能性も、低くはないと考えていた。元々四宮は、自分にあまり電話をかけてこない。それがこうして電話をかけてきたということは、それなりに緊急事態なのだろう。

 そこに応えたいという気持ちを、園田の話を聞いてもなお、神原は持っていた。

「本当に明後日だけなんですか? 望月さん、他にもシフト入ってたと思いますけど」

「それは俺の方でどうにかするから。明後日出てくれたら、神原君にはそれ以上の負担はかけない。それは約束するよ」

 四宮の口調は電話越しでも分かるほど真剣で、嘘を言っているわけではなさそうだった。

 神原は、少し思い悩む。園田の話を聞いた後では、すぐには首を縦に振れなかった。自分だって、バイトで要らない消耗をしたくはない。

 それでも「ね? お願い」と四宮に重ねて頼まれると、神原は「はい、分かりました」と言うほかない。新曲を作るのは、また空いた時間にすればいい。それよりも今は、アルバイト先のピンチを救うことが先決だと思った。

「ありがとう! じゃあ、明後日のシフトに神原君の名前入れとくから! 神原君もバンドをしながらで忙しいだろうに、本当にありがとう! このお礼はいつか絶対にするから!」

「いえ、大丈夫ですよ。僕もバンドでシフトに入れない日が多いですから。これはその埋め合わせのつもりです」

「うん、本当にありがとう! じゃあ、明後日よろしくね!」

「はい、よろしくお願いします」

 話が終わったことを見計らって電話を切ると、神原は一つため息をついた。新曲を作る時間が削られたことは確かに痛い。

 でも、ここで断ったら四宮の心象を悪くしかねないし、アルバイト先にもいづらくなるかもしれない。それは神原には何としても避けたかった。自分は生活をしていくために、まだまだアルバイトでの収入が必要なのだ。

 そう改めて思い知らされると、神原は少し情けなかったけれど、でもそれが今の神原の紛れもない現実だった。

 神原たちがバンド練習にプロモーションに、新しいアーティスト写真やミュージックビデオの撮影と精力的に活動していると、あっという間に神原たちのメジャーデビューしてからのファーストフルアルバム『D』が発売される二月になった。

 相変わらず外に出てみれば身を屈めたくなるほどの寒さが続いていて、春の訪れはまだまだ遠いことを日ごとに神原は思い知らされる。

 でも、そんななかでも神原たちのバンド練習に込められた熱は、少しも落ちなかった。

 神原たちには『D』を発売した翌週に、三度目のワンマンライブが控えていたし、さらに四月になればショートランチやスノーモービルと一緒に東名阪を周るスプリットツアーもある。

 ワンマンライブでは、自分たちの過去最高のライブを更新すること、スプリットツアーでは、他の二つのバンドと比べても一番観客の印象に残るライブをすること。神原たちはその二つを目標に日々の練習に臨んでいた。練習を重ねていく度に、少しずつ上がっていく要求がその証だ。

 バンド練習は毎回新鮮な緊張感を帯びていて、神原はそれを良い傾向だと捉えていた。なあなあで済ませていては、今までの自分たちは超えられないだろう。

 仲が険悪にならないように気をつけながらも、要求し合っていくことは、神原たちの演奏の精度を着実に高めていっていた。

 その日、バンド練習を終えた四人は一緒に夕食を食べずに、それぞれの帰路に就いていた。それはバンド練習がうまくいかなかったからではなくて、今日という日の特性によるものだ。

 神原も家に帰ってさらにギターを練習しながらも、携帯電話を意識せずにはいられない。まだ結果が出る時間ではないのに、どうしても時折確認してしまう。

 二月一六日。その日は神原たちのメジャーファーストフルアルバム『D』の発売日だった。

 ギターを弾きながら、なかなか来ない着信に神原が少しやきもきし始めていると、一一時すぎに携帯電話が着信音を鳴らした。半ば縋りつくような思いで、携帯電話を手に取る。

 するとメールボックスに一件新着のメールが届いていた。送り主は八千代で、件名にはシンプルに「『D』初日売り上げについて」と書かれている。それを見ると開く前から、神原は心臓の鼓動が速まっていることを感じた。大丈夫だと自分に言い聞かせる。

 雑誌やWEBメディアの取材にラジオ番組への出演など、プロモーションには最大限力を尽くしたし、八千代たちが頑張ってくれた結果、アルバムのリード曲である「ALL NEED IS YOUの刹那」は、深夜だが地上波のテレビ番組で一ヶ月間エンディングテーマとして流れた。その甲斐あってか、動画投稿サイトに上げられた同曲のミュージックビデオは、既に五〇〇〇回再生を突破している。

 自分たちはやれるだけのことをやったという自負が神原にはある。それでも、そのメールを開くには少なくない思いきりが必要だった。

 束の間逡巡し、神原は意を決して開封する。すると、簡単な挨拶の後に、すぐ『D』の初日の売り上げは記されていた。

 一二四八枚。それが『D』の初日の売り上げだった。その数字を見た瞬間、神原は思わずガッツポーズをしてしまう。

 それは神原たちが今までリリースしたCDの中でも、間違いなく一番の売り上げだった。メジャーデビュー作である『FIRST FRIEND』の倍近い売り上げに、神原の頬は緩む。

 今まで地道に曲を作って、ライブをして、CDを発売してきたことがまた一つ報われた気がして、高揚感を覚えずにはいられない。感慨深ささえ湧いてくる。

 そして、さらに八千代のメールには続きがあった。過去最高の初日売り上げを記録した『D』は、今日のアルバムのチャートで、九七位にランクインしていたのだ。

 一〇〇位以内を記録することは、神原たちにとっては目標の一つだったので、神原の口からは意図せず「やった」という声が漏れる。

 もちろん、まだ上には上がいるから、これで満足してはいられない。実際、ショートランチはもっと上の順位を記録している。

 それでも、初めてのチャート入りは神原にとっては格段に嬉しく、達成感を覚えられるものだった。園田たちも同じように喜んでいるのだろうと思うと、なおさら嬉しく感じられる。

 チャートで一〇〇位以内に入ると入らないのでは、雲泥の差だ。ギリギリのランクインではあったが、それでもそれは神原たちが初めて出した、大きな結果に違いなかった。

 夜遅くまでお疲れ様です。チャートに初めてランクインができたこと、とても嬉しいです。これを励みにこれからも頑張ります。

 そういった内容をメールにしたためて、神原は八千代に返信を送った。自分たちだけの力ではここまで売れていないので、感謝の言葉をメールに込めて送ることに、神原は何のためらいもなかった。

 携帯電話を部屋着のポケットにしまうと、弾いていたギターをギターケースに収納してから、神原は腰を下ろしていたベッドから立ち上がった。冷蔵庫から缶ビールを取り出す。

 神原は喜びに押されるようにして、缶ビールを傾けた。目の覚めるよう、冷たく刺激的な感触が喉を通っていく。これは祝杯だ。きっと園田たちも同じように、それぞれの家で呑んでいることだろう。

 神原は、もう一口缶ビールを呑む。心地よい苦味と達成感がとろけるように溶けていき、神原を甘美な心地よさに誘った。

『D』を発売した翌週に下北沢CLUB ANSWERで行われたワンマンライブは、神原たちにとっては成功したと評価したくなるものだった。その日は一日晴天が広がり、比較的出かけやすい陽気だったことも功を奏したのだろう。

 神原たちがステージに登場したとき、フロアには今まででも一番の観客がいた。後方まで人が入ったフロアは、神原に感慨を抱かせ、一つ前に出演したライブハウスだったら満員状態になっていると思えるほどだった。一日だけだったが、チャートにランクインするほど『D』が売れたことも、夢や幻ではないことが神原たちには分かる。

 ステージに立つ前に抱いていた緊張も、その光景を見ると、神原の中でじゃモチベーションに姿を変えていた。

 実際に演奏が始まっても、最初の一音から全員の呼吸はぴったりと合い、それだけで神原は今日が良いライブになる予感を抱いた。

 実際、何度も練習を繰り返したおかげで、神原たちは高いパフォーマンスを発揮できていたし、そのことが観客にも伝わったのか、フロアの反応もすこぶるよかった。リズムに身体を揺らしてくれるのはもちろんのこと、一曲目のサビから手を振り上げてくれる人もいて、神原たちの気分と演奏をますます乗せていく。

 心は盛り上がりつつ、頭は冷静な部分を保っており、演奏もしっかりと地に足がついているように、神原には感じられていた。園田や久倉がリズムキープを抜かりなく行ってくれているから、神原もとても演奏しやすかった。歌いやすかった。

 決して走ることなく、良い意味で練習の延長線上にある四人の演奏は、神原にとっては理想に近いものだった。

 湧きあがるフロアにも引っ張られすぎることなく、着実な演奏を心がける。そのおかげで神原たちは懸念だったライブの後半も、以前ほどの負荷は感じなかった。

 スタジオで何回も今日のセットリストを通して演奏してきたから、身体が慣れてきた部分はあるのだろう。それでも、二回ワンマンライブを行った経験から、神原たちはペース配分を徐々に把握できるようになっていて、演奏の熱量は最後まで落ちなかった。

 当然、ライブが進むにつれて疲労は溜まっていく。でも、それもちゃんとライブ全体を見通した演奏のおかげで、いくらか軽減されていた。疲労の量を、少しだけだがコントロールできるようになったと言ってもいい。

 おかげで神原たちは本編で一五曲を演奏した後も、アンコールでさらに二曲を演奏できていた。

 今までで一番多くの曲数が披露され、演奏も申し分ないと感じたのだろう。神原たちが演奏を終えて向き合ったとき、多くの観客は晴れやかな表情を浮かべていた。

 神原たちとしては、今日のライブにも課題を感じている。修正すべき点はまだまだある。

 それでも、満足しているだろう観客が少なからずいたことは、神原たちに大きな手ごたえを与えていた。今日ライブをしてよかったと、神原は自信を持って言える。

 打ち上げで呑んだビールも手ごたえがあるからか、今までにないほど美味しかった。


(続く)


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