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【小説】ロックバンドが止まらない(86)


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 ライブイベントへの出演を終えると、神原たちは休む間もなく、翌週にはファーストシングルのレコーディングを開始していた。『FIRST FRIEND』を録ったときと同じスタジオ、同じスタッフ陣でのレコーディングだから、一度経験した分神原たちはいくらかやりやすさを感じる。

 実際、レコーディングも予定通りに進み、シングルに収録される三曲を神原たちは、きっちり三日で録り終えることができていた。

 もちろん拙速に進めたのではない。四人ともが集中してレコーディングをした結果、曲は神原たちが心から納得がいくものに仕上がっていた。これなら『FIRST FRIEND』を気に入ってくれたり、初めて自分たちのCDを買う人の期待を裏切ることはないだろうと、神原には感じられる。

 メジャーデビュー後初のシングルにふさわしい作品になったと、まだマスタリング等が終わっていなくても自然と思えた。

 神原たちの次のライブはレコーディングを終えた翌々週に行われた。何回か訪れたことがある街の、駅からも近いライブハウスで、四組中二組目の出番だった。

 短くなった持ち時間に合わせて組み直したセットリストを、神原たちは演奏する。平日の夜だったから観客は多いとは言えなかったが、それでもフロアには濃密な空気が醸成されていた。曲への乗り方を見るに、神原たちのことを知っている観客も少なくない数見受けられる。

 自分たちの曲が間違いなく受け入れられていることを感じて、神原たちの演奏もがっちりと噛み合う。

 ライブハウスには確かな高揚感が流れていて、それは神原たちがライブMCをする間も途切れなかった。神原たちが話している間も、観客は関心を向け続けてくれていて、それは神原が「八月にファーストシングルがリリースされます!」と発表したときの暖かな拍手となって表れる。自分で言っておいて、神原には少しこそばゆくなるほどだ。

「よろしくお願いします!」と言って曲名を告げてから、神原たちはファーストシングルの表題曲を演奏し始める。既に一回観客の前で披露しているから、神原たちは演奏に迷うことはない。

 王道ともいえるロックチューンに、初めて聴いたであろう観客たちもリズムに乗って身体を小さく揺らしたり、反応を示してくれる。それが神原たちの演奏にさらなる勢いを加えていた。

 ファーストシングルの発売はライブを終えた後に、正式にサニーミュージックや神原たちの公式ホームページでも発表された。

 とはいえ、ファーストシングルの発売は公表されていなかっただけで、業界内では情報は回っていたから、神原たちはバンド練習やミュージックビデオの撮影等の活動と並行して、いくつかの取材を受ける。『FIRST FRIEND』が評価されたのか、神原たちのもとに来る取材依頼も明確に増えていた。

 そのなかで、神原たちは八千代が選んだ音楽雑誌やネットメディア等の取材に臨む。メンバー四人での取材や、フロントマンである神原への単独取材。

『FIRST FRIEND』のときの経験があるから、神原たちは事前にどんなことが訊かれるかある程度傾向を立てられていたし、少しでも場数を踏んできた慣れも相まって、スムーズに取材を進められる。

 与木はまだ答えるのに少し苦労している様子だったけれど、神原たちは注意したり咎めることはしなかった。与木のコミュニケーション能力は、これまでの付き合いで十分把握している。だから、それとなくフォローはするものの、悪く思うことは神原たちにはあり得なかった。

 地下鉄を降りて出口を出ると、じりじりとした夏の日差しを神原は浴びる。猛暑日の陽気の中をうだるような思いを感じながら歩き、神原は三階建ての建物の中に入った。

 入り口をくぐると涼しい冷房の風が肌に触れ、癒されるような感覚になる。エントランスのソファには先に着いた八千代が座っていて、神原が入ってくるなり立ち上がって近づいてきた。二人で受付に赴き入館証をもらうと、神原たちはエレベーターで三階に上がる。

 もうすぐ七月も終わるこの日、神原は一人でラジオ番組の収録に臨むことになっていた。

 エレベーターを降りると、廊下の左右にはいくつかのドアが設置されていて、何本もの番組が同時収録されていたり、生放送をしていることを神原に窺わせる。

 神原たちがそのうちの一つのドアを開けると、奥に番組を収録するブースのある部屋が目に入った。ドアとガラス窓で仕切られて、二つのマイクが置かれているブースはレコーディングブースを神原に思い起こさせたが、明らかにそれとは異なる雰囲気に、息を呑む思いがする。

 音響卓の手前にはテーブルに椅子が四つ置かれていて、そこには神原がこの日出演する番組のパーソナリティである浦川(うらかわ)や、数名のスタッフが座っていた。

 その全員に神原たちは「よろしくお願いします」と挨拶をする。浦川は「緊張しなくても大丈夫ですよ」と言うように神原たちに微笑みかけてきていたが、初めてのラジオ番組の収録に神原はやはり緊張せずにはいられなかった。

 プロデューサーから今日の収録の流れを改めて説明されると、神原たちは収録開始時間になるまで、浦川の雑談に付き合った。

 もう何年も番組を続けている浦川はさすがに慣れているのか、神原の緊張を解そうと自然体で話しかけてきていたけれど、それでも神原の心はその気遣いに応えられない。ただ訊かれたことを返すのに精いっぱいで、心だけではなく身体まで強張っていきそうだ。

 幸い台本は頭に入っている。それでも、落ち着いて収録に臨めるかどうかは、神原にはまだ少し自信がなかった。

『浦川未里(うらかわみり)のサタデー・ミュージック・レディオ!』

 浦川のタイトルコールが、マイクを通してブース中に響く。神原もいよいよ始まったと、改めて背筋を伸ばす。

 今、二人はそれぞれのマイクを挟んでテーブルに向かい合って座っていた。簡単なリハーサルを経て、開始時間ぴったりに収録が始まった形だ。

 浦川が時候の挨拶や軽く雑談をしているなかで、神原は時折台本に目を落とす。そうでもしないと緊張は高まっていく一方だった。

「それでは、本日のゲストをご紹介します。四人組ロックバンドChip Chop Camelからボーカル・ギターの神原泰斗さんです。よろしくお願いします」

「よろしくお願いします」

 神原は緊張していても、それでもマイクに向かってなるべく歯切れのいい声を発した。

 当たり前だが、ラジオは声だけしか聴こえない。だったら、せめて声だけでも印象をよくしておきたかった。

「神原さんは今回がこの番組初登場なんですよね?」

「はい。この番組は僕も何度か聴かせていただいたことがあるので、こうして出演できてとても嬉しいです」

「ありがとうございます。私も神原さんたちのメジャーデビューミニアルバム『FIRST FRIEND』を聴かせていただきました。とてもフレッシュで良いミニアルバムだと思いましたよ」

「それはありがとうございます。浦川さんにそう言っていただけて、僕も嬉しいです」

「いえいえ、本当のことですから。じゃあ、ここでさっそく曲紹介をしていただきましょうか」

「はい。では、聴いてください。僕たちのメジャーデビューミニアルバム『FIRST FRIEND』から「FIRST FRIEND」」

 神原がそう言うと、少ししてからテーブルの上のスピーカー越しにプロデューサーの「はい、OKです」という声が聞こえた。神原もひとまず胸をなでおろす。

 本放送ではここで「FIRST FRIEND」が流れるが、収録中である今は束の間だが息をつくことができる時間だ。

 水を一口飲んだ神原は、浦川から「神原さん、良い感じです」と声をかけられる。その言葉に励まされて、神原は少しだけ自分が落ち着いてきていることを感じた。

「それでは、ここからはゲストである神原さんに色々お話を訊いていきましょう」

「よろしくお願いします」

「まず神原さんがギター・ボーカルを務めるChip Chop Camelは今から四年前の二〇〇一年に結成されたそうですね」

「はい。元々僕とギターの与木は別のバンドを組んでいたんですけど、そのバンドが解散してしまって。それで新しくベースとドラムに園田と久倉を加えて結成したという感じです」

「なるほど。そして初ライブは高校の文化祭だったと」

「そうですね。そのときはHIGH SPEED YOUのコピーバンドをやってました。もちろん演奏技術とかは今思えば恥ずかしくなるくらい拙かったんですけど、それでも大切な思い出です」

「青春ですね。私もそんな高校時代過ごしてみたかったですよ」

 小休止明けの収録はまず神原たちのこれまでの活動を振り返るところから始まった。これまで取材で何回か話してきたことだから、初出演の緊張はあっても、神原は収録が始まったときよりは比較的スムーズに話せていた。

 浦川の軽妙な話し方も、神原により多くの言葉を引き出させる。時折ユーモアも交えながら構えているところが一つもないその姿は、神原が今まで会ってきた人間の中でもトップクラスに話しやすく、さすがはプロのラジオパーソナリティーだと感じる。

 ブースには緊張感はありつつ、それ以上の和やかな空気が流れていた。

「それでは、次は来週一六日発売のシングル『RHETORIC SUMMER』についてお話をお伺いしていきましょう」

「はい」と返事をしながら、神原は気持ち背筋を正す。このラジオ番組に出演する最大の目的が果たされようとしていることに、よりいっそう気を引き締めた。

「この『RHETORIC SUMMER』は神原さんたちChip Chop Camelがメジャーデビューしてから初めてのシングルなんですよね?」

「はい。自分たちの力だけでなく、色んな人が力を尽くしてくれてファーストシングルが出せることを、とても嬉しく思っています」

「この『RHETORIC SUMMER』は三曲入りのシングルとなっているそうですが、それぞれの曲について軽くお話いただけますか? まずは表題曲である『RHETORIC SUMMER』について」

「そうですね。この曲はミニアルバムでメジャーデビューするときにはあった曲でした。メジャーだからといって自分たちのやることはあまり変えずに、直感的に作った部分が多い曲です」

「そうなんですか。私も事前に聴かせてもらったんですけど、とても爽やかで駆け抜けるような曲だと思いました。一回聴いただけで好きな曲だって分かりました」

「ありがとうございます。僕たちとしても自信作なので、そう言っていただけて曲に弾みがついた気がします」

 神原はそれからもファーストシングルに収録される三曲について、どんな風に、どんな思いで作ったのかを話した。「RHETORIC SUMMER」以外の二曲は今までの取材でもあまり話すことがなかったから、神原には新鮮で話しながら考えがまとまっていく感覚がする。

 それは話の引き出し方が上手な浦川のおかげもあって、神原はラジオの収録にも徐々に慣れつつあった。

「RHETORIC SUMMER」を流してもらい(という想定)、小休止を挟むと番組はリスナーからのメールを紹介するコーナーに移る。

 神原がこの番組に出演することは、事前に告知されていた。だから、数はあまり多くなかったが、神原たちに関するメールはちゃんと来ていて、神原は自分たちが確かにファンに認知されていることを感じる。リスナーからの励ましの言葉が胸に染み入るようだ。

 音楽とはあまり関係のない質問にも、神原は穏やかな表情で答えられる。実際にリスナーの声を聴く機会は、神原たちには数えるほどしかないから、その貴重な機会が神原の心をじんわりと温めた。

「では、浦川未里のサタデー・ミュージック・レディオ、今日は間もなくお別れとなります。最後に神原さん、何か言いたいことはありますか?」

 収録も終わりに近づいてきたなかで、今一度浦川は神原に話を振ってきた。神原も最後の機会だと思い、わずかに座り直してから口を開ける。

「はい。今日はありがとうございました。とても楽しかったです。僕たちのファーストシングル『RHETORIC SUMMER』は、今僕たちが持てる全ての力を注いで作った作品ですので、もしよかったらこの番組を聴いている皆さんの、心の片隅にでも留めておいてもらえたらなと思います。僕たちが自信を持ってお届けできるシングルになっていますので。よろしくお願いします」

「ありがとうございます。皆さんも『RHETORIC SUMMER』ぜひ、チェックしてみてください。では、今日のゲストはChip Chop Camelからボーカル・ギターの神原泰斗さんでした。神原さん、今日はありがとうございました」

「ありがとうございました」

「それでは浦川未里のサタデー・ミュージック・レディオ、また来週この時間にお会いしましょう。さようなら」

 浦川がそう番組を締めると、少ししてからスピーカーからプロデューサーの「はい、OKです」という声が聞こえた。収録が終わった合図に、神原はほっと胸をなでおろす。

 浦川と二言三言言葉を交わすと、神原たちはブースの外に出た。八千代やプロデューサーが「良かったよ」と声をかけて迎えてくれる。

 収録は少なくとも失敗には終わらなかったっようで、神原は安堵のあまり少し身体から力が抜ける感覚さえしていた。


(続く)


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