【小説】ロックバンドが止まらない(96)
リハーサルを終えた神原たちは、いったん楽屋に戻る。すると、そこには次にリハーサルをするショートランチの三人がいた。
神原としてはすぐに楽屋を出たい気持ちもあったが、それでもギター・ボーカルの平井(ひらい)に声をかけられれば、挨拶ぐらいはせざるを得ない。
顔見せライブで曲がりなりにも共演したからか、平井は神原たちの顔と名前を覚えていた。特に日頃から仲が良いのか、園田とは親しげな様子だ。
その平井に、神原は「今日はどの曲を演奏するの?」と訊かれる。驚くべきことに平井は神原たちがリリースしたCDをインディーズ時代も含めて全て聴いてきたようで、次々と神原たちの曲名を挙げていた。
その中には神原たちが今日演奏する曲もあったが、それでも神原は手の内を明かしたくはなかったので、曖昧にぼかしてけむに巻く。
その横では、園田とショートランチのベーシストである保科(ほしな)と、同じくドラマーである辻堂(つじどう)の三人が仲よく雑談に興じていた。
ショートランチの三人がリハーサルのためにステージに向かっていくと、神原たちは一気に手すきになった。これから開場時間までに戻ってくることができれば、どこで何をしていても基本的には自由だ。
それでも、神原たちは全員でフロアに向かっていた。神原には特にすることがなかったし、三人がリハーサルでどんな曲を演奏するかも気になっていた。
楽器を構え音量のチェックをすると、三人は今日共演する全員が見ている中で、演奏を始める。三人が演奏したのは、顔見せライブの日から今日までの間にリリースしたのだろう、神原が知らない曲だった。
神原はショートランチの曲を、共演することが決まってからも、なるべく耳に入れないようにしていた。でも、演奏された曲はやはりポップでキャッチーで、演奏された一番部分だけで、神原はこの曲も多くの人に受け入れられているのだろうと、癪だけれど分かってしまう。
顔見せライブのときの雷に打たれたかのような衝撃は、二回目だからか幸い今日は受けていない。
だけれど、三人が今日も熱のこもったライブをすることは、リハーサルだけで神原には容易に想像できた。自分たちに勝とうなんて意識は、最初から持ち合わせていないかのようだ。
自分たちが勝手に嫉妬しているだけかもしれない。それでも神原はステージ上の三人に、対抗意識を燃やし続けていた。自分たちの方が絶対に良いライブをするという自負が、心のよりどころになっていた。
ショートランチの三人がリハーサルを終えても、開場時間までにはまだ二時間ほどあった。園田や久倉はショートランチやスノーモービルのメンバーと早くも打ち解けたようで、楽屋で楽しげに話している。与木すらその輪にはちゃんと加われている。
だけれど、神原は一人楽屋を後にしていた。これから演奏で打ち倒そうとしている相手と馴れ合うことは、プライドが許さなかった。
ライブハウスからも出て、近くの喫茶店で持参した小説を読みながら時間を潰す。今までにないほどの観客を前にしてのライブに神原の心臓は高鳴っていたが、それでも一人で過ごすことは、神原にはそれほど苦にはならなかった。
しっかりと開場時間に間に合うよう、神原はライブハウスに戻る。
楽屋にいると、神原は孤高の存在を気取ってはいられない。ライブが始まるまでの時間を持て余しているのか、それとも緊張を紛らわそうとしているのか、神原は何人にも話しかけられて、それは当然無視できなかった。
それとなく話を合わせながら、神原の緊張は高まっていく。フロアに観客が入り始めて生まれたざわめきは、楽屋にいる神原たちの耳にも届いてきていた。
スノーモービルの三人がスタッフに呼ばれてスタンバイに向かうと、神原はいよいよだという思いをより強くした。神原たちも、全員で楽屋から出る。このライブハウスには、関係者専用の二階席があった。
二階席に着いて見下ろすと、観客は五〇〇人収容のフロアが満杯に埋まるほど入っていた。期待が渦を巻いていて、神原はステージに立つときのことを想像して、息を呑んでしまう。
この中には自分たちのことを知っている人もいるだろう。でも、きっと今日初めて神原たちを見る人の方が、ずっと多い。
その前で演奏することに、神原は興奮とそれ以上の緊張を覚え続けていた。
開演時間の一八時になったその瞬間に、フロアの照明は落とされた。
そして、ライブハウスに流れ出したのは、神原も聴いたことがある邦楽のバンドの曲だった。馴染みのあるメロディーと歌詞に、神原は名状しがたい思いを抱く。
そして、サビに差しかかったタイミングでスノーモービルの三人が登場した。フロアから拍手は上がるけれど、歓声は上がらない。それは観客たちが、まだステージに登場した三人の敵でも味方でもないことを示していた。
登場SEが鳴り止んで、ライブハウスは一瞬だけ静寂に包まれる。漂う緊張感に、神原も再び息を呑む。
ドラムの由比(ゆい)がドラムスティックでカウントを刻むと、スノーモービルの三人は一斉に演奏を始めて、今日のライブ、そして三日間のスプリットツアーの口火を切った。
神原も聴いたことがある爽やかで、色で例えるならば青いと感じられる曲をスノーモービルの三人は演奏する。実際、三人の演奏は必要最低限の水準を大きく超えるほど上手く、ぴったりと揃っていた。自分たちを凌駕しているとは神原は思わなかったものの、演奏面だけなら、ケチをつけるところは見当たらない。
それでもフロアは、そんな三人の演奏に見合うほどの盛り上がりを見せているとは言い難かった。それはやはりトップバッターの、しかも一曲目だということが大きいのだろうが、神原にはそれだけではないように思える。
単純に初めてスノーモービルの曲を聴く観客が多いのだろう。神原たちもそうだが、スノーモービルも人気はショートランチほど高いとは言えない。
初めてライブを見るバンドの一曲目だから、観客の反応が薄いのも致し方ないと神原は思ってしまう。自分たちのライブが同じようにならないという保証は、どこにもなかった。
だから、神原はスノーモービルの三人が自分たちには及ばないまでも、少しでもいいライブをして、ライブハウスの空気を暖めてくれることを望む。
そして、実際スノーモービルの三人は、徐々に神原が望むようなライブをしていた。三人の着実な演奏に加えて、単純に演奏される曲自体の良さもあるのだろう。フロアにも少しずつ、リズムに乗って身体を揺らす観客が現れ始めてきた。
三人は演奏をする中で一人、また一人と観客を味方につけていて、ライブハウスには純粋に音楽を楽しもうという雰囲気が生まれてきている。神原も次に訪れる自分たちの出番に緊張しながらも、素直にスノーモービルの音楽を受け入れることができた。
ふと横目を使ってみる。すると、ショートランチの三人が一観客のようにスノーモービルのライブを楽しんでいることが、彼女たちの自然体な表情から神原には感じられた。
スノーモービルのライブは、爆発的な盛り上がりを見せることはなかったものの、それでも終盤には何人もの観客の腕を上げさせていて、フロアを温める役割を十分に果たしていた。演奏し終えたときの拍手が、登場したときに比べて何倍も大きかったのがその証だ。
神原たちも軽く拍手をしてから、すぐに楽屋に戻る。一足先に楽屋に戻っていたスノーモービルの三人は手ごたえは得ているものの、完全に満足はしていないかのような複雑な表情をしていた。
何も言わないのも冷たすぎる気がして、神原は「お疲れ様、良かったよ」といった簡単な言葉を三人にかける。三人は「ああ、ありがとな」といった風に答えていたけれど、表情はライブの疲労を差し引いても完全に晴れやかではなく、神原はトップバッターの難しさを再認識した。
舞台袖から、転換作業の終わったステージが見える。リハーサルで立ったときにはあんなに広かったステージが今は幾分狭く見えて、それは緊張ゆえの印象だろうと神原は自覚した。
ライブが始まる前は強く意気込んでいたものの、やはり出番が間近になると、神原はドクンドクンと波打つ心臓の鼓動を感じずにはいられない。今日は今までで一番、大勢の観客の前での演奏だ。
神原たちは自分たちの顔を見合うことで、緊張を少しでも軽減しようと試みる。自分一人でステージに上がるわけではない。その事実がステージに向かう神原に、改めて勇気を与えてくれるかのようだった。
神原たちが舞台袖にやってきて、五分が経った頃だろうか。合間を埋めるようにして流れていたBGMが止み、神原の目はフロアの照明が再び落とされたことを捉える。一人一人の発した声は限りなく小さくても、その瞬間にフロアは確かにどよめいた。
ライブハウスに流れる登場SEはこんなときでも変わらない。そのルーティンが、神原にいくらか冷静さを引き戻す。
そして、サビが流れたタイミングになって、神原たちはステージに姿を現した。
最初に久倉が登場したときから、フロアには拍手と小さな歓声が巻き起こって、それは続いて神原たちが登場したときにも変わらなかった。今日は完全なアウェイではなさそうだ。
今までで一番多い観客は、一度に視界に収めることはできなかったものの、それでも今まで何回も自分たちのライブに来てくれた顔も見受けられる。それだけで、神原は心が少し軽くなる心地がした。
(続く)
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