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【小説】ロックバンドが止まらない(40)



前回:【小説】ロックバンドが止まらない(39)





 神原たち四人全員が両親からデビューについての承諾を得られたのは、神原が飯塚から話を受けてから一週間ほどが経った頃だった。

 神原と与木は比較的すぐに親からの了承を取りつけられたものの、園田や久倉は理解してもらうのになかなかの時間を費やしたらしい。特に園田は何度も心配されて、その度に頼みこむことでようやく理解を得られたらしい。

 何はともあれ、全員の意志が一つに固まったところで、神原は飯塚に再び電話をかける。電話に出た飯塚は少し待ちくたびれたような様子を見せていたけれど、それでも神原がデビューの話を受けることを伝えると、分かりやすく喜んでいた。

 安堵すらしているようなその声に、神原もここまで待たせてしまったことが申し訳ないと感じながらも、大きな一歩を踏み出せた嬉しさを覚えていた。

 神原が飯塚に電話をしてから二日後、神原たちは放課後になるといったん家に帰って準備を整えてから、再び吉祥寺駅に集合していた。契約関係の書類を渡したり、デビューに向けて色々と話をしたいことがあるから、ひとまずレーベルの事務所に来てほしいと、飯塚に言われたためだ。

 上り方面の中央線に乗る四人。電車に揺られながらも、神原の胸は期待と緊張で高鳴っていた。

 数駅乗ったところで、神原たちは事務所の最寄り駅で降りる。事前にパソコンで印刷しておいた地図を見ながら、街の中を歩きだす。

 すると、事務所が入っているビルへは、徒歩五分ほどで辿り着いた。ビルの外観に目立つところはなかったものの、入ってみると案内板には「ECNレコード」と表示があって、事務所は三階にあるようだ。

 エレベーターに乗って、事務所を目指す神原たち。その束の間の時間が、神原には実際よりも長く感じられた。

 エレベーターを降りると、目の前には中が見えないようになっているガラス扉があって、その横にははっきりと「ECNレコード」と書かれた表札が掲げられていた。

 神原は息を呑みながらも、二回ノックをして「失礼します」とドアを開ける。

 すると、まず目に飛びこんできたのは、様々な書類が堆く積まれた事務机だった。六つある机のうち、三人が在席していて、神原たちに気づくやいなや顔を向けて「いらっしゃいませ」と言ってくれる。どう反応したらいいのかいまいち分からなかったけれど、それでも自分たちを歓迎してくれていることはありがたかった。

 神原がオフィスを軽く見回して、壁に貼られたいくつものミュージシャンやバンドのポスターや、南向きの窓からブラインド越しに漏れてくる日差しを確認していると、四人のもとに飯塚がやってくる。「今日はよく来てくれたね」と言われて、神原たちはペコリとお辞儀をした。

 飯塚の手にはクリアファイルが握られていて、その中には数枚の書類が見える。間違いなく契約書類だろう。そう思うと、神原はより緊張していた。

 一つの部屋しかないオフィスには応接室はなく、神原たちはオフィスの端にあるパーティションで区切られたスペースに通された。四つの長机が隣り合うようにして置かれていて、その側には六つのパイプ椅子が並べられている。神原たちは、なるべく奥の席を選んで座った。

「少し待っててね」と言われても、神原たちにはその間することがない。何か話すこともできずに、神原は気まずい思いがしていた。

 それでも、数分も経たないうちに飯塚は神原たちのもとへと戻ってくる。一人の男性を引き連れて。

 紺色のジャケットを着たその男性は、神原たちよりも一回り年齢が上に見えて、神原は自分たちの前に現れた理由を推測する。

 飯塚とその男性は、入り口に近い席に座った。六人の間に、改まった空気が流れる。

「Chip Chop Camelのみんな。まずは今日来てくれてありがとう。俺たちのレーベルからデビューさせられること、俺としても嬉しく思うよ」

 話を切り出した飯塚にも、神原たちは小さく頭を下げることでしか答えられない。神原の緊張は、飯塚の声を聴いたことでより高まっていた。

「改めて訊くけど、ウチからデビューするっていうその意思は変わりないよね? ちゃんと親御さんの同意も得てきたんだよね?」

 念を押されるように飯塚に尋ねられて、神原たちは口々に返事をした。一人一人の意思を表明しないと、話は先には進まなかったからだ。与木もか細い声だったけれど、「はい」と頷いている。

 全員の意思を確認して、飯塚は小さく目元を緩めていた。

「分かったよ。じゃあ、これから契約書類を配るから。家に帰ってからでもいいからよく読んで、親御さんにも内容を確認してもらって、住所と生年月日、それに自分と保護者の署名を書いて、また郵送でここまで送ってね。それを俺たちが受け取ったら、正式に契約は成立するから」

 そう口にしてから、飯塚は神原たちに契約書類を配った。クリップで留められた数枚の書類に、神原は思わず目を落とす。本当は文面をこの場で熟読したいが、まだ飯塚が話している途中なのだから、それは避けるべきだろう。

 神原は一枚目に書かれている内容を、ざっと把握してから顔を上げた。四人の目が再び飯塚に向く。

 その中で神原は、飯塚の正面に座っている男性のことも気になって、度々視線を向けていた。神原たちの視線を踏まえたかのように、飯塚は口を開く。

「みんな、俺の前に座ってる人間が誰なのか気になってるよね? じゃあ、紹介するよ。彼は吉間(きちま)。君たちを担当する、いわばマネージャー的な人間かな」

「吉間知己(きちまともみ)です。よろしく」

 そう言うと、吉間は四人に微笑みかけてくる。でも、神原たちはやはり小さく会釈するぐらいしか、反応ができなかった。

 マネージャーという単語を聞いて、神原には本当にデビューするんだという実感がより湧いてくる。何でもかんでも自分たちでやらなければならないと思っていたけれど、どうやらそうでもなさそうだ。

「じゃあ、これからのスケジュールだとか詳しいことは、吉間に説明してもらうから。俺はひとまず自分の仕事に戻るね」

「は、はい、ありがとうございます」神原たちがそう返事をすると、飯塚は一つ頷いて、席を立って面談スペースを後にしていった。

 吉間と五人で残されて、神原たちは再び背筋を伸ばす。吉間の表情は、こういった状況にも慣れているかのように凪いでいた。

「じゃあ、みんな。改めて吉間です。もし契約することになったら、君たちのマネージメントを担当します。よろしく」

 どこか砕けた口調の吉間は、和やかな表情も合わさって、そんなに緊張しなくていいと神原たちに言っているかのようだった。

 それでも「よろしくお願いします」と返事をしながら、神原の緊張はなかなか解けない。面談スペースの雰囲気にも、一向に慣れなかった。

「じゃあさ、最初に訊きたいんだけど、みんなは飯塚さんからどこまで聞いてるの? これからどういうスケジュールで動くか、ちゃんと説明は受けてる?」

「い、いえ、まだほとんど何も……」

「そっか。まああの人そういうとこあるからね。もちろん全部は正式な契約が済んでからの話なんだけど、でも今言える範囲の説明は、俺からさせてもらうね」

「は、はい」

「まず今から契約したとして、デビュー作のレコーディングは早くても二月以降になるから。シングルなのか、ミニアルバムなのか、どの曲を収録するのかもこれから話し合って決めないとね。でもってレコーディングが終わってから、色々な作業を経て正式にデビューできるのは、一番早くても五月くらいになるかな。もちろん色々な事情が絡んでくるから、一概には言えないんだけどね」

「そ、そうですか」

「うん、そう。で、アーティスト写真の撮影だとか、デビュー作のジャケットの選定だとか、細かいところはその都度伝えていくから。もちろんCDを売るためにはプロモーションもしなきゃならないし、そこは拒まず協力してね。まあ、これも契約書に書いてあることなんだけど」

「は、はい。了解しました」

「うん。まあ、現時点で言えることはそれくらいかな。とりあえずは契約してから、一つ一つ決めていくって形になるから。で、どう? 君たちから逆に、何か訊いておきたいことはある?」

 反対に質問を求められても、神原はすぐに返事ができなかった。吉間の説明は、まだ契約していないのだから当然と言えば当然なのだが、それでも抽象的すぎて、神原には知りたいことはいくらでもあるのに、うまく言葉になってくれない。

「あの、一ついいですか?」言葉に詰まる四人の中で口を開いたのは、園田だった。「何?」と質問を促した吉間同様、全員の目が園田に向く。

「ライブってどうなってるんでしょうか? 具体的に私たちの次のライブって、いつ頃になりそうですか?」

 園田の質問は、神原としても訊きたいことの最上位に位置しているものだった。

 今のところ、まだ自分たちの次のライブはまったく決まっていない。ライブのことは、きっと四人ともが気になって仕方がないことだったのだろう。神原はそう与木たちの頷くような表情から察する。

「まあ正直に言うと、それもまだ決まってないかな。まず契約してくれないことには、話を進められないから。でも、ライブについては俺たちの方でもライブハウスに営業かけたりするから。デビューするぐらいの頃には、少なくとも一つは決まってると思うよ。今までの例からして」

 その返答は、現段階で吉間が言えることのすべてのように神原には思われる。自分たちはまだECNレコードに所属すらしていないのだ。

 だから、「分かりました」と言う園田に続くようにして、神原たちも頷いた。吉間は、淡々とした表情を変えてはいない。

「まあ付け加えて言っておくと、俺たちも万能じゃないからね。ウチは社員が少ないから、一人でいくつものミュージシャンを受け持っている状態だし、俺も君たち以外にも担当しているミュージシャンはいるから、君たちだけに注力することは正直言って難しい。こんなこと俺が言うのもなんだけど、レーベルの力はあまり当てにしすぎない方がいいと思うよ」

 吉間の補足がまるで言い訳や予防線のように聞こえて、神原は思わず顔をしかめそうになってしまう。何とか表情に出さずに抑えたけれど、本当にECNレコードが信頼に値するのか、神原にはかすかな疑問が芽生えてしまっていた。

「まあ何が言いたいかって言うと、売れるようになるのも人気を得られるようになるのも、結局は君たちの力次第ってこと。俺たちも当然そうなるように頑張るけど、いくら俺たちが頑張ったところで結局は、君たちの曲や演奏に魅力がないとなかなか難しいから。レーベルを頼りにしすぎずに、自分たちの力で売れてやる。そういった心意気がないと、悪い言い方になっちゃうけど、いくらデビューしたところで結果は目に見えてるからね」

 その言い方は厳しかったけれど、神原は紛れもない事実だと感じる。結局、売れるかどうか人気が出るかどうかは自分たちにかかっているのだ。飯塚や吉間が、自動的に売ってくれるわけではない。

「はい」と頷きながら、神原はよりいっそう気を引き締めた。自分たちの肩にのしかかるものの重さに、身震いがするようだった。

「じゃあ、他に何か質問はある?」再度吉間にそう訊かれても、神原たちは誰も何も言えなかった。CD等の売り上げの何パーセントが印税として自分たちに入ってくるのかなど、気になることは神原にもあったものの、それは一度契約書に全て目を通して、それでも分からなかったときにだけ訊けることだろう。

 だから、神原たちは「大丈夫です」と答える。分からないことは多かったが、それは追い追い解決していけばいいように神原には思われた。

 それからも吉間に簡単に今後の展望を聞かされ、名刺をもらうと、神原たちは「今日はもう大丈夫だから」と言われて、事務所を後にするよう促される。神原たちも、あまり長居をしたら迷惑だろうから、吉間の言うことを受け入れた。

 書類をスクールバッグに入れて、「ありがとうございました」と事務所を後にする。

 ビルを出たとき、神原たちは四人とも大きな息を吐いていた。事務所に滞在している時間は思っていたよりも短かったものの、それでも緊張しっぱなしだったことには変わりない。

 いつの間にか日が沈んで暗くなった道を、神原たちは話しながら帰っていく。時折冷たい風が吹いて、神原は小さく身体を震わせていた。


(続く)


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