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共産党という先入観
私は共産党支持者ではありません。 しかし、選挙で候補者を吟味した時に選ぶ人間は、国政、県、市を問わず大概共産党の候補者となる。 立候補者の人間性や政治にかける思いに目を向ければ、自ずとそうなるんですね。 しかし、選挙の度に耳にし、この度の知事選においても必ず聞く言葉は「共産党だからダメ」ということだ。 直接その言葉を聞ける時は問いかけてみます。 なぜ共産党の人間ならばダメなのかと。 帰ってくる言葉といえば、 「共産党はダメにする」 「めちゃくちゃにする」 「反対しかしない」 と言ったものばかりで、あるいは沈黙である。 説得力のある意見は全く聞きません。 何をどう滅茶苦茶にし、ダメにするかの明確な指摘はなく、反対ばかりだというのは野党の専売特許であるにもかかわらず、その様な先入観ともいえる考えで一蹴してしまうのは余りにも残念なことではないか。 (特に安倍党 [世間では自民党とも呼ばれる] においては反対すべき事柄が多すぎるだろう) 加えて言えば、憲法を破壊、形骸化し、日本を滅茶苦茶にしているのは安倍党の方ではないか。 ここでいうその先入観に捉われている国民は、自らが「主権者」であることを認識し、そのことにしかと気づくべきである。 そして、ひと昔前からの高知の政治を知る人がいう事であるが、 それは「山原健二郎さんは素晴らしかった」ということである。 山原健二郎さんは紛れもなく「共産党」。 おかしなことをいうもので、それは共産党でも良い人は良い人だと言っている事ではないか。 だから私は言いたい。 この知事選において、強い志を持って挑んでいる人間はどちらであるのかをよく吟味し、我々高知県民の代表として選ぶべき「一人の人間」を見抜くべきであると。 また、国政と県政は違うとか国と県のパイプはしっかりとあった方が良いという意見。 国と県のトップががっちりと組み合っていれば、県は国の言いなりになる恐れが多い。 地方創生、地方分権が問われる昨今、しっかりとノーを突きつける事ができる人間が県のトップには相応しいのではないか。 沖縄をみればそれがよく分かる。 仲井眞氏は国に負けてしまったが、翁長氏や玉城氏のように国に県を決して受渡さない力強い知事は県民にとってとても頼もしいものである。 共産党だからといった先入観だけに捉われた愚直な思い込みは捨て、県民を守る姿勢を貫く人間を見極め、その人を我々のリーダーに選ぶべきである。 松本けんじ氏は、次の山原健二郎の様な存在となれるのかもしれない。 その様な思いをもって私は彼を応援しています。