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未来は僕等の手の中

先ずはじめに、小熊英二氏の著書「誰が何を論じているのか」より、まえがきの一文を紹介したい。

「 今も昔も、『政治とは 遠きにありて 思うもの』という姿勢の人は多い。それ以上のことをする余裕がない人の方が大部分だろう。しかしそれでは、日々の動向にふりまわされ、追われるだけになってしまう。余裕がないから全体像がつかめず、全体像がつかめないから余裕がない。その悪循環から抜け出すには、多少面倒でも、やはり学ぶしかない 」

この文章に、今回記したブログ全体の意味が凝縮されているように感じますので、これを念頭に読み進んでいただければと思う。

昨夜 (12月4日) 行われた官邸前大行動のデモ参加者は 1,000人であった。
https://twitter.com/akahatakokumin/status/1202178407267622912?s=21

平日の夜であったことや情報の周知具合などがどうであったかなどを考慮すれば、より大規模で行われる難しさはあったのかもしれないが、「桜をみる会」や「日米FTA」の問題などから鑑みても、やはり日本の民意は低いと言わざるを得ないのが正直なところではないだろうか。

そして、そのような折に飛び込んできたのがこのニュースである。

「国や社会を変えられる」と思う若者は5人に1人
https://news.tv-asahi.co.jp/news_economy/articles/000170681.html?fbclid=IwAR1e6HSZMVe-RNA24N80uaU3j3xXaahnN5o18h0M5h4qLBgomOYI4719NKg

これは明らかに日本の教育の弊害が顕著に現れているものであるといってもよく、政治、社会等の教育において、確固たる主権者教育が行われていないことを強く示唆しているのではないだろうか。

昨日書いたブログでも触れたことであったが、

「権利」は僕らの手の中
https://note.mu/1924uz_man/n/nb7b03eeb98e8

現在の国民の多くは、労働や家事、介護等、様々なことに追われる日々と、余暇においては娯楽への没頭にどっぷりと浸かりきり、主権者としてのそれは「思考停止状態」にある。

( 厳密にいえば、その殆どは動いていたものが止まった訳ではないと思われ、「思考未開始状態」とでも言った方が良いのかもしれない )

そして、勿論それに対する自己認識は殆どないものであろう。

大変失礼な話ではあるかもしれないが、認知症を例えにすれば、完全にボケてしまえば、自分がボケていることは認知できない。

これは、いわゆる「平和ボケ」に対しても同じようなことが言えるのではないか。

増税や負担増に対する不平不満を洩らす割には、選挙等、政治参加への真摯な向き合いもなく、近年の自衛隊の動向にも懸念を示さないにも関わらず、自らは決して平和ボケではないと思い込んでいる、そんな国民が大多数であると思われる。

( 投票率や投票がもたらす結果が示す内容からみれば、それはよく分かることだ )

自認なきそれは完全なる平和ボケである。

日本が抱えている深刻な病とも言ってもよいこの社会状態は、その教育によって意図的に創りあげられている「愚民化政策」であるといっても良いのかもしれない。

愚民だろうが何だろが関係ない、自分達さえよければいいと各々の事しか考えない者もいるだろう。

しかしそれは、子供達や後世の時代にとって無責任極まりない態度である。

今現在の行動が未来を創るというのは当たり前の事であるが、政治や社会に無関心を装うことは、子供達が大人になった時の社会がどうなっても良いという無責任な態度である。

もし、無関心層の中にも子供達のことを本当に思うの者がいるのであれば、現状は少しでも変えていくべきであるし、もっと社会に目を向けるべきはないか。

いわゆるネトウヨと呼ばれる反知性的な者達が蔓延している今の世の中ではあるが、彼らは彼らなりに国をみている。

そのような視点から考えれば、無関心層の罪は重すぎるとも言えよう。

日本のこの病理を正すために、無関心層を一人でも無くすべく、現在の教育のあり方を改善していくための最善の術とは何かを考え、私達は一刻も早く、この問題に対する手を打っていかねばならないのではないか。

極論ではあるが、この現状が続く限り、日本社会は希望なき未来への一途を辿るばかりであるからして、主権者としての権利を行使する気がなければ、そのようなものはいっそのこと捨ててしまい、中国共産党のような一党独裁制の専制政治が行われる国とし、選挙なども一切行われないようにしてしまった方がまだ潔い。

( 主権者としての権利の代表たる最もは選挙権であるが、その権利を手にする為、香港の若者達は命を賭しているというのに、日本の有権者の半数以上がそれを放棄しているという事実は全く持って不甲斐ないとしかいいようがない )

人は、無くしてから初めてその権利の価値に気づき、心の底からの声を上げ始めるのかもしれない、そのようにすら思うのである。

「権利」は今、私達の手の中にある。

それを生かすのも殺すのも私達次第である。

未来への希望を捨てず、本気の主権者教育が行われるための行動を、先ずは身近な場所からはじめようじゃないですか。

現在の余裕なき社会を築いてきたのは紛れもなく、私達より上の世代と政治との関わりであることはしかと心に受け止めておくべきだ。過去が今を創り、今が未来を創る。国民の政治への真摯な向き合いなくして、良い未来を創ることは不可能である。

#主権者 #教育 #民主主義 #未来

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