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2022年10月 読書記録 娘が見た太宰治、青空文庫など

 noteで紹介するために、本腰入れて青空文庫の作品を読み始めました。10月に読んだのは7作品。そのうちの2作品をここで取り上げます(残りは後日、個別に感想を書く予定です)。

島崎藤村『桜の実の熟する時』 

 島崎藤村は、村上春樹さんが選ぶ国民作家リストに名前が挙がっていたので、代表作以外も読んでみたのですが……この小説、『破戒』で有名になる前の習作? と思いながら読んだのに、実は中期の作品。その割に、まとまりがなく冗長でした。『夜明け前』も二度挫折しているので、藤村の文体が合わないのかな。
 主人公は鬱屈を抱えているのですが、それが何なのかよくわからない。女性と親しくなることに抵抗がある? 親しくなりたくないのに、女性を意識してしまう? 最後のあたりでは、教師なのに女子生徒に好意を抱いてしまう……まあ、このことに罪悪感を抱くのはわかりますが。その気持ちと向き合うこともなく、教師を辞めて旅に出る話で小説は終わります。『破戒』といい、逃走癖のある主人公だなと思いました(こちらは、『破戒』とは違い、ほぼ藤村の自伝らしい)。
 ただ、説明部分が長い分、当時の商家の様子やキリスト教主義の学校(明治学院)の雰囲気などはとてもよくわかりました。明治期の風俗を描写した小説としては面白い。情景描写は、漱石や鷗外よりうまいかも。


佐藤春夫訳『現代語訳 方丈記』

 鴨長明の『方丈記』を佐藤春夫が訳したものです。一度読み直したい作品だったので、青空文庫に佐藤春夫訳があると知って、早速ダウンロードしました。癖がなく、とても読みやすい訳です。
 天災との向き合い方。今も昔も変わらない部分と、今よりはるかに過酷な部分。日本人って、昔から諦念と共に生きてきたんですね。
 リスボン地震の後に書かれたヴォルテールの『カンディード』と読み比べると面白そう。


 青空文庫以外の本は4冊。

プルースト『失われた時を求めて』 第2篇 花咲く乙女たちのかげに 第1部 スワン夫人をめぐって

 第1篇で、高級娼婦のオデットにさんざん振り回されたスワン。第2篇では二人は結婚しており、娘もいます。優雅な趣味人だったスワンが、外見だけが優雅なオデットの低俗な生活に慣らされて、結構楽しそうに暮らしているのが、可笑しい。結婚する相手によって、人はここまで変わってしまうのだなぁと考えながら楽しく読みました。風流な話題からコメディまで、一冊で様々な描写が楽しめる作品です。


カズオ・イシグロ『日の名残り』

 これも、私が好きな諦念文学の一つ。一見、正統派の英国小説なのに(貴族、マナーハウス、執事等)、東洋的な色彩を感じさせます。確かイシグロさんは五歳の時に渡英して、日本語は通訳が必要なレベルなんですよね。それなのに、東洋的な思想である諦念を描けるのがすごい。私は日本人なので、「諦念文学の一つね」程度の受け止め方だけど、欧米人は「何と美しく繊細な作品だ」と感動したのではないでしょうか。
 仕える者、自律的な生き方ができない者の諦念。森鷗外にも通じるテーマだと思ってネットを調べたら、評論家の方もそう書いていたので、外れた読み方ではないみたいです。現代のノーベル賞作家と読み比べができるなんて、鷗外はやっぱりすごい。


塩野七海『ギリシア人の物語Ⅱ  民主政の成熟と崩壊』

 過去の話を安易に現在に結びつけてはいけないと思いはするものの、ギリシアが滅んでいく過程を書いた巻なので、民主主義、デマゴーグといったことを考えてしまいます。「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」という松浦静山の言葉が浮かんできました。
 ところで、塩野さんは古代ギリシア・ラテン文学者の呉茂一を慕って学習院大に進学したそうです(昔の文学全集に入っているギリシア作品はほぼ全部呉氏の訳)。そのせいか、この巻に出てくるギリシアの劇作家やソクラテスの説明がとてもわかりやすいです。哲学嫌いなのに、プラトンを読みたくなりました。


津島佑子『火の山 山猿記』

小説として  作者の母方の一族の歴史を虚実交えて書いたもの。作者の叔父がメインの語り手になっています。いかにも理系男性が書きそうな、社会状況などには深い理解があり、人の心理には疎い文章でした。戦後、アメリカに移住した人なので、アウトサイダーから見た日本という国も語られる……けど、その部分が今となっては古びてしまっているかな。私の祖母と同世代の人が書いた体をとっているので、そうなるのは仕方ないのだけれど。間に挟まれる作者の母親(太宰治の妻)の日記部分や、最後に書かれる一族の女たちが弟に乗り移って語り始める部分がとても素晴らしいので、全部女たち視点の話にして欲しかったです(その部分を読んで、以前柄谷行人さんが津島さんと中上健次さんを並べていた理由がわかりました)。

娘が見た太宰治  太宰がモデルの杉冬悟という画家が登場します。太宰の妻の一族は、父親が学者だったこともあり、芸術全般が大好きなんですね。特に長男は東大の医学部に入学して、第二の森鷗外を目指していました(医者をやりながら小説を書くということ)。それなのに、その長男と次女、父親が短い間に次々と死んでしまう。皆が寂しくて落ち込んでいる時に、新進の芸術家である冬悟が現れます。一族の人たちは、冬悟が兄の生まれ変わりであるかのように感じて、彼を仲間の一人として受け入れるのです。この部分は、事実なんだろうなと感じました。妻の妹弟たちの温かさ、優しさ、傷のある冬悟を何の躊躇いもなく受け入れる無垢な信頼。太宰の中期の小説は、この明るく楽しい雰囲気の中で書かれたのだと思います。
 それだけに、その後の変遷が悲しい。愛し合っているのに傷つけ合ってしまう夫婦、暴力的に奪われた父親……。太宰治に興味のある方はぜひ読んでみて下さい。


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