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2023年8月読書記録 17世紀のメタフィクション、子規の弟子

 今月は村上春樹さんの小説をまとめ読みしました。『ダンス・ダンス・ダンス』〜『アフターダーク』までの長編と、初期短編集『カンガルー日和』『回転木馬のデッド・ヒート』。これで長編は全部、短編も八割ぐらい読んだかな。村上さんの作品の感想は、また別に書く予定です。
 それ以外では、三つの作品を読みました。

セルバンテス『ドン・キホーテ 前篇』(牛島信明訳 岩波文庫)

 『源氏物語』を読むたび、千年以上前の作品なのに、これほど共感できるなんてと意外の念に打たれます。
 海外の作品だと、私にとって共感できる&読んで楽しい最古の作品は、シェイクスピアの戯曲とこの『ドン・キホーテ』です。前編は1605年に出版されました。関ヶ原の戦いが1600年ですから、源氏ほどではなくても、古い小説ですよね。
 主人公のドン・キホーテは騎士道物語にハマりすぎて、物語に書かれたことが全部本当に起きたことだと思い込んでしまいます。魔物退治やら、騎士と姫のラブロマンスやら。そして、自分も騎士として活躍するために、放浪の旅に出ます。並び建つ風車を見て、巨人の群れだと思い込むドン・キホーテ。従士のサンチョ・パンサは「あれは風車だよ」と思いながらも、手柄を立てたら、お前に島をやるという主人の言葉を信じて、ドン・キホーテに付き従うことになります。
 夢想家のドン・キホーテと、つましく生きる常識人のサンチョ・パンサ。二人の会話やキホーテの妄想に巻き込まれる人々の描写が楽しい作品ですが、去年メタフィクションについて書いて以来、この小説のことが頭から離れなくなり、前編と後編で6巻は長いと思いながらも、読み直してしまいました。
 メタフィクションとは、「小説というジャンル自体に言及・批評するような小説のこと」です。ポストモダン期に生まれた概念ですが、それ以前、特に小説というジャンルが確立する以前に書かれた作品には、メタっぽい雰囲気のものが多いです。
 『ドン・キホーテ』もその一つで、特に後編はメタフィクションの名作として有名です。
 続編の方が名作な作品って、映画ではたまにありますよね。『ターミネーター』や『デスペラード』など、予算が増えたために(個人的には『ゴッドファーザー』も2の方が好きです)。
 でも、小説では滅多にない…『ドン・キホーテ』は、その滅多にない作品の一つです。作者のセルバンテスは、金銭問題で二度投獄されたほどに貧乏な人なんですね。そのため、それまでに書い短編とドン・キホーテを主人公とする話を繋ぎ合わせて作品を作り、版権を売って家計の足しにしました。それが『ドン・キホーテ 前編』です。
 そんな事情なので、前編はキホーテの話よりも、様々な事情で引き離された男女が困難を経て結ばれるといった脇筋の方がメインになっています。あまりにも脇筋が多すぎるのが、続編に劣ると見做される理由でしょう。
 ただ、メタフィクションらしさは、前編にもあります。セルバンテスは、騎士物語を愛しながらも、あまりにも荒唐無稽な作品には批判的だったみたいです。ともすれば荒唐無稽になりかねない騎士物語というジャンルを、作中人物の言動によって批判するーーその点で、小説批評のための小説、メタフィクションになっています。退屈と見做されがちな脇筋も、当時のスペインの状況を知らない私には物珍しく読めましたし、後編への期待が高まる前編三冊でした。



田辺聖子『文車日記』(新潮文庫)

 戦前日本の小説を読むようになり、日本の古典の教養が欠けていることを痛感しました。古文の授業は好きだったのに(現国はあまり好きではなかった)。
 ということで、学生の頃に『源氏物語』の現代語訳を愛読していた田辺聖子さんの古典エッセイを読んでみました。
 錆びついた古典教養にカツを入れたいと思ったのですが、タイトルさえ知らない作品が続々登場。面白そうだとは思うものの、現代語訳がないものも多そうだし、「面白そう」で終わってしまうんだろうな。
 


青空文庫は一冊だけ。

内藤鳴雪『鳴雪自叙伝』

 前に新選組の話の時に書きましたが、内藤鳴雪は、私にとっては「新選組隊士の原田左之助に遊んでもらった子ども(後年、史談会で左之助の話を語る)」でした。
 実は、正岡子規の俳句の弟子で、夏目漱石とも面識があり、『吾輩は猫である』の登場人物のモデルにもなったと知ったのは、かなり後のことでした。

 さて、フォローしている檸檬音度さんが嵐山光三郎さんの『追悼の達人』というエッセイを読まれていました。日本の文学者たちが亡くなった時に、どんな風に追悼されたかを書いた本なのですが、気になって少し立ち読みしてみました。亡くなった年代順なのか、最初は正岡子規が登場します。
 子規は三十四歳で亡くなるのですが、闘病期間が長かったこともあり、悲劇的な雰囲気にはならず、弟子や知人は追悼句で子規を見送りました。様々な句が出ていましたが、内藤鳴雪の句が一番よかったです。

下手な句を作れば叱る声も秋

 正岡子規は九月に亡くなったので。
 俳句のことは全くわかりませんが、人がいる景色を詠んだ句が好きです。

柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺

のような。情景が浮かんできますよね。鳴雪の追悼句も、生前の子規の姿が偲ばれる句だと思いました。
 そこから興味が湧いて、鳴雪の自叙伝を読んでみたのです。1847年(弘化四年)に生まれ、1926年(大正十五年)に亡くなった方なので、幕末〜大正までの長い期間が舞台です。圧巻なのが、幕末の話でした。伊予松山藩という、佐幕派ではあるものの、大した活躍もせずに終わった藩で、文学好きの若者がどのように暮らしていたのかが生き生きと語られています。
 幕末期には、日記や覚書を残した人も多いのですが、漢文なので、誰かが翻訳してくれないと読むことができません。その点、この自叙伝は大正時代の聞き書き(多分)なので、スラスラ読めます。記憶力もいい。幕末〜明治の生活史・文化史に興味がある人には必読書かと。逆に、俳句の話は、存命の方々に気を遣っているのかな。それでも、既に故人となった子規の話はかなり詳しく、高浜虚子や河東碧梧桐など他の松山出身者も出てきます。突然秋山好古の名前が登場したりもして、松山に行ってみたくなりました(関西出身なのに、四国本土への上陸経験なし。小豆島には行ったけど)。



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