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カタチを超えた本質

先日は武術家(総合武道研究会・玄武館)にして、施術家・ヨガ指導者の岡部武央さんの「ヨガと瞑想」のレッスンを受けてきました。

岡部武央さん

今回は2度目の体験…
個人的な感想として、岡部さんのヨガは「日本で一番スローなヨガ」と言えますね。

たくさんのメニューをこなすのでなく、ひとつのポーズ(アーサナ)をゆっくり、そして丁寧に行います。

例えば捻るポーズ…

単にストレッチするだけなら、可動域の最大限までいって、少ししたらポーズを変化させますよね?

しかし、そこからが本番。

しばらくステイして、ただただ呼吸と内観。
すると皮膚や筋肉でなく、内臓が動くのを感じられるのです。

そして更に捻るポーズのバリエーション…という流れで、ひたすら内観し続けるという内容。

全ての流れが、瞑想そのものになっています。

外側のカラダ(クルマで言えば車体)を静止させても、内臓という内側(エンジンやモーター)は動いているのだから。

ひとつのポーズを深く瞑想状態にまでするには、それだけゆっくりと行う必要があります。

逆に多くのポーズを駆け足で行うことは、外側の運動にしかならないのです。

これは武術で言う外動・内動(もしくは内功)の違いに似ている…といえるでしょう。  

ヨガは私の理解では、より健康に生きる為の智慧。

様々なポーズや動きは、あくまで手段でしかありません。

腸を整えたり、循環を良くしたり。

カラダの反応を感じながら、ココロの動きそのものを観察していると…

そのうち呼吸だけになって、観察すら忘れて…眠気と覚醒の境目に辿り着くのですね。

もはや、重力とカラダと空気しかない世界に没入。最高に気持ち良いのです。
(睡眠障害に悩む方には、是非お勧めしたい!)

⬇️は初めて岡部さんのヨガを受けた時の感想です。

ヨガだけでなく、全てに通じるけど…日本人は何事も型から学びますよね?

型はとても便利で…型によって、昔から受け継がれる文化を体得出来るわけですが。

学ぶべき世界に辿り着く「道標」という利点がある一方…

型を学ぶことそのものが、目的化してしまうという面も。

今の世間のヨガは、フィットネス的な運動として普及しており、それも悪いことではありません。

ただ肝心なのは、型を通して中身を磨くこと。

中身は外から見えにくいし、型だけでもそれなりの効果がありますから。

型そのものが重要視されマニュアル化され、本質が置いてきぼりに(それがビジネスになる面もあり)なったり。

だからこそ、本質を伝える指導者は貴重なのです。

実は12年前…柔芯躰メソッドの指導を始めた時、最初に支持してくれたのは、ヨガやピラティスの指導者達でした。

レッスン指導の際、自分の得意なポーズばかり行ってしまい、カラダのバランスを崩したインストラクターさん達が参加してくれました。

彼らに大腿骨の角度や骨盤のカタチ、肩甲骨の付き方など、個々の違いを指導したことで…

指導者である自分には難しいポーズなのに…初心者の生徒が簡単に出来てしまうポーズがあるのは何故か?という疑問に応えられたからですね。

私自身は昔、合蹠のポーズが苦手でした。
180〜200度開脚は、寝起きでも余裕で出来るのですが…

合蹠のポーズは大腿骨の角度や骨盤、腰椎のカタチでやり難いものでした。だから「苦手なもの」と諦め、後回しにしていたんですよね。

自分の体質に合わせながら、皮膚や体内の水分を動かして、骨を整理するイメージでストレッチしていたら…40歳過ぎてからセルフで額が床に着きました。

50歳過ぎてからは鼻が着き、顎もつく様に…全て人のサポート無しのセルフです。

合蹠のポーズ
合蹠のポーズ

初めて岡部さんのヨガに参加した時には、胸も着きました。

カタチを追わず中身にこだわるからこそ、カタチがついてきたわけですね。

内側から外側にエネルギーが表出したということ。

☆カタチには「型」と「形」がありますが、ここでは「型」と表現します。意味については⬇️をご覧ください。

ダンスでも、技術を修得するには、型を学ぶことから始めるわけですが…

反復して身についた上手な動きが…実は単なる動きでしかない、ということがあります。

それは果たしてダンスなのか?
というと、私的には「ダンス運動」と認識しており…ダンスと=とは考えません(もちろん広義のダンスとは言えますが)。

ダンスの本質は、内側のエネルギー(衝動や感情など…)が外側に表出した動きのアートだと思うわけで。

振付はあくまで台本のようなもの。セリフも棒読みでは伝わりません。

感情やココロがあってこそ、活きたコトバになるのです。

ダンスの振付は、ダンスそのものではありませんからね。

発展と普及に伴うダンスの在り方が、特に日本では型によって評価される様になりました。

ダンスが上手い=動きが凄い、という風に…

進化は進歩と違い、「プラスの進化」と「マイナスの進化」に分類されるもの。

モダンダンスの創始者と言われるイサドラ・ダンカンさんは、コルセットやトゥシューズを脱ぎ捨て、バレエ音楽でなく当時のポップミュージックで、自由に踊ったのです。

本当の意味での、フリースタイルダンス(現在のストリートダンスのフリースタイルではない)ですね。

彼女はモダンダンスを踊っていたのでなく、彼女自身のダンスを踊っていました。

正に内在するエネルギーを、動きで溢れさせた、純度の高いダンスだったのでは?と推測出来ます。

イサドラダンカン女史

後にモダンダンスと呼ばれる現在の型を、イサドラダンカンさんが目にしたら…どんな感想を抱くのか?

普及するには型が必要…
しかし型は、あくまで結果であり本質とは違う…

難しい矛盾と言えるでしょう。

長年訓練して、技術も高いのに…即興で踊れないダンサーはたくさんいます。

即興で踊れない人が、振付という台本を自分らしい踊りに色付け出来るでしょうか?

もちろん、その逆もあって…
基礎や技術が無いと、自由な様で不自由にしか踊れません。

40年間プロとしてダンスに関わってきて、基礎や技術は自由を広げてくれるもの…と、私は認識しています。

さて、新ためて「カタチ=型」とは何か?

武術には「無構え」というコトバがありますが、これは「自然体」にも通じる…「カタチの無い構え」と言えるでしょう。

呼吸はカラダとココロを繋ぐ、根源的動き。

息そのものにカタチはありませんが、実態として確実に「在る」もの。

ダンスもヨガも…自分の内側を、外側と繋げるものと考えています。

目を閉じて深い呼吸でヨガをしていると、勝手に瞑想状態に入るので、意識のある入眠状態というか…本当に気持ち良くて。

瞑想を観念で小難しく考えるから、本質からズレちゃうのです。

周囲の環境とカラダ(表層と深層)、ココロが繋がって、自分という殻が溶けていく感じは、実に心地良いもの。

北米大陸の先住民が、スウェットロッジで瞑想を行う独特な彼らの文化も、目に見えない世界と繋がり自然と一体化する為でしょう。

瞑想は、ダンスを踊っている時の「空腹を忘れるほど心地良い状態」と似ていて…

あるのは、動的か静的かの違いだけ。

ステージ上で踊る本番は、更に深い集中状態になっていて、ゾーンの感覚は現役中ずっと体感していました。

私達は「ネイティヴヒューマン」なのだから、そもそもネイティヴな存在であり…

ネイティヴと表すのは、大陸の先住民の専売特許ではありません。

ダンスやヨガ・瞑想は、私達の内なる自然を取り戻す行為だと思います。

⬇️はサカナクションの「ネイティブダンサー」。サウンドは思い切りデジタルだけど笑。私は好きですね。これもネイティヴだから。

何故なら?

赤ちゃんが胎内で聴く音って、テクノミュージックやトランスミュージックそっくりだそうで…赤ちゃんが泣き止むのは有名です。

だからこれもネイティヴなカルチャーといえるでしょう。

さて、ヨガをした日はいつも完全な爆睡で…夢見も良く、質の高い睡眠を得られます。

岡部さんの指導は、自我の圧が無く…導師(グル)イズムが感じられないので、それも素敵なんですよね。

この点は護道の廣木道心さん、TAOスキルの葛西康介さん(すーさん)にも通じます。
☆導師(グル)イズムは、すーさんに教えてもらいました。

導師(グル)イズムは、導師が教祖化してしまい、導師にとっての正解を正解としてしまうので、導師のエゴが表れてしまうもの。

エゴはナビする声に必ず表れます(メンター依存が強い人は信者になりやすく、似非スピやカルトのカモですね笑)。

先生を「演じよう」とする人の無理してる感は、痛いだけ。

素直に自分を晒している人は、指導者として良い在り方だと思いますよ。

人間誰しもミスするし、完璧主義で息が詰まるレッスンでは、参加者がリラックス出来ません。

楽しさは人生に凄く大切なこと。
芸事の上達も本気で楽しむことが肝心です。

楽しさを追求しながら自分らしさを見つける場が、一番成長出来る環境だと思いませんか?

TRY ANGLEは、私がやりたかった「人を励まし・楽しく成長する場」として立ち上げました。

10月29日の葛西康介さん(すーさん)、とのコラボセミナーin横浜⬇️

11月11&12日の岡部さんとのコラボセミナーin富士宮⬇️

共に「自分自身と仲良くなる」セミナーです。

私達に会いに来ませんか?
元氣が満ち溢れること、間違いありません!

⬇️に岡部さんの書籍をご紹介しますね。とても濃い内容で読み応えあります!

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