見出し画像

卵顔の女

卵顔の女を知っているか、いやいや、そうじゃないお前の生活圏三km以内の、鼠の縄張りよりも狭苦しい、ごく限られた世界にいる、のっぺりとした顔をなんとか化粧で立体的に誤魔化している、つまらない人間の女ではない。
おれが言っていることは、本当に卵の殻のかんばせをもった女のことだ。
なんでも、鶏卵と同じ成分の、炭酸カルシウムと諸々のもので作られた女の顔は、なうての占い師が、両手で念波を送り、運命の女神に少しだけ未来のヴェールを翻してもらい、枝葉のように伸びた、一部分の可能性の未来を盗み見るのに、丁度いい水晶玉と同じくらいの大きさの……なんだと、例えが分かりにくいだって、世にも摩訶不思議で、神通力やら呪いやらを宿す物体は、身篭った神秘やら、「氣」の対流に耐えられるように、大体がそれぐらいの大きさなんだとよ。
なんでもそれが一番、常人の手で触れられるただの物体が、目にも見えない、常人に感知できない、常識の効かない力の影響に耐えられる黄金比の質量なんだと。
それから顔の裏側に、│希臘語《ギリシアご》で卵を意味する文字が刻まれているらしい。
そうだ、蓬莱の崑崙山に生える反魂樹を不死鳥の尾羽で燃やし、その灰を月の変若水で煉り、玉と金の香炉の中、千年消えずの大火で、粘土の体を固められた│胎児《ゴーレム》が、生みの親のラビによって、│emeth​《エメス》​────つまり真理と額に刻まれるように。
雛の孵化後のように、眉間から鼻筋、口の右端にかけて亀裂が走っているらしい。
その隙間に燕の涎にも満たない雨水と、妖精の瞬き程の日光が注ぎ込んで、零れ種が芽吹いたように、ネモフィラやら、アネモネやら、デージーやら、柔らかい早春の色の花を咲かせているらしい。
中に土でも入っているのか、と隙間をそっと覗き込んだ者がいるらしいのだが、白い珠のような顔に走った亀裂の中身は、ただひたすら一筋の闇らしい。
あるものは、塵溜めの隅を見て、あるものは、本棚の裏の埃の溜まった影を見て、あるものは己の深層意識の裏側を覗き見て、あるものは狂気が満ちた宇宙の雛形を見たらしい。
それから、女の顔に質問すれば、女が興味を持ったことなら、なんでも答えてくれるらしい。
伏し目がちに綴じられた女の瞳が、朝日の女神の微笑みのように、海面から静かに登ってくる太陽のように、音もなく開かれるのが、その合図なのだと。
瞼や瞳孔、虹彩に至るまで何もかも美しい、人の女と同じ形ではあるが、ぢっと見ていると山羊の瞳の中の黒が、どこを向いても同じ形で、悪魔が宿っているのだ、と気づいた時のように、異質なものに感じられるらしい。
だがなぁ、この世の真理や成り立ちを知りたいあまり、人の営みを全て捨て去り、苔の水分と松脂を舐めて生きているような仙人地味た│杣人《そまびと》の、アイロンでも伸ばせないような眉間の皺がよった質問には興味はそそられないのか、一切答えず、そこらの主婦が言った、今日の献立はどうしたらいいのか、というものには、家族の人数やら、材料分の金やら、持病やら味の好みやら、誰かの口に入れば│蕁麻疹《じんましん》の出るものは避け、栄養の偏りやら、それらを全て知った上での完璧な回答をしたのだと。
何だかねぇ、そんな人智を超えた存在には、この世の真理だか成り立ちだか何だかの答えは、言い飽きたものかねぇ。
いや、おれが聞いた話では、人を小馬鹿にする表情をして、「絶望を│齎《もたら》すものだろうが、希望に包まれるものだろうが、人の心が納得するのに、都合のいい真理など、はなから存在しない、全てはあるがままそこに在るだけだ。」と喋ったというぞ。
質問したものは、なんでも│黴《かび》臭い書庫に、丸い背中を│蹲《うず》めたまま生きていた、背も気骨も小さい、哲学に│齧《かじ》り付くだけでなんとか正気を保っていた者のようだが、顔の答えに絶望して、大量に睡眠薬を飲んだかなんだかで、愛読書に突っ伏して死んだらしい。
話を戻すが、頭の後ろに希臘語で卵、と書かれているのは何故だろうね。
そりゃお前、作ったやつがこれは卵だって、言い張りたかったのだろうよ。
卵で出来た女の顔から、花が咲いているとはなんとも、錬金術師が焦がれる│神秘の薔薇《ローザ・ミスティカ》じみてるじゃあないか?
ふん、それは浮世離れにしがみついても、肉欲は削ぎきれなかったひひじじいをベッドの上で慰めるための女の別名じゃないか。
はは、お前そこはせめて、実用的な│回春術《シュナミティズム》と言ってやれよ。
はっ、熱と潤気を移し貰って英気を養うより、穴も使ってやった方が……
まぁ、そのままなにかの生き物が孵化するまで、世界から隔離し閉ざす卵─いや、卵子って意味でもあるのじゃないのか。
はぁ、もしかしたらその気味の悪い女の顔を水晶柘榴のようにぱっくり割っちまえば、世の全ての生物根幹の、螺旋網の事細かい情報が、覗き出来るとでも言うのかね。
そりゃ、凄い。アカシックレコードと看板を下げた大図書館の門をくぐれるじゃないか。
待てよ、もしかしたらぱっくり喰われちまうのかもしれねぇぞ。
人がちまちま解いていくしかない問の答えを、それこそ、この宇宙の質量分の全てを、気に入ったなら与えてくれるような、全く訳の分からないおっかない奴だ。
人の存在を根底から揺るがす言の葉を、│朝靄《あさもや》の中の小鳥の囀りよりべらべら安っぽく喋り歩く、そんな曰く付きのものには、何かしら禁忌を封じる為の錠と鎖が巻きついているんじゃないかね。
それよ、見たところあの卵女に何をしたら逆鱗に触れるか分からねぇもんだ。
いいやなんでも、あるものは、女の顔に対のものはいるのか、と聞いたらしい。 そいつは、この世に男と女、月と太陽、善と悪、物事は全て、なんでも陰陽が如く二極化していると思い込んでいたやつだから、この女の顔にも、地獄に落ちた亡者の裁判に使われる│人頭杖《にんとうじょう》と同じようにして、正反対の属性を持ちつつ、存在の根本としては同じものがいる、と思ったらしいのだな。
牝鹿のほんの膨れた腹とおなじ分量の好奇心と、それに乳をねだる小鹿のようにしてすり着いてきた出来心から発された質問は、女の顔にとって、とてつもない侮辱だったのか、それを口にした瞬間に、女はとんでもない絶叫をひり上げて、質問者の鼓膜を破ったらしいのだ。
おれが聞いたのだと聴力どころか、自分の中に詰まった血液が、│世界に対するたった二つしかない小さい窓《まなこ》から吹き出され、光を奪って、永遠の闇の中に閉じ込められたという者もいる、というぞ。
へぇ、そりゃ恐ろしい。
いやはや、女が鍵、男が錠とは、恐れ入る
女が突き刺す方で、男が受け入れるほうなのかい
体もないのに頭だけで完璧な答えを用意しているのだから、重さの割に中身のない頭を支えるのに、分不相応な体が必要な人の理とは、逆なのかもしれぬぞ
文字通り、抜き差しならぬ関係なのかねぇ
へへへへへぇ……

眇(Squint)
貴方の知りたいことは一体なんでしょう。
忠告ですが、神にこの世の全ての真理を知りたいと願い、無事に成ずしたものは、退屈によって自ら死を選んだと聞きましたよ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?