今井清賀

若手お笑い芸人を応援しています。 また70年代音楽シーンとサブカル、社会風俗をこよなく…

今井清賀

若手お笑い芸人を応援しています。 また70年代音楽シーンとサブカル、社会風俗をこよなく愛する「昭和な」男です。 時々いけばなについて書くこともあるかと思います。

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最近の記事

京都南座三月花形歌舞伎『女殺油地獄』

 「えらいモンを観てしもうた…」これが率直な感想。河内屋与兵衛が油屋の女将お吉を殺そうとする修羅場(刃傷沙汰)のシーン。芝居の初めはゆるゆると、中盤以降は少しテンポアップし、最後にこの激しい修羅場が展開される。刃物を持って渡り合う二人の役者。真夜中のシーンだけに舞台は薄暗い。そんな中で息が合わなければ、嘘臭い展開になってしまうだろう中、こぼれた油で体(たい)の自由がまともに効かず滑りころがりし続ける二人。狂気の与兵衛が持った刃物が、何度もすんでのところでお吉をとらえきれずに宙

    • 刻印づけされたフレンチポップス

      …2月になると、なぜかフランス語の歌が無性に聴きたくなる…  最初にレコードで洋楽を聴いたのは、1971年の三学期。その年の正月に手にしたお年玉でコンパクトステレオを購入した。「ステレオ」とは言うものの三洋電機社の簡単なもので、単に音がステレオになるというポータブルなもので、ターンテーブルは17㎝シングル分しかなく、30㎝LP を置くとターンテーブルから大きくはみ出し上蓋をオープンしたままでないとプレイできないと言う代物(それでもプレイできるのだが)。確か5800円と記憶して

      • 旧友の訃報

         大学で一緒にサークルを立ち上げた友人が亡くなった。仲間でよく飲んだし、旅行にも何度か出掛けた。卒業後もタイミングを見計らってその仲間で数度杯を重ねた仲だ。 熱烈な近鉄バファローズファンで、南海観光バスの添乗員のバイトをしていた(南海ホークスの選手の送迎もある仕事)ワタシを藤井寺球場に誘い、ゼミの指導助教授が担当する社会心理学の講義をサボって優勝が決まる試合観戦に行った。マニエルが打った球がスタンドに入り逆転ホームランとなった瞬間狂喜乱舞しているところをNHKTVニュースに抜

        • 抑損志念メンバー、甲子園に集合っ!

           時間の経過は時に残酷であり、時に愉快なことも提供してくれる。阪神タイガース日本一に酔いしれる中で、ネガティブな話はよそう。ここはひとつ陽気な話を。はい、内輪ノリの一文です、ご勘弁のほど…  そもそも『抑損志念』(よくそんしねん)、それなんじゃい?って。ごもっとも。これは1979年、真面目にそして斜めから社会を眺めていた某高校の三年生四名が中心となって発行した同人誌のタイトル。そのメンバーが全員阪神タイガースファンだということで、卒業後二度甲子園に集結。そろってその年が優勝年

        京都南座三月花形歌舞伎『女殺油地獄』

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        • エッセイ 1970’s
          2本
        • エッセイ 1980's
          0本
        • 70年代洋楽回顧
          1本
        • prank
          0本

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          『マジカル・ミステリーツアー』カットアウト盤と転校して行ったあの娘

          1975年10月、中三時。今で言う「ショッピングモール」の開店セールで、洋盤の特売があった。当時LPは高価で、某遊園地で1日バイトしても邦楽LP1枚買うのにやっとだった(中学生がバイト⁈おメメをつぶってくだしゃんせ💦)。ましてや洋盤なんぞをや😂。 さてそのセールでは、ワゴンにコーナーが設けられ、そこには結構な数の洋盤が入っていた。しかも1000円ほど安い。POPには「アメリカ カットアウト盤」と書いてあった。その意味は、当時地方の中坊には情報がなく理解できなかった。そこでビ

          『マジカル・ミステリーツアー』カットアウト盤と転校して行ったあの娘

          最後の学生街の喫茶店

           今時の大学はキャンパス内におしゃれなカフェがあったりする。でもよほど古くから街中にある大学でない限り、キャンパスの近辺には「サ店」がない。「茶ぁシバく」(お茶する)のも、「学校当局」の管理下にあるってことなのか。  1980年代前半ある大学の喫茶店事情の話。私が学部生として在籍した南大阪にある大学のキャンパスは南北に細長く、北側には体育会クラブハウスが集住していて、その東門(通用門)前の道をはさんで一段低いところに、体育会の人々がたむろするサ店「LACOM」があった。  筋

          最後の学生街の喫茶店

          手提紙袋一杯のハートチョコやで🍫

          1975年のバレンタインデーの放課後に、中学の体育館裏でもらったチョコ。即物的には甘かったのだが、2か月後には体感的にほろ苦い味へと変化してしまった。その日の昼休みと部活前に目撃したコト。 昼休み終了前、友人のいる教室から自分の教室へ移動中、2階と3階の階段の踊り場で、1学年上で3年生のケレ君(it’s the nickname!)が、彼の同級生女子2人のセーラー服の上着のスソを引っ張り、何か言ってるのを目撃。「何やろか?」と好奇心で立ち止まり、耳を澄ませて会話を聞く。

          手提紙袋一杯のハートチョコやで🍫

          え?オレ、間違えた? 1975年のバレンタイン

          地方都市周辺のある町の、女子とはお付き合いしたことがない中二のバスケットボール部員だった。 2月14日の放課後。練習前の体育館でシュートやドリブルなどボールに慣れるように戯れていたところ、窓越しに同級生女子2名から名指しで呼ばれた。2人とも同じクラスになったことがないので、にぎやかなのか、おしとやかなのかなど、「タイプ」もわからない、いわゆる「情報がない」状態だった。 「練習終わったら、水飲み場に来て」。これが野球部や詰襟の高さが6センチもあるような上級生に呼ばれたなら、ビビ

          え?オレ、間違えた? 1975年のバレンタイン

          平凡な言葉ですが、ナンバー・ワンよりオンリー・ワン。これからも業界のニッチを探して、そこを掘り下げて行ってね。「ご声援」申し上げます🤗

          平凡な言葉ですが、ナンバー・ワンよりオンリー・ワン。これからも業界のニッチを探して、そこを掘り下げて行ってね。「ご声援」申し上げます🤗

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          ジョン・クーガー・メリルキャンプ 「スモール・タウン」

          【番外編】ジョン(クーガー)メリルキャンプ ある方のFB投稿へのコメントが長く、しかも勝手に論を展開しはじめてしまったので、失礼にあたると思い、記述をこちらにいたしました。 カントリーが日本でなかなか受け入れられない。それは日本には演歌というものがあるから。米国・日本それぞれ土着の、心情に染みついた感覚をこの二つの領域の音楽が人心をとらえていて、相入れないからだろう。 我々が知ってるつもりの米国は、東海岸の洗練されたNY、西海岸のヒスパニックに占拠されるも居心地のいいLA、スタバの本社がありイチローが活躍したシアトルなんかだろう。大都市でも失業者あふれるシカゴや、ブルース・ライブハウス通りのメンフィスなんかは、すぐさまイメージされないだろう。 それよりももっとディープな田舎町に生を受け、閉塞感の中で育ち、そこから出ることなく生涯を終える人がこの国には相当数いる。その鬱屈した心情を陽気に読み込んでいくのがカントリーで、それにパワーを持たせてメッセージを送ってくるのがジョン・クーガーだろう。 彼は「国家」(*注)を読み込むブルース・スプリングスティーンとは異なり、身辺を歌い込んでくれるという代弁者と言う位置づけではないか。そのメンタリティは、「土着のもの」であるがため、日本に住む者としてはなかなか共感しにくい。このため彼の知名度が日本では上がらないものと思われる。 カントリー・ミュージックって米国の農村、あるいは地方都市では、我々が計り知れないほどの人気を博している。2017年10月、ラスベガスで開催されていたカントリー音楽祭で、乱射事件があったというショッキングなニュース映像で、映し出されたライブ聴衆者の数は2万人以上。事件のインパクトも大事だが、カントリー音楽祭に子供も含め、これだけの人数が集客されることの意味あいに、もっと注目されるべきではなかろうか。 *注: ブルース・スプリングスティーンが表現する「国家」とは、国家主義としての「nationalism」と言うより、愛国心としての「patriotism」色が濃いと感じる。

          ジョン・クーガー・メリルキャンプ 「スモール・タウン」

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          「I Can‘tTell You Why」 Eagles

          【1(WC)】-5 「I Can't Tell You Why」 Eagles ここではひとつのカテゴリーを5回単位で連載していこうと思い、まずは米ウェストコーエスト・サウンドから書き始めてみた。 その5回目。すでにお気づきの方もいらっしゃるとは思うが、実はこの連載は「リンダ・ロンシュタット」、その人を軸に展開してきた。で、区切りの回はウエストコースト・サウンドを、当時の資本主義陣営の経済立国に知らしめた「イーグルス」で締めるのが自然の帰結であろうと考えていた。 ただ、ワタシの根っからのヘソマガリな性格から、バンドの顔たるドン・ヘンリーやグレン・フライを取り上げるつもりはサラサラなく、立ち上げメンバーであるランディ・マイズナーの「Take it to the limit」を予定していた。 でも、ヘソマガリはもうひとつ曲げてしまって、彼が去った後釜で、アルバム『ロング・ラン』から参加したティモシー・B・シュミットの「I Can't Tell You Why(言いだせなくて)」をチョイス。ランディの壮大な楽曲よりも、乾いた風がさらりと吹いてくる感じがするし、録音したカセットテープ(ロング・ランはmaxell XL と張り込んでいた)を1982年7〜8月、滞在したカリフォルニア州サクラメント市で、毎日ウォークマンから聴いていたということにもよる。 ただ、「さらりと吹いてくる風」はバンドの「解散風」だったようで、グレンの声もどこか自分だけ目立とう的な波動(のようなもの)を感じるし、ドンは麻薬で捕まった後でなんか引いてるような感じがするし…B面ラストのJDの提供曲も、なんだかな〜。 で、最も新鮮なのがこのティモシーの曲に聴こえるから取り上げてみた。 やっぱ、イーグルスは『ホテル・カリフォルニア』がピークだったのかな…そう思いたくないが、改めて起文してみると、納得せざるを得ないなぁ。

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          アンドリュー・ゴールド  Lonely Boy

          1【WC】-4 米ウェストコースト・サウンド4th. アンドリュー・ゴールドの「Lonely Boy」 70年前後、カーラ・ボノフと共に組んだ「ブリンドル」が鳴かず飛ばずだったアンドリュー。 1977年6月にはビルボード誌において全米シングル7位にまで浮上。これで一躍彼の名前が全米に知れ渡ることになった。フリート・ウッドマックの「Dream 」やスティビー・ワンダーの「Sir. Duke 」のヒットと同時期のこと。ただし海の向こうの日本ではほとんどその名が知られることはなかったのだが… この曲は、当時すでに人気を画していたリンダがバックヴォーカルに参加していることで話題にもなった。歌詞内容は、なんでそんなことで孤独を感じなきゃいけないの?ってくらいの、他愛もない家族のエピソードを歌っているかのよう。 ……表向きには…… でも、行間を深読みすると、DVが隠されているような気がしてならない。当時いくら米国でもそんなことを公言できる社会風潮ではなかったので、浅く「寸止め」的な表現で自主規制したのかも知れない。それを上書きするかのような、ウェストコースト・サウンドを用いることで、聴く者の意識をあえて「スカさせ」たのか。 米国でDV、ネグレクトを歌で公言できたのは、1987年、スザンヌ・ヴェガによる「Luka」まで、ちょうど10年の歳月を要したのだった。 この曲は、おそらく初見の方がほとんどかと思います。英語が気にならない方には、とってもノリのいい曲で、好きになってもらえるのではないかと思います。 なおこのアルバムジャケットには20箇所程度の「間違い」が埋め込まれていると言うのも、話題になりました。お時間ございます方は、是非。

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          Trouble Again. Karla Bonoff

          80年代初頭の米ウェストコースト・サウンドを彩った「コミュニティ」。お次は… 1【WC】-3 カーラ・ボノフ 先日のリンダ・ロンシュタットの盟友であり、恋のライバルでもあった。 60年代末にはアンドリュー・ゴールドらと「ブリンドル」を結成し70年代初頭にメジャーデビューするも、芳しくなく、解散。インディーズでくすんでいた頃、人気絶頂のリンダのバックアップ・メンバーに旧ブリンドルメンバーが起用され、そこからソロデビューのきっかけをつかんだ。 この「Trouble Again」はセカンドアルバム「ささやく夜 - Restless Nights」の冒頭をかざる曲。アンドリューやJ.D、ジェームス・テイラー、イーグルスのドン・ヘンリーは音作りに参加しているが、ファーストアルバム時のリンダやイーグルスのグレン・フライは名を連ねていない。それがためかどうか、アルバム全体を通しての印象は冗長であり、聴いていると退屈になってくる。で、『ローリング・ストーン』誌に酷評されることになってしまった。 ここだけの話、ワタシ個人的にも聴くときには2曲目(アルバムタイトル曲)から、ラスト(日本版のみのボーナス・トラックのスコットランド民謡に端を発する)「悲しみの水辺(The Water is Wide)」まで飛ばしてしまうことが多々ある。ちなみにカーラはカメレオン…(失敬!)ではなく、ユダヤ系。長い間リンダと同じくドイツ系だと思ってた。

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          It’sSoEasy

          1【WC】-2 1977年、あるバンドに誘われた。このメンバーのギター2人は、まぁ凄腕。まずは戦後日本を元気付けた女声歌手を伯母に、東京藝大声楽科教授を叔父に持つヤツのギタープレイを聴いた。「ホテル・カリフォルニア」が日本でヒットの兆しが見えた頃。ワタシがギターのイントロを10日ばかりかかって、やっとこコピーらしき状態にまでなっていて、バンドの打ち合わせ時に弾いてみた。すると私が持参したテープを貸してと、彼。小一時間くらいメンバーから離れて練習。戻ってきてイントロとアウトロを披露。ほとんどできていた… 「こりゃ参った」。すぐさま降参。で、え?このバンド彼がリードでなくサイドだと? その後、ストラトにパトスをぶつけるかのようなリード氏のプレイを聴いた。冗談ではなく、ひっくり返りそうになった。テクだけでなく、ストラトを通して、心の叫びを噴出させているかのよう… で、ドラマーを探していると…二つ返事でOK。そして自分はこのバンドではドラム(中三からやっていた)に専念しようと決めた。でその日のうちに自分のバンドを解散するとそっちのメンバーに電話連絡をとった。 そのサイド氏がリーダーとなった数日後、オリジナルを持ってきた。タイトルが「It’s So Easy」。 「おい、リンダロンシュタットの最近の曲名とかぶっとるやないかい!」。当然メンバーからツッコミが入ったが、リンダのそれとは違って、どこかもの悲しい曲調。しかもコヤツ、英語で詞を書いてきよった。単調ながらもメンバーはかなり気に入って、毎回の音合わせはこれから始めた。 このバンドは1:3位でオリジナルを、残りはプログレ、ハードロックを中心に演っていたが、1曲を除いて全て英語の曲で占められた。その端緒となったタイトルこそが、「It’s So Easy」。 ……先日のJDサウザーからの流れ。

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          J.D. Souther “You’re only lonely “

          1【WC】-1 一人暮らしを始めたとき、maxell・UD90のトップに入れていた楽曲。 70年代後半〜80年代半ばの米ウェストコースト・サウンドになくてはならない陰の存在。ジャクソン・ブラウンに楽曲を提供していたことでも知られる。 とりわけ「もう一人のイーグルス」と言われたほど、彼らとは縁が深い。またリンダ・ロンシュタットのバックも勤め、一時期彼女と一緒に暮していたとも。 「もうひとりのイーグルス」で、「リンダ」の恋人で、ジャクソン・ブラウンの理解者。こういった世に出たミ

          J.D. Souther “You’re only lonely “

          イケナイものに手をつけてしまった…

          ーSP盤レコードー この間から購入したレコードのことについて書いてきたが、ある意味「前振り」だったかも。ビニール袋に3枚ほど無造作に放り込まれた、ジャケットなしのSP盤。5袋ほどあったのでついつい全て購入してしまった。だってぇ、「クール」なんだもん。🤗 でも、プレイヤーがない。ここは便利なYahooとAmazonで商品を吟味。元々持っているアンプやレコード・プレイヤー、カセットデッキも昭和のもの。主にCDを聴くコンポも20世紀最晩年のもの(メインのセットからも音が出せるよう

          イケナイものに手をつけてしまった…