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7仏

7仏 成仏 仏(ほとけ)であること 「目覚めた者」であること 一己(いっこ)の人間が 身体を通して世界であることを実感した時 一即多多即一としてあり 我(われ)と他(た)と仏(ほとけ)の同一性 を知る 解説要約) 成仏 仏(ほとけ)であること 「目覚めた者」であること 成仏とは「目覚めた者である」こと さて何に目覚めたのか 「汝はそれである」 「一即多多即一」 「同一性故入阿字」 我(われ)と他(た)、そして仏(ほとけ)の

    • 6身

      6身 身体(からだ)を使い ひたいに汗して 血の通う 人(ひと)となる 肌吹く風 眩しい陽射しに 笑(え)むばかり ひたいの汗が 爽やかであれ 苦しみであれ 大地にある身体(しんたい)に 生(せい)はあり 死(し)はある 解説要約) 考えすぎるな 思考のみでは人は廃壊(はいえ)する 身体は同一性大地に根差す 存在根拠である 実感せよ 「汝はそれである」 我が世界であり 世界が我であり 一即多多即一

      • 5即身成仏

        5即身成仏 この身がすなわち仏である 我と仏と衆生の身体は同一であり、 「成仏」とは「仏である」こと 解説要約) 「身」とは「我身・仏身・衆生身」である 「成仏」とは「仏である」ことである すなわち、 「この身(我-仏-衆生)が、そのまま仏である」 解説) 「身」=「我身・仏身・衆生身」、「四種法身」、「三種の身」 「我身」=我の身、「仏身」=仏の身、「衆生身」=我以外のすべての衆生身 「四種の法身」 自性法身=

        • 4好きな人

          4 好きな人 好きな人 好きなものに 触れる悦び 「互いに触れ合う心と身体 当たり前とは思われぬ時 同じ人(ひと)としてある 重なる心」 解説要約) 好きな人が好きなのは当たり前。 きらいな人だって同じ人。 きらいな人に関わり合うことがなくとも、その存在は許容できる。 きらいな人に関わり合わずにおれぬなら、その存在だけは許容しよう。 同一性を基とした多様性という現実を尊重しよう 頭ではなく身体(からだ)で実感する同一性 解説) 「愛別離苦は誰もが共感する苦しみ 愛する

          3世界は平和にできる

          3世界は平和にできる 「異なる意見の存在否定は 紛争の元凶 違いをそのままに 同じ人(ひと)を知る fictionをそのままに 同一性に還(かえ)る」 同一性を基(もとい)として 難しく考えなければ 平和はなる 解説要約) 争いあう互いの安全と平和は、力による相手の屈服だけではなし得ない。 対立する相手を完全に虐殺し、抹殺する以外には。 だが虐殺する相手は、同じ人間ではなかったか。 血で染まる手で抹殺した人の命の上に立つことが誉れ

          3世界は平和にできる

          2みんな違って

          2みんな違って みな同じ 「同一性に根差した異なる考え 同じ大地に立つ 違った個性 違いをそのままに 重ね置かれた “わたし”という個性 …わたしであること」 「人と違うこと」に価値があるのではなく 「わたしであること」そのものが価値 解説要約) 「人と違うこと」に価値があるのではない 「わたしであること」そのものが価値なのだ。 解説) 「人と違うこと」に価値があるのではない 「わたしであること」そのものが価値なのだ。 私とい

          2みんな違って

          1同一性故入阿字

          1 同一性故入阿字 「一即多多即一 同じ人(ひと) 同じ世界 同一性から頭一つ出た 阿字世界 阿字から展開する個性」 解説要約) 「同一性故入阿字」や「一即多多即一」、「汝はそれである」など、その表現形式は違っても「同一性に根差した異なる考え」、「同一性を基底とした多様性」を示している。 逆に言えば多様性、個性はすべからく同一性、くだいていえばみな同じである事を基として保障される。 解説) 「同一性故入阿字」 これは「理趣経」最後に記されている文言です。 現在日

          1同一性故入阿字

          0汝はそれである

          0 ”汝はそれである” 「一即多多即一 人間に与えられた 最初にして最後の言葉 多くの時(とき)を歴(へ)て一巡し 重ね置かれた言葉 “汝は自ずから汝自身の父である”」 “悪とは汝が汝であることだ” 絶対神の立場からすれば 個人の”汝-己”は自己否定され 神へと統合される 自力の計らいのない 無義なる己において ”汝はそれである” 解説要約) ウパニシャッドで掲げられた文言は個人の魂(アートマン)と宇宙の根源(ブラフマン)との同一性を示すものである。この言葉は仏教展開の

          0汝はそれである

          重ね置かれた世界

          「重ね置かれた世界」 「目先のことしか見ていない」と言うのは批判の言葉です。これはこれで正しい。 「今この時を大切に生きていく」これもまた正しいと思われるでしょう。 さて言葉は、何時でも難しいものです。と、言うか難しいものにしている人がいると言うことでしょうか。 過去-現在(今)-未来 人は他の生き物よりも「過去-現在(今)-未来」と言うことを考えずにはおられぬものです。 「目先のことしか見ていない」 人は今ばかりではなく、過去や将来の事を考えるから人でもありま

          重ね置かれた世界

          預かりもの

          「貸与世界」 貸与:預かりもの 共同所有ではない。誰もが所有しない世界。物だけでなく人も命も、お預かりした大切なものであるとする世界。貸与、つまり預かりものとする世界。また言い換えれば、好むと好まざるとにかかわらず、今という時に一時的に天与の、与えられたものであり、それを自分の勝手にしていいものではないとする世界。自分のものではないもの、預かりものをどう扱うのが道理であるか?借りたものは、借りた時点よりも良きものとしてお返しする事を良しとする文化。つまり誇りである。 人と

          預かりもの

          日本

          かつて小泉八雲、ラフカディオ・ハーン (Lafcadio Hearn)は"日本"に触れ、その心を、風景を、“ことば”としました。彼は失われていく"日本"を惜しみ、時代の空気を文章として残してくれた訳ですが、彼の愛した"日本"がどのように今、現在に引き継がれてきたものかということに想いをはせるのも無意味なことではないように思います。 日本における風景の多くは自然と人々が共創して作り上げてきたものです。それは”自然のまま”あるのではなく、また人が勝手に自然とは切り離して創造して

          十三夜

          1「十三夜」要約 /18 「十三夜(じゅうさんや)」要約 お釈迦さまは死んで成仏したのではありません。 文言で伝えられる思想は広く万人に共有可能ですが、実感は個人的な体験であり文言による記述だけで共有されるものではありません。この個人的な体験としての実感を広く万人において共有する事が可能であると信ずるためには己と他者との間に、また世界そのものとの間に共同体感覚があることを信ずるしかありません。 私はこう感じるが他の人はそうではないかも知れない。しかし、おそらく他の

          「十三夜(じゅうさんや)」18

          18あとがき あとがき) この文章をそのまま廃棄しようと想った。今はゴミ箱に捨てるだけで完了だ。焚火にして芋を焼く必要もない。無駄な電子データが残るのはいかがなものかと思ったからだ。しかし、石の一音にも大悟した人もあったと聞く。他人には雑音に聞こえる音であっても、あるいは役に立つ人もいるかもしれない。そう想い返してみた。

          「十三夜(じゅうさんや)」18

          「十三夜(じゅうさんや)」17

          17慈愛 「…あなたは知らなくても良いとも思っていました。でも夏菜子が亡くなった今は話しておいたほうが良いのではないかと思っています。」 葵くんが夏菜子のことを伝えたかったのは、夏菜子が亡くなった今だからこそ夏菜子は幸せだったのだと私に教えたかったからではないか、と思えた。 「…。 夏菜子があなたを大好きだったのは私が一番よく知っています。その夏菜子がどうしてあなたではない人を選ぶことになったのか、私にはわかりません。でも夏菜子から話を聞いた時、私は正直少しうれしかっ

          「十三夜(じゅうさんや)」17

          「十三夜(じゅうさんや)」16

          16思い出 私は漠然と(幸せかぁ。)そうつぶやいて彼女の事を想った。彼女の一生は幸せだったろうか。幸、不幸は他人には計り知れはしないがそれでも彼女が幸せであった事を信じていたかった。そして葵くんからのメールを引っ張り出して読み進めるかどうか、まだ迷っていた。だが神川と過ごした時間を思い起こしながら、彼女らしい幸せとはなんだったろうかと想いめぐらした。 葵くんのメールの字面(じづら)に焦点の合わぬまま視線を窓外の雲に向け、私は彼女たちと一緒に過ごした時のことを思い出していた

          「十三夜(じゅうさんや)」16

          「十三夜(じゅうさんや)」15

          15成仏 神川は相変わらず独り身の身軽さからかよく遊びに来てくれていた。妻の花も神川や大山夫婦たちと過ごす時間を楽しんでくれた。花が笑っている事ほど幸せな時間はない。花の笑顔が見られるならどんな苦労や努力も楽しみでしかなかった。 神川と私たちは食事の後、3人してグラスを傾けた。神川の好きなバーボンが過ぎたか、花はいつも以上に酔がまわっていた。 「神川さんは良い方(かた)いらっしゃらないんですか。」顔を赤らめた花が酔った勢いで神川にたずねた。神川はさらりとその言葉を一笑し

          「十三夜(じゅうさんや)」15